11.二十歳の誕生日
シリウス様に屋敷内に戻るように言われて、素直に自分の部屋に帰って来たものの、次々と頭に疑問が浮かんだ。
シリウス様の急ぎの用事とは、いったいなんだったんだろう?
行き先や目的は言い残して行かれずに、一週間も不在になさるなんて。
それに、あの馬車には、いったい誰が乗っていたんだろう。
私には会わせられないお客様?
それってどのような人物?
極めつけには、蜂が出るからテラスにも出てはいけないって⋯⋯
確かに蜂に刺されて命を奪われる人だっている。
けれども、巣が近くにあるわけでもないのに、少々、過保護では⋯⋯
不満が募る中、アモルを肩に乗せて夕食の席に向かうと、そこには、そんな疑問さえも吹き飛ばすようなものが並んでいた。
「シリウス様! これはもしかして、へームル=ターラーの食器では!? こんなにもたくさん、どうされたのですか!?」
テーブルの上には、お揃いのティーセットを作った職人の食器がずらりと並べられていた。
淡いピンクや水色のバラが描かれた可愛らしいものや、野に咲く小さな花が描かかれた繊細なもの、中には黄色いコスモスが描かれたものもある。
その全てに金彩が施されていて、食卓を華やかに彩っている。
「ミラが贈ってくれたティーセットが気に入ったから、用事のついでにへームル=ターラー氏の工房を直接訪ねて、買い揃える事にした。もうすぐミラの誕生日だから、そのプレゼントの一環でもある」
「そうだったんですね! ありがとうございます! シリウス様!」
キャベツや芋など、春が旬の野菜が使われたお料理が、一層春らしく感じられる。
こんなにも素敵なプレゼントを頂けるなんて⋯⋯
嬉しさのあまり、子どもみたいにはしゃいでしまったけれども、シリウス様はそんな私の反応を見て、嬉しそうに微笑まれている。
「他に何か欲しいものはないか?」
優しい声で尋ねられ、胸が弾む。
けれども、正直に言っても良いものか⋯⋯
「実は⋯⋯お仕事が落ち着くようでしたら、馬車に乗ってお出かけしたいなと思っていました。小川のせせらぎやお花畑を楽しみながら、ピクニックができたらと⋯⋯」
恐る恐るシリウス様の反応を伺う。
「悪いが、それは駄目だ。先程も言った通り、外には危険が多すぎる」
私の希望を却下する彼の表情は、凍りついたように冷たい。
やっぱり駄目か⋯⋯
「そうですか。それならば、読みたい本があります」
「分かった。何冊でもいいから、好きなものを書き出しておいて欲しい」
その言葉通り、シリウス様は私が希望した本は全て揃えてくださった。
それに加えて、誕生日当日には、素敵なサプライズを用意してくださっていたらしい。
お昼時、私の部屋を訪ねてこられたシリウス様は、いつもとは違い、少し浮足立っているように見えた。
「ミラ、見せたいものがある。一緒に来てくれないか?」
手を引かれ連れて行かれたのは、いくつかある応接室の内の一つ。
扉を開けるように促され、ドキドキしながらゆっくりとノブを回すと、室内にはたくさんの花が飾られていた。
「まぁ! 素敵です!」
花瓶に生けられた色とりどりのお花たち。
真っ赤なバラや、黄色い菜の花、真っ白なチューリップの他にも数え切れないほど。
「今日の昼食は、ここでとろう。さすがに川は用意できずに申し訳ないが」
シリウス様にエスコートしていただき、ソファに並んで座る。
今日のお料理は、サンドイッチやロールパンなどがランチボックスに入った、ピクニック仕様だ。
外出は許して頂けなかったけど、希望を叶えてくださったのね。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
花を愛でながらとる食事は、とても満足度の高いものだった。
アモルも私の肩から飛び立って、花と戯れている。
何より、シリウス様が私のために用意してくださったことが、嬉しくて仕方がない。
食後のティータイム中、侍女たちが下がり二人きりになると、シリウス様は私の肩を抱いてくださった。
久しぶりに感じるそのぬくもりに、寂しさと虚しさで空っぽになりかけていた胸が満たされていく。
シリウス様の肩に頭を預けると、優しく髪を撫でてもらえる。
「他に何か希望はあるか? 僕に出来ることならなんだってするから」
目の前にある深い紫色の瞳に、私の姿が映っている。
これほど間近で見つめ合うのは、いつぶりかしら。
「わたくしはシリウス様さえ側にいてくだされば、それでいいです。けれども、わがままが許されるなら、今夜は一緒に過ごしたいです。駄目でしょうか⋯⋯⋯⋯?」
女性側からこんな事を言うなんて、本来なら、はしたない事かもしれない。
けれども、誕生日の効力を使わないと、こんな事言えないから。
恥じらいながらも、彼を見つめ返すと、その表情は、まるで鋭利な言葉で傷つけられたかのように、悲しげに歪んでいく。
「すまない。この後は予定が立て込んでいて」
硬い声で、きっぱりと断られた。
そうなんだ。こんな日くらい、側にいて欲しかったのに⋯⋯なんて、欲張りなのかしら。
「そうでしたか。では、今だけ抱きしめていただけませんか? 好きだと言って欲しいです。出来れば⋯⋯その⋯⋯キスも⋯⋯」
いくら欲求不満だからって、おねだりが過ぎたかもしれない。
そんな不安を打ち消すかのように、シリウス様は微笑んでくださった。
「ミラ、あちらを向いて、じっとしていてくれ」
言われた通り、シリウス様に背中を向けるようにして、ソファに座り直すと、後ろから強く抱きしめられ、心臓が飛び出しそうになった。
マリン系の香りが遅れて、ふわりと漂ってきて、大好きな人の大好きな香りに包まれていく。
「ミラ、妻になってくれてありがとう。僕は本当に幸せ者だ。生まれて来てくれて、僕と出会ってくれてありがとう」
シリウス様は、私の頬にご自身の頬を寄せながら言ってくださる。
私の願いの全てが叶ったわけではなかった。
それでも、シリウス様の温かな愛情を感じられた。
夜。隣にシリウス様はいらっしゃらないけれども、与えられたぬくもりを何度も思い返しながら、気持ちを満たし、眠りについた。
――――夢の中。
誰かが私に話しかけてくる。
黒い髪に黒い瞳が印象的な、ローブ姿の美しい女性だ。
『お姉様。私はずっとこの時を待っていたのよ。今回も楽しませてちょうだいね』
女性がニヤリと口の端をつり上げた瞬間、ぱっと夢から覚めた。
――――ガシャン
大きな物音にベッドから飛び起きると、そこにはナシラがいた。
どうやら、部屋の入り口に飾っていた花瓶の水を換えてくれている途中に、落としてしまったらしい。
「ナシラ、大丈夫? 怪我はない?」
急いで駆け寄る私を見つめるナシラの瞳は、恐ろしいものでも見ているかのように揺れている。
まさか、私に叱られると思っているのかしら。
「ナシラ、どうしたの? そんなに怯えて」
「ミラ様⋯⋯わたくしは問題ありません。申し訳ございませんでした。ただ、ミラ様のお身体が⋯⋯一瞬、黒いモヤに包まれていたような気がして⋯⋯見間違いでしたね! すぐに片づけますから、どうか離れてお待ち下さい! ミラ様がお怪我なんてされた日には、旦那様に首をはねられてしまいます!」
いたずらが見つかった子どもみたいに舌を出すナシラ。
「そんな。大げさなんだから⋯⋯」
ここでナシラの見間違いを軽んじてしまったことが、私の罪なのかもしれない。