10.籠の中のカナリア
私たちが夫婦となった翌日。
「ミラ様! 昨晩はお楽しみで⋯⋯って、あれ? どうなさいましたか⋯⋯?」
朝、ナシラは元気よく私の寝室に入って来た。
しかし、私の表情と、一切乱れのない寝具を見て、何かを察したように表情をこわばらせた。
「シリウス様はお忙しかったみたいね。もしくは、式でお疲れになったのかもしれないわ」
可能な限り平常心を保って返答するも、明け方から今まで泣き通しだった。
望まれて妻になったはずなのに、こんなにも惨めで虚しい朝を迎えることになるなんて、思ってもみなかった。
密かに期待していただけに、自分が品のない、はしたない女になった気分で、罪悪感に苛まれる。
夫婦の営みは、跡継ぎを授かる目的だけではなく、二人の親密さを高め、愛を確かめ合う行為だと理解していた。
それなのに⋯⋯
朝食の席にもシリウス様は現れなかった。
どのような顔をして会えば良いのか分からないから、少しホッとした自分がいる。
食後、部屋で書類を整理していると、ドアがノックされた。
もしかして、シリウス様⋯⋯?
「奥様、失礼いたします」
入って来たのは侍女のアトリアだった。
合わせる顔が無いと言いつつ、シリウス様が来てくださるのを期待している自分が嫌になる。
「旦那様からの伝言をお預かりしております。急な予定が入られて、これからしばらくの間、留守にされるとのことです。あと、贈り物をお預かりしております。この子を可愛がって、いつも連れ歩くようにとの事です」
アトリアの後に続いて入って来た侍女が手に持っていたのは、真っ白な鳥かごだった。
中には黄色い小鳥がいて、綺麗な声でさえずりながら、落ち着きなく止まり木の上をぴょんぴょんと飛び回っている。
「まぁ! 可愛らしい! どうやらカナリアみたいね」
私が寂しくないようにと贈ってくださったのかしら。
けれどもシリウス様の外出は急に決まったのだから、たまたまなのかもしれないわね。
昨晩訪ねて来てくださらなかったのも、急な予定が入ったということなら合点がいく。
安堵した気持ちで、カナリアを鳥かごから出す。
相変わらず忙しなく動き回っていたカナリアは、私の肩に乗ったあと、笛を奏でるような声で歌い始めた。
「カナリアは警戒心が強く、人にはあまり懐かないと聞きましたが⋯⋯」
アトリアは目を見開き、驚いた様子で私たちを見る。
「私の髪の色がこの子の羽根の色と似ているから、親戚と間違われているのかしら。そうね⋯⋯この子の名前は『アモル』にするわ」
アモルとは異国の言葉で愛を意味する。
小さくて愛らしいこの子にぴったりの名だ。
「これからよろしくね。アモル」
アモルはマイペースに飛び跳ねながら、休みなく鳴き続けていた。
結局、シリウス様のご不在の期間は、一週間近くに及んだ。
けれども、アモルの世話をし、戯れていると寂しさも紛れた。
シリウス様からの言いつけ通り、屋敷内では肩に乗せて、テラスでのティータイムの時には、鳥かごに入れて、いつも一緒に過ごす。
「もうすぐ奥様が屋敷にいらっしゃってから、一年が経ちますね。季節が一巡りするのはあっという間です」
アトリアはしみじみと語りながら、紅茶をティーカップに注いでくれる。
「そうね。とても濃厚な一年だったけれども、振り返ってみるとあっという間だったわね」
公爵邸に来てから二度目の春。
この一年間で、名実共にこの家の人間になって、今までとは生活環境が、がらりと変わったけれど、私自身も少しは成長できたかしら。
「ミラ様の二十歳のお誕生日も、もうすぐですね! 昨年は旦那様も戦でご不在でしたけれども、今年は一緒に過ごせると良いですね!」
ナシラは明るい表情で私の顔を覗き込んでくる。
初夜のことを引きずっている私を、慰めようとしてくれているみたい。
「そうね。せっかくの節目だから。シリウス様とゆっくり過ごせると良いのだけど⋯⋯」
お仕事が落ち着いていれば、馬車に乗って少し遠出をするのも良いかもしれない。
これからの時期、ピクニックだって楽しめる。
後でシリウス様にご相談してみよう。
誕生日の過ごし方に思いを馳せていると、屋敷の入り口に馬車が止まった。
あれは、シリウス様の馬車かしら。
「旦那様のお帰りだわ!」
使用人たちは慌てて出迎えの準備をする。
御者が扉を開けると、シリウス様は少し疲れたように、前髪をかきあげながら、馬車を降りて来られた。
そのお姿をお見かけするのは、結婚式以来だ。
「シリウス様! お帰りなさいませ!」
久しぶりに会えたのが嬉しくて、早足で駆け寄ると、シリウス様は一瞬ぎょっとしたような目で私を見た後、馬車の扉を後ろ手で閉めた。
あれ? 今、視界の端に人の気配を感じたような。
もしかして、誰かまだ座っていた?
お帰りなさいの抱擁をするため、腕を広げようとするも、素早く両手を握られた。
「ミラ、まさか、外で過ごしていたのか? もう春なのだから、毒をもつ蜂だって出る。屋敷の外には出さないよう、言いつけてあったはずだが」
シリウス様は侍女たちに鋭い目線を向ける。
「シリウス様、外と言ってもテラスですから。蜂は一匹も見かけませんでしたし、わたくしは大丈夫ですよ?」
「そうだとしても、危険が潜んでいることには変わりない。カナリアを連れて部屋に戻っているんだ」
シリウス様は私の背中を、そっと押した。
申し訳なさそうに頭を下げていた侍女たちに連れられ、屋敷内に戻る。
後ろ髪引かれ、ふと振り返ると、シリウス様はそのまま馬車の扉の前に立っておられた。
そのお姿は、中にいる大切な誰かを守っているかのように見えた。