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15.公爵夫人の務め②

 その日を境に、ますます私は、卑屈になってしまった。


 一部の侍女が、私を公爵夫人として扱わなくなったからだ。


 ナシラ以外の侍女たちには、初夜が済んでいないことを直接打ち明けることはしなかったけれども、人の世話をする専門家である彼女たちは、何かを察してしまったんだろう。


 それに、ラサラス公爵夫人という、仕えるに値する人物を目の当たりにしたから、私では見劣りするのだろう。


 ある日、食堂で一人で食事をとったあと、侍女が淹れてくれた紅茶の中に、何かが沈んでいるのを見つけた。

 なんとなく焦げ臭いし、何かがコゲたものだと言うのは分かる。


 こんなもの、普通にしていたら絶対に混入しない。

 誰かがわざと入れたんだろう。


 どうしてこんな酷いことするんだろう。

 嫌がらせをして追い出そうって?

 まさか、これもシリウス様のご指示?


「この紅茶を淹れたのは、どなたでしょうか?」


 並んで控えている侍女たちに何食わぬ顔で尋ねると、一人の侍女がニヤリと笑った。


「わたくしですが」


 その侍女は私がこの家に初めて来た時から、既に勤めていた人物だ。

 大方、値踏みを終えて、主人として認められないと判断を下したんだろう。


「この紅茶を見て、どう思われますか?」


「良質な茶葉ですし、とても美味しそうだと思います。若奥様にぴったりかと」


 侍女は嫌らしい表情で笑い続けている。


 ここで素直に謝ってくれれば、丸く収めるつもりだったのに。

 睨み合いが続くも、この侍女も引く気がないみたい。


「そう。あなたは、お給金を頂いて、ここで働いているのよね? 主が口にするものに何か不純物が紛れていることに気が付かないのはどうなのでしょう。プロの仕事だと言えるのでしょうか? 美味しそうだと言うのなら、代わりにどうぞ」


 カップを持ち上げて、侍女の胸に押しつけると、彼女は顔を真っ赤にした。

 言い返されないだろうと高を括っていたんだろう。


「⋯⋯⋯⋯よく見たらカップが汚れていましたね。すぐに淹れ直します」

 

 自分は飲みたくないからとカップを持って、そそくさと食堂を立ち去ろうとする侍女。


「待ってくれ。君は何をしているんだ?」


 そこにシリウス様が現れ、侍女の腕を掴んだ。 

 どうやらアトリアが呼んできてくれたらしい。

 急いで駆けつけてくださったのか、息が上がっている。


「君は僕の妻に何を飲ませる気だったんだ? 僕の目には、これが人間が口にするものには見えない。恐らく身体に害を及ぼす毒物だろう。君は暗殺を企てた罪人だ。当然、このままにしてはおけない」


 シリウス様は、わざと大袈裟に聞こえる言葉を選ばれたのだろう。

 侍女に鋭い目を向けながら、圧をかける。


「お待ち下さい! これはただの鍋の底の焦げつきです! 身体にそれほど害はありませんから! ⋯⋯⋯⋯あ⋯⋯⋯⋯」


 恐怖に耐えられなかったのか、勢いで白状してしまった侍女は、解雇され、遠く離れた町に帰る事になった。

 

 

 その日以来、侍女の嫌がらせはパタリと止んだ。

 まさかシリウス様が怒るなんて、誰も想像していなかったんだろう。


 けれども、相当ショックだったのか、私の心は晴れないまま。

 もう何を口にするにも信用出来ないわね。


 夜、自室でぼーっとしていると、お義母様が訪ねて来られた。


「ごめんなさい。ちょっといいかしら?」


 約束のない突然の訪問。

 深刻そうな表情に、心臓がうるさく騒ぎ出す。

 話とはいったい、なんなんだろう。


 人払いをして、ソファに向かい合って座る。  


「その⋯⋯この間のラサラス公爵夫妻が、いらっしゃった日の事なんだけど⋯⋯どうしても気になってしまったの。ごめんなさいね、踏み込むような真似をして。その⋯⋯⋯⋯二人は仲良くできているの?」


 お義母様は一つ一つ、言葉を選ぶようにして問いかけて来られた。

 私を傷つけないように気遣ってくださっているのだろう。


 でも、今の私には耐えられなかった。

 気の毒そうに見つめられると、胸が締め付けられ、(せき)を切ったように、涙があふれてくる。

 

「お義母様、わたくし、シリウス様の妻として、公爵家の嫁として、やっていける自信がありません。シリウス様は私を女性として認めてはくださらないし、仕事だって全然出来ないし、侍女には嫌がらせをされるし、もうわたくし、どうしたらいいか分からないんです。シリウス様は何をお考えなのでしょうか? わたくしは何を頑張ればいいのでしょうか?」


 気づいたらパニックに陥っていた。

 呼吸が異様に速くなって、死んでしまいそうなくらい苦しい。

 手が痺れてきて言うことを聞かない。


 泣き言を言う相手を間違えていると我ながら思う。

 恐らくお義母様には、私が何で困っているか分からないだろうから。


 だって、まさか結婚してから一度も抱かれていないなんて、夢にも思っていないでしょう?

 隠し事ばかりの夫に屋敷に閉じ込められているなんて、全然知らないでしょう?


「ミラ、ごめんなさい。それほどまでに思い悩んでいたのね。ずっと苦しかったのね」


 お義母様は私を抱きしめて、頭を撫でてくださった。

 何度も何度も謝りながら⋯⋯


 幼い子どもに戻ったみたいに泣きじゃくっていると、胸の苦しみは少し落ち着いた。


 お義母様はちょっと待っててと一度退室され、一冊のアルバムを持って戻って来られた。


「あの子に見つかったら叱られてしまうだろうから、こっそりと見ましょうね」


 それは、シリウス様の子どもの頃の写真だった。 

 写真の中のシリウス様は、五歳くらいだろうか。

 幼いながらも、スーツを着て、凛々しい表情でこちらを見ている。


「幼い頃のあの子はね、人前に出るとすぐモジモジしてしまっていたの。父親が戦場の英雄だなんだ言われる人だったから、シリウスも堂々としているように、いつも叱られていてね」


 お義母様は遠い目をしながら語る。

 

「性格なんて、そう簡単に変えられるものじゃないけど、公爵家の跡取りである事に誇りを持つようになって、段々と頼もしくなっていったのよ。あと、あの子は、昔から本を読むのが好きで、幼い頃は良く、『どうしてこの人は意地悪を言うの?』『どうしてこの人は言い返さないの?』って、逐一聞いてくるものだから、参ってしまったわ」


「その癖は子どもの頃からだったんですね。わたくしが初めてシリウス様とお話したときもそうでした。『この時の登場人物の心情について、君はどう見る?』って、そればっかりで⋯⋯そうですか。幼い頃から⋯⋯」


 真剣なシリウス様と困惑されるお義母様の様子が容易に想像がついて、思わず笑ってしまう。


「あの子はね。人の気持ちが全く分からない子ではないのよ。何故、相手がそう考えたのか、いつも気にしている子だったから。感情移入出来ない人物がいると、問い詰めちゃったりもして。どこか繊細で、研究者気質で⋯⋯全ての人の気持ちに寄り添う努力ができる、優しい子のはずなの」


 お義母様のお考えには同意だ。

 シリウス様が誰かの心情を気にするのは、思いやりの心があるから。


「ミラに結婚を申し込んだと報告して来た時のあの子は、今まで私が育てて来たあの子とは、人が変わったみたいに見えたの。妙に大人っぽくなったと言うか⋯⋯家庭を持つという覚悟が出来たからかしらね。何故、そんなあの子がミラを泣かせるようなことをするのか、それこそ私も理解出来なくて、戸惑うけれど、私もシリウスと話してみるわ。だから、ミラもどうかあの子を見放さなずに、ぶつかってあげて欲しいの。あなたも我慢せずに、思った事があれば、はっきり言ってもいいのよ。あなたたちは夫婦なんだから」

 

 お義母様は私が泣き止むまで、慰めてくださった。

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