13.友人の話
翌朝。
私が朝食をとるために、食堂に移動する頃には、アルキオーネ様の気配は消えていた。
少し遅れて食事をとりにいらしたシリウス様は、何食わぬ顔をしている。
いったいアルキオーネ様と、どんな会話をしていたの?
昨晩、お二人の間には、何もなかったの?
あの時間にいらっしゃったのだから、アルキオーネ様は宿泊されたはず。
それなのに会わないということは、巧妙に隠されたとしか思えない。
つまり、ここにいる使用人たちも共犯ということだ。
シリウス様に直接尋ねたいけれど、きっとはぐらかされるに違いないし、これだけ協力者がいるんだから、騒いだところで惨めになるだけ⋯⋯
まさか、庭園に出ないように言われた理由は、他の女性との逢瀬を見られないようにするため?
それならば、夜会の事を隠していたことだって、合点がいく。
別に、位の高い男性が、外で他の女性と戯れているなんて、良く聞く話じゃない。
落ち込む必要なんてない。
こんな扱いでも、正妻は私なんだから。
けど、私が知っているシリウス様は、アルキオーネ様は、私を裏切るような人たちなのかしら?
裏表のない性格のアルキオーネ様はともかく、私の知っているシリウス様って、いったいどんな人?
妻として一緒に暮らすようになって、知れば知るほど分からなくなる。
とうとう、シリウス様に話しかける勇気が出せずに、黙々と食事をとった。
悶々とした日々を過ごしていたある日、お客様がいらした。
ご不在のシリウス様に代わり、お出迎えする。
「ミラさん、ご無沙汰しております。卒業以来ですね」
そのお方とは、フォーマルハウト様。
優しげな印象はそのままに、一年前より更に背が高くなり、顔の彫りがくっきりしたことで、凛々しくなられたように見える。
「ご無沙汰しております、フォーマルハウト様」
「シリウス様とアルキオーネ嬢から、ミラさんが僕に会いたいと言ってくださっていると、お聞きしました。渡しそびれたものもありますし」
応接室にご案内し、テーブルを挟んで向かい合わせのソファに腰掛ける。
「ミラさん、お誕生日おめでとうございます。本が一番喜ばれるかと考えたのですが、シリウス様もアルキオーネ嬢も贈られるかと思い至り、別のものにいたしました。ミラさんは、『三人の賢者と二人の魔女』の物語がお好きでしたから、こういうのはどうかと」
フォーマルハウト様が手渡してくださった箱には、ティータイム中の魔女の絵が描かれている。
断りを入れて開封すると、中には花びらと葉を丸めたようなものが、いくつか入っていた。
「これは魔女の姉妹が愛飲した、花茶を再現したものだそうです。この茶葉をティーポットの中に入れ、お湯を注いでしばらく待つと、ポットの中で花が開き、可憐な香りと爽やかな味を楽しめるのだとか。確かミラさんは、そのシーンがお好きだったと記憶しています。透明なガラス製のポットの方が楽しめるかと思いましたので、こちらもどうぞ」
ナシラにお湯を持って来てもらい、早速、頂いたポットに花茶を入れて、お湯を注ぐ。
するとまたたく間に、ティーポットの中で花が開いていき、安らぐ花の香りが漂って来た。
「素敵です! まさに花開く魔法ですね! このピンク色のお花はカーネーションでしょうか?」
「はい。ピンクのカーネーションの花言葉は『温かい心』や『感謝』と言われていますね。魔女の姉妹が互いを思いやり、仲良く暮らしていた頃のエピソードは、僕も好きです。結末を知っている分、切なくもありますが」
フォーマルハウト様は、ティーカップに目線を落としながら語る。
彼の見慣れない表情に、なんだか胸が騒ぐ。
「そんな顔をしないでください。僕は感傷に浸るのが好きですから。ところで、ミラさんのご体調は、もう万全なのでしょうか? シリウス様とアルキオーネ嬢からは、少し元気がなさそうだとお聞きしましたが⋯⋯」
心配そうなフォーマルハウト様から出た、シリウス様とアルキオーネ様のお名前に反応して、肩がびくんと跳ねる。
お二人には、私が悩んでいることが伝わってしまっているんだ。
心配をおかけするのは申し訳ないと思いつつも、原因は主にシリウス様であることも事実。
感情のやり場に困るのが本音だ。
「何かお悩みでしょうか。もしかして⋯⋯⋯⋯シリウス様とは、上手くいっていらっしゃらないのでしょうか?」
図星を突かれて、身体が一気にこわばる。
このお方は勘が鋭いから、上手くやり過ごさないと⋯⋯
「いえいえ、まさか。そんな事はありません」
「ミラさんは昔から、正直で分かりやすい方です。僕でよろしければ相談に乗りますよ」
そのあまりにも優しい声色に、恐る恐るフォーマルハウト様の顔を見上げると、真剣な眼差しを向けられていた。
フォーマルハウト様は博識だし、シリウス様と同じ男性だから、何か前向きなアドバイスをもらえるかもしれない。
今なら侍女たちも居ないし、込み入った話も出来る。
少し迷ったけれども、このままじっとしていても何も変わらないからと、相談を持ちかけてみることにした。
「あの⋯⋯⋯⋯では、私のお友達の話なんですけど⋯⋯」
勇気を振り絞った第一声に、フォーマルハウト様は一瞬にこりと笑ったあと、真剣な表情に戻った。
それから私は、自分の友人が新婚であるにも関わらず、旦那様との関係が深まらずに寂しがっていること、自分は外出を禁じられているのに、旦那様は友人には内緒で外出をし、女性の影もチラついている事を相談した。
「そうですか。そのようなことになっていたんですね。その⋯⋯⋯⋯ご友人夫妻は。そのご友人の旦那様のお気持ちは、正直、僕には理解しかねます。愛する人に触れたいと思わない男なんて、普通は存在しませんから」
忌憚のない意見が、矢のように胸にぐさりと突き刺さる。
何度も頭をよぎった仮説と、フォーマルハウト様のご意見が同じだったことに落胆する。
「僕の友人は、学生時代に片想いしていた女性がいました。その方は友人と出会った頃には、既に別の男性と親交を深めていたそうです。その男性が友人よりも位が高かった事から、友人はその女性への恋心を胸に秘めたまま、卒業を迎えました。そして間もなく、その女性と男性が結婚してしまい、友人は恋に敗れる事になります。けれども、その友人の目から見ると、彼女が全く幸せそうに見えずに、苦しんでいるようにさえ見えると言います。どうしたって僕には手が届かないのに、それを手にしておきながら、そのような態度をとるなんてと、怒りに震えている⋯⋯⋯⋯」
フォーマルハウト様は、膝の上に乗せた拳をぎゅっと握り込んだ。
「そうなのですね。フォーマルハウト様のご友人のお気持ちを思うと苦しいですね。自分なら幸せに出来たかもしれないと、そう考えてしまうと思います。そういう夫婦関係って、存外よくあることなんですね。どうしたらその女性も、私の友人も、旦那様と幸せになれるでしょうか」
思わず熱が入り、目の前のテーブルに手をつき、前のめりになる。
フォーマルハウト様は、そんな私の顔を真っ直ぐ見つめながら、頭を撫でてくださった。
「シリウス様は意地悪なお方です。どうして僕に、このような役割を任せるのでしょうか。どうして僕に、全幅の信頼を寄せてくださるのでしょうか。卑怯な手なんて、幾らでも思いつくのに」
自嘲気味に笑うフォーマルハウト様。
彼にしては珍しい、どこか悲しげで、どこか皮肉っぽい物言い。
「ミラさん、もし良いように捉えるのだとしたら、その男性は奥様を傷つけたくなくて、勇気が出せないのかもしれません。その⋯⋯⋯⋯女性側は苦痛を伴うと聞きますから。そのご友人が旦那様の背中を押して差し上げたら、案外、上手くいくのかもしれません。女性関係もご不安はあるでしょうが、そう心配される必要はないかと思います。あくまでも僕の想像ですけど」
フォーマルハウト様は、にこりと微笑みながら、席を立った。
いつの間にか友人の話という皮が剥がれている気がするけど、これ以上落ち込まないよう、勇気づけてくださったのよね。
「あの⋯⋯ありがとうございました」
遠ざかる背中を追いかけ、頭を下げる。
「いえいえ、僕はこれからもずっと、ミラさんのお友達ですから。見送りはここまでで結構です。上手くいくと良いですね」
フォーマルハウト様は笑顔で片手を上げ、部屋を出て行かれた。