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煌星のバルトラ  作者: ハル
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律刻の龍



 ユリウスとジュノは人里を目指し、歩みを進めていた。


《ユーリ、わしは森には慣れておるが、人里のことはよく知らんぞ。》


「大丈夫。この辺りの地形は、塔にあった本の情報をあらかた頭にいれてあるから。」


《さすがじゃな!》


「でも古いものばかりだったから、正直なところ最近の事情はわからない。

だから、まずは川を目指そう。塔のてっぺんから見下ろしていた時、南東の方角に見つけたんだ。」


《川なんぞあそこから見えたか?》


「うん。探知魔法で森の中を探っていた時に見つけたんだよ。あの方角には山から流れ出る川がいくつかあるのは間違いない。

山からの水を水源にして生活している人里があると思う。

川沿いは人が移動しやすい自然の道になるんだ。

旅人や商人が通ると、獣道が広がって、それがやがて人と人を繋ぐ道に発展することも多い。だから、川を辿るのが、人里に辿り着く確率が最も高いと思うんだ。」


《なるほどな!小難しいことはよくわからんが、おぬしにまかせるぞ。わしは周囲に危険がないか気を配っておこう。魔物もこの森には出るからな。

まぁわしがいる限り、雑魚どもは臆して出てこないことがほとんどじゃから、安心するといい。》


 ジュノはふんと機嫌よく鼻をならして、得意げに胸を張っている。


「頼もしいよ。ジュノ」

そうして二人は歩みを進めた。


 森には食べられる野草も多く、ユリウスがそれを正確に見分けたおかげで、手持ちの食料をあまり消費せずに進むことができた。


 空気中の水分を魔術で抽出することで飲み水を確保することもできた。


 夜は火を焚きたいところだが、誰の目があるかわからない。草むらや洞窟に身を潜め、防御術式を展開して眠った。


 寝る時にはジュノが体の大きさを変えて、ベッド代わりになってくれたので、硬い地面で寝ずに済んだ。


 そうして森の中を進み続けて三日目の昼過ぎ。風に湿った香りが混じり始めた。草葉を揺らす音に耳を澄ますと、かすかに水音が聞こえる。


「ジュノ、きこえた?」


 茂みをかき分けたその先に、光を反射する水面が広がっていた。ユリウスが思い描いた通りの場所に、川が流れている。


《やったなユーリ!》

 その言葉に、ユリウスは頷きほっとしたように微笑む。しかし、直後ふたりは表情を引き締めた。


「…ほっとしたのも束の間。何か近づいてきてるね。」


《ふむ…フォレストウルフかの。しかし雰囲気が妙じゃ。》


 葉擦れの音に混じって、低く唸るような声が木立の奥から響いた。次第にその気配ははっきりと伝わってくる。


 あたりの木を薙ぎ倒しながら姿を現したのは、緑の苔や葉に覆われた覆われた大柄な狼――フォレストウルフだ。


「フォレストウルフって、たしか普通の狼より一回り大きいくらいのサイズじゃないの?」


《あぁ、こんなに大きいのは見たことがないな。変異個体か。》


ーーどこだ。


声が聞こえた。


ーーーーどこに隠した。


 その声は、目の前のフォレストウルフが発しているようだ。そしてその瞳には、何かに追い詰められたような執念が宿っているように見える。


 フォレストウルフは、牙を見せ、低く唸りながら、一歩ずつ距離を詰めてくる。


「隠したって、君は一体何を探しているんだ。」


 その言葉に呼応するように、地面を蹴り、ユリウスへと牙を剥く。


 その直後、ジュノがフォレストウルフの進路を阻むように飛び出しだ。


 霧のような光が渦を巻き、魔素の密度が一瞬で変わる。

その中心に現れたのは、ひと目で“ただの魔物ではない”と理解できる存在だった。


 ーージュノの、本来の姿。


 それは、見る者に畏れを刻み込む。


 歯車を思わせる文様、風を裂くような白銀の羽鱗、静かに脈打つ濃い金の瞳――


 ユリウスは息を飲んだ。

 その姿は、ふだんの愛らしい姿からは想像すらできないだろう。しかし、その姿には見覚えがあった。


「……ジュノ、その姿は――」


呟く声が、風に紛れていく。

そして、記憶の奥底から、古い本のページが捲られるように、昔目にした伝承が頭に浮かんだ。


ーーその龍は白銀の鱗に、刻の紋様を刻む。


 その姿を見たものは、皆祈りを忘れ、時を忘れ、心を奪われる。


 その金色の瞳は未来を映し、

 その尾は過去をなぞる。


 ――その名を、“律刻の龍”


