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煌星のバルトラ  作者: ハル
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運命の少女


 燃え尽きた灰はまだほんのりとぬくもりを残していた。膝をつき、両手で灰を掬いあげる。


――遺体は燃やし、大地に返すことで、魂は主の御もとへ帰還する。


 それは、かつて本の中で読んだ言葉だった。人は燃やされ、土に還り、命の輪へと戻るのだと。


 信仰心があるかと問われれば、否と答えるほかない。神に祈ったこともないし、信じてきたのは、ただ積み重ねた己の努力と研鑽、その歩みだけだった。


 だがこの供養の方法は、大陸の多くの地で広く行われているものらしい。もしかしたら母の故郷でも、同じようにして人を送ったのかもしれない。


 母の遺灰は、いずれその故郷へと届けよう。どこにあるかもわからない。けれど、地道に調べていけばきっと見つけられるはずだ。


 それまでのあいだ、少しでも安らかにあってほしい。


 自らが積み上げてきた全てをもって、どう足掻こうとも、決して届かぬものがこの世にはある。それを、覆しようのない現実として突きつけられたとき、ユリウスは生まれて初めて、神というものに祈った。


 両手で掬った灰に視線を向ける。母がいたという証。


「どうか、安らかに。」


《ユーリ…》


 隣でジュノが心配そうにこちらを見つめている。


「…君がいなかったら、耐えられなかったかもしれない。」


 そう言ってジュノの頭をそっと撫でた。


「同じ思いをさせるところだった。それも、一人ぼっちで。…ごめん。君を残して、いなくなろうとしたんだ、僕は。」


 ジュノの毛並みにそっと手を埋める。


「ごめん、本当に……ごめん。」


 言葉でいくら尽くそうとも、きっと足りない。それほどの裏切りだ。


《…お主は今ここに、わしの隣におるじゃろう。それだけで、よい。二度とあのような真似はするなよ。》


「うん。約束するよ。」


ユリウスが震える声でそう答えると、ジュノは優しげな瞳で微笑んだ。



***



《ついに、じゃな。》

 ジュノは珍しく少し緊張したような表情をして呟いた。


 ユリウスは床に書き記した魔術式の中心に立ち、瞳を閉じて集中力を高めている。


 自身の呼吸と呼応するように、周囲の魔素が具現化し、キラキラと煌めき、大気が揺れている。


「うん。いい感じだ。…やるよ。」


 そう言ってユリウスは片手を翳す。大気の揺れが強まっり、本や、椅子、窓、あらゆるものが音を立てている。


「中途半端はなしだ。生きるか…死ぬか。いや、必ず生きてここを出る。それ以外に道は、ない!」


 意を決したように、瞳を見開き、術式にありったけの魔力を流し込んだ。


 魔素同士が反発するように風がうまれ、ユリウスの顔を叩き、髪を乱す。


 今心にあるのは、目の前にあるこの美しくも強大な魔術を屈服させること。ただそれだけだった。


 塔の最上階の屋根に登って、森を抜けた先にある広大な世界へ思いを馳せることがユリウスの数少ない楽しみの一つだった。


 物心ついたときにはすでに、この塔にいたユリウスにとって、その場所は、世界を感じられる場所だった。


 文字が読めるようになってからは読書に夢中になった。本を読むたびに、自分の中の世界が広がっていくように感じ、楽しかったのだ。そして、本から知った世界を思い浮かべて、塔の天辺から見える景色の先を眺めていた。


 次第にここを出るということだけに固執するようになっていった。ずっと焦燥感にかられるように生きていた気がする。


 母が心を病んでから…いや、もしかするともっと前から。


 ユリウスはここを出るために必要なことが何かを幼い頃から不思議と理解していたように思う。


 本を読み、魔法についてのあらゆる術式を網羅した。


 自身の魔力は常に全開状態にして、魔力枯渇で意識混濁や嘔吐症状がでるまで追い込み、回復したらまたその繰り返し。


 自分の魔力量を限界まで引き上げること。それが彼の目標だった。ひたすらに魔力の増幅方法を自身の体で試し、高みを目指し続けた。


 それもすべては今日、この時のため。


 ジュノが見つめる、ユリウスの瞳に宿る光は、まるで星そのものが燃え盛るような、計り知れない力の輝きがあった。


「降れ。」


 声が塔に響く。その一言を皮切りに、ユリウスの蒼い魔力の波動が、塔のあらゆる場所に書き記された術式の羅列に沿ってものすごい速さで伝っていく。


 それが塔全体に行き渡った頃、その波動は塔の周りを囲む結界にまで伝わっていた。


 そして、ガラスのように美しい姿の結界が目に見える形で現れたと同時に、バリンと音を立てて砕け散る。


 一瞬全てが崩壊したように見えたが、その直後、まるで時間が巻き戻るように砕けたかけらが元に戻っていく。そして、元に戻った時には全てが美しい蒼の光を放ち煌めいていた。


 術式はついに破られ、その全てがユリウスの配下に降ったのだ。


 結界内の空気が一気に変わった。初めて感じる解放感にユリウスは天に顔を向け瞳を閉じた。


 天窓から注ぐ一筋の光がユリウスを照らしている。光に反射しながら、空気中を漂う魔素の粒子が降り注ぐ。


 まるで一枚の絵画のように美しい光景にジュノはしばらく魅入っていた。


《本当にやりおった…》


 そう呟いた後、ユリウスの元へと駆け寄る。


《ユリウス!ようやった!ようやったなぁ…!》


 ジュノの声に振り向き、柔らかな笑みを浮かべた直後、ユリウスの体がゆらりと傾き、そのまま床へと倒れ込む。


《…っ!ユリウス、しっかりするんじゃ!!》


やり遂げたことに安心したのか、そのままユリウスの意識は、ゆっくりと沈んでいった。



***



 気がつくとユリウスは真っ白な空間に立ち尽くしていた。見渡す限りの白がどこまでも続いている。


 ここは、どこだろう。死ぬ