2.読書仲間
読書が好きという、共通の趣味がある私たちが親しくなるのに、そう時間はかからなかった。
シリウス様は教室では相変わらず物静かだったけど、休憩時間や放課後には、楽しそうにお話してくださった。
「ミラ嬢、今日は僕のお勧めの本を何冊か持って来たんだ。君の話を聞いていると、きっと気に入るような気がして。好みでなければ、無理はしなくて良いが、趣味に合うようなら、ぜひ読んでみてくれ」
放課後、中庭のガゼボにて、シリウス様は、学園指定のメインのカバンとは別の大きなカバンから、十冊近い本を取り出し、テーブルの上に並べた。
荷物になるのに、私のために選定して、持って来てくださったのだろう。
その中で私が読んだことがあるものは二冊ほど。
タイトルを知っているものが四冊。
残りは初めて見るものだった。
「この二冊は読んだ事があります。私も誰かにお勧めしたいくらい印象に残っています。こちらは最近発行されたものなのですね。このシリーズは、いつか読んでみたいと思っていたものです。どれも面白そうです!」
「そうか。やはり趣味が合いそうだ。君が今、手にとっている長編は、最終巻の二十五巻まで全て部屋にある。安心して読み始めてもらって構わない」
「二十五巻もあるのですか! シリウス様は本当に本がお好きなのですね。けれども、お言葉に甘えてしまってもよろしいのでしょうか?」
「あぁ。僕の押し売りになっていないのであれば、ぜひ読んで欲しい。君の感想を聞いてみたいんだ」
目をキラキラと輝かせるシリウス様は、本当に本がお好きみたい。
これまでの会話の中で伝わって来たのは、一冊一冊の本を丁寧に読み込んで、登場人物たちの心情に寄り添おうする彼の本との向き合い方。
「押し売りだなんて、とんでもないです。ぜひお借りしたいです」
この日お借りした本は、全部で四冊。
「荷物が重くなるだろう。僕が持とう」
シリウス様は、学生寮の私の部屋の前まで、本を運んでくださった。
それから約一ヶ月が経ち、毎日のように夢中で本の話をしていた私たちに、二人の読書仲間が増えた。
お一人は、侯爵家ご令息のフォーマルハウト様。
暗い緑色の髪に、銀縁の眼鏡が良く似合う、知的で物腰柔らかなお方だ。
そして、もう一人のアルキオーネ様も、同じく侯爵家のご令嬢で、シリウス様やフォーマルハウト様と同様、学年成績上位の博識なお方。
色白な長身女性で、軽くウェーブがかかった赤毛が目を引く。
由緒正しきお嬢様だけれども、明朗快活で私にも分け隔てなく接してくださる。
「この本の主人公は、歴史の授業では取り上げられることのない人物なのですが、剣豪と呼ばれる立派な男でした。しかし、最後には主君を裏切り、小国を治めるに至ります。その辺りのことは諸説あるのですが、僕にはこの本の解釈が一番しっくり来ました」
「主君を裏切るまでの過程にも、様々な葛藤があったとされていますわよね。飢えた民が命を落とす姿に、貧しかった幼少期の自分を重ねたのだとか」
「元々は民の命を重んじていた君主が、民を見捨てる決断をしたことで、彼は失望してしまったのかもしれない」
歴史小説がお好きなフォーマルハウト様とアルキオーネ様は、シリウス様と意気投合されたご様子。
生き生きとした表情で感想を語り合っている。
「ミラ嬢も、ぜひお読みになってくださいませ。様々な歴史小説を読むことで、その時代の歴史的背景が自然と頭に入りますから、授業内容への理解も深まることでしょう」
「そうですね。普段はファンタジーやヒューマンドラマを好んで読んでいて、歴史小説には苦手意識があったのですが、皆様のお話を聞いて、興味が湧きました」
私たちがこの学校に通う目的は、自国の歴史や政治・経済、産業に加えて、周辺国の文化を学ぶため。
趣味が日々の学習に繋がるならば、一石二鳥だ。
何より、小説の内容を深掘りして理解されている方々のお話を聞いていると、作品の魅力がより伝わって来て、自分もその世界を知りたい、その語り合いに参加したいと思える。
「それでは僕のものをお貸ししましょう」
フォーマルハウト様から差し出された本を受け取ると、シリウス様とアルキオーネ様もどこか嬉しそうに微笑んでくださる。
今まで一人で黙々と楽しんでいた趣味が、誰かと共有できるようになったことで、より価値のあるものに変化していくことを嬉しく感じた。
けれども、周囲の人間はそれを快く思わなかったらしい。
ある日の朝、寮の自室から教室に向かって移動していると、後ろから声をかけられた。
「ミラ嬢、あなた、いったいどういうつもりなのかしら。近頃、シリウス様やフォーマルハウト様、アルキオーネ様と親しくしていらっしゃるみたいだけど」
声の主のとある侯爵令嬢は、こちらに厳しい目線を向けていた。
「はい。その⋯⋯皆様とは読書が好きという共通点がありまして⋯⋯親しくして頂いております⋯⋯」
「まぁ! 共通点だなんて、おこがましい! まさか、自身とお三方とでは、家格が全く釣り合っていないことに、お気づきでないのかしら? グラフィアス子爵令嬢は、そんな常識もご存知ないんですの?」
「貴女のような下級貴族とお付き合いされることで、お三方の名誉に傷がつくのですよ? お優しい方々ですから、ご自分ではおっしゃらないようなので、私たちが代わりに教えて差し上げたのです」
二人の伯爵令嬢も私を責め立てる。
皆様のおっしゃることは、ごもっともだ。
この国の貴族社会では、子爵家なんて言うのは、上位貴族から見れば、貧乏くさく見えるに違いないから。
そうか。私は身の程知らずだったんだ。
シリウス様も、フォーマルハウト様も、アルキオーネ様も私を温かく受け入れて下さったけど、ご迷惑をおかけするくらいなら、私は遠慮するべきだったのに。
「君たちこそ、どういうつもりなのだろうか? ミラ嬢と一緒にいることで、僕たちの名誉に傷がつくという方が、無礼な発言に思えるのだが」
後ろから肩に手を置かれ振り返ると、そこにはシリウス様とフォーマルハウト様、アルキオーネ様がいらっしゃった。
「確かに爵位とは序列でもありますが、それだけではありません。王が国を治めるために、各家門に与えられた役割を全うすることこそが、何よりも肝要だというのに⋯⋯驕りがあると足元をすくわれますよ」
「ミラ嬢は立ち場上、貴女たちみたいな偏った考えの貴族の言葉も信じるしかないのだから、間違った事を吹き込むのはやめて頂けるかしら」
シリウス様、フォーマルハウト様、アルキオーネ様のお言葉に、ご令嬢たちは言葉を失う。
「異論がないのなら、そこを通してもらえるだろうか。何の騒ぎかと皆が不安になっている」
いつの間にか私たちの周りには、たくさんの生徒たちが集まっており、遠巻きに事の成り行きを見守られている。
「異論はございません」
「申し訳ありませんでした」
「失礼いたします」
ご令嬢たちは顔を赤くしながら、大人しく立ち去っていった。
「皆様、ありがとうございます。あの、その⋯⋯わたくしはこれまで通り、皆様と一緒に過ごしてもよい⋯⋯ということなのでしょうか⋯⋯?」
恐る恐る、お三方の顔を見上げると、優しい目で見つめられていた。
「そうだ。もう不安に思う必要はない」
「あの方々のおっしゃることは、真実とは異なりますから、どうか忘れてください」
「友人付き合いに、生家の爵位は関係ありませんわ」
お三方の笑顔からは、迷惑だとか疎ましいといった感情は一切感じられず、心から受け入れて頂けているように思える。
「ありがとうございます! これからも、よろしくお願いいたします!」
皆様が私を守って下さったこと、これからも共に楽しい時間を過ごせることが、嬉しくてたまらなかった。