 それは災厄の兆しか、救済の訪れか。


 ただそこに存在し、世界を見守り続ける孤高の存在。


《……これがわしの本来の姿じゃ。》


そう告げる声は、どこか寂しげだった。


「……そう、なのか。」


 その龍は悠久の時を生きると言われている。それならばジュノは、どれほど長い年月を、たった一人で生きてきたのだろう。


 どれほどの別れを、繰り返してきたんだろう。

 見守ることしか許されず、誰かと共に歩くこともできず。


ーーーなぜ僕の前に姿を現してくれたんだ。


 聞きたいことも、伝えたい言葉も、たくさんある。いや、でも今はこの言葉だけで十分なのかもしれない。


「君と出会って、僕は孤独から救われた。君もそうであったならうれしいな。」


《ユリウス…》

ジュノはこちらをじっと見つめている。


「さぁ、今は目の前のことに集中しよう。…ってあれ?」

 気がつくと、先ほどまで目の前にいたフォレストウルフは一目散に走り去っていた。


《神獣と魔物では格が違うからな。戦う前に敗北を悟ったのだろう。》


「……そうか。戦わずに済んで、よかったよ」


肩の力を抜くように、ユリウスは微かに息を吐いた。


《ふむ。お主であれば、問題なく勝てたと思うが?》


「命を奪わずに済むなら、その方がいい」


 塔にいた頃、狩りは生きるための術だった。母が病に倒れ、独りきりになってからは、しばらく野草で食い繋いでいたが、塔から、弓矢で、鳥や小動物の命を仕留め、食べた。


 命を奪えば、その重さが体に残る。だからこそ、人は食事への感謝を捧げるのかもしれない。


 しかし、目の前で温もりが消えていくのを見ると、胸の奥が冷えていくように感じるのだ。


 生きるためには仕方がないことだとわかっていても、最後まで慣れることはなかった。


 母の命が、ゆっくりと失われていくのと重なったからかもしれない。


 偽善だと言われればそれまでだろう。それでも、苦手なものは苦手なのだ。


 ましてや、意思疎通のできる、先ほどのように自我のある魔物は特に抵抗がある。だから、向こうから戦いを放棄してくれたことに心底ほっとした。


《その心の優しさはお主の美徳じゃが、魔物の中には狡猾なものも多い。いや…魔物に限った話ではないかもしれんがな。生き残るためには、その優しさは弱点になり得る。時には非情さも必要じゃ。まぁ、いざとなればわしが守ってやるがな!》


「心配してくれてありがとう、ジュノ。非情にならなきゃならない時が来たら、その時は――僕なりに覚悟決めるさ。」


そう言ったユリウスの瞳には、すでに覚悟が決まっているようにジュノには見えた。


「そういえば、さっきのフォレストウルフ、何かを探ししているようだったね。」


《ん?あぁ、そういえば、そうじゃな。まぁ、考えたところで仕方ない。》


「…そうだね。ひとまず、川まで辿り着いたんだ。ここからは速度を上げよう。」


 ユリウスは身体強化の魔術で筋力を強化し走り出す。それに続くように、ジュノも獣の姿へと戻り、軽やかに森を駆け抜けた。



***



 森を進んで五日目の朝、霧が晴れた森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。緩やかな丘陵の向こう、煙が立ち上る屋根が見え、畑を耕す人影がかすかに動いている。


「…人里だ。」


 森を抜けた先で2人が最初に辿り着いたのは、小さな村だった。


 穏やかな風が常に吹き抜けるその土地では、風車がカラカラと軽快な音を立て、畑には数人、忙しなく手を動かす人の姿も見えた。


「はじめて、母さん以外の人を見たよ……うわぁ、ちゃんと話せるかな?」


 そわそわと目を輝かせながらあたりを見回していたユリウスだったが、しばらくすると立ち止まり、目を細めた。


《どうした?》


「うーん、…いや少し気になったことがあって。まぁでも、とりあえず言ってみよう。」


そういって再び歩みを進めようとしたユリウスの進路をジュノが遮った。


「?」


《見たところ辺鄙な村じゃ。わしのような高貴なものを連れていては警戒されるだろう。》


「あぁ…そうか。そのままでは騒ぎになるかもね。魔物と思われるだろうし…。ちっちゃい姿に戻ってカバンの中にでも入っておく?」


 そう言ってごそごそとカバンを開けようとするユリウスの頭を《荷物扱いするでないわ!》といいながらジュノは、スパンと音を鳴らして叩いた。


 そしてその後、《ちょっとこっちにこい。》そう言ってジュノは、茂みの裏へと移動した。


 そして移動した直後、ぼわんと煙が巻き上がる。驚いたのも束の間、煙が晴れそこに姿を現したのは、モコモコの毛玉姿ではなく、一人の幼い少女だった。幼いと言っても年の頃はユリウスよりも少し下くらいだろうか。


 絹のように輝く白く長い髪と金色の瞳。それでいて、彼女の口元には年齢不相応な静かな微笑みが浮かび、言葉を発することなく、こちらをじっと見据えている。


「…ジュノ?」


「ふふん!驚いたか!」


 少女は得意げに鼻を鳴らした。どうやらこの目の前にいる少女はジュノで間違いないらしい。


「おまえ、メスだったんだな。」


「…おぬしは賢いくせに、たまにずれとるの。」


 ジュノはよっこらせと立ち上がると、自身の姿を見せつけるように手を腰に置いた。


「メスだったのかと申したが、厳密に言えば不正解じゃ。」


「ちょっと、ジュ…」


「わしはとてつもない長い年月を生きてきた神聖なる存在。神格化した魔物に性別はないのじゃ。だから女でなく男の姿になることもでき「ジュノ。」


 調子良く語るジュノを言葉を遮り、ずいと鞄から取り出した外套を突き出す。


 不思議そうな顔でユリウスを見つめるジュノから顔を背けたまま、ユリウスはため息をついた。


「とりあえず、これ着て。」


 そう、魔物は皆服を着ていない。その状態で人に化ければもちろん素っ裸である。


「おーそうじゃった。人の姿をとったのは随分昔のことじゃったからな。うっかりしておったわ。」


 受け取った外套をジュノは羽織った。ユリウスが持っていた麻紐で腰上辺りをキュッと縛る。一見ワンピースのようになったが、このままというわけにもいかないだろう。


「村に入ったらまずは服を調達しよう。まだ硬貨はないけれど、薬草と物々交換ならしてもらいるかもしれない。靴も買わないとな。」


 すべきことが決定した二人は、茂みから出て村の入り口を目指し歩き出した。


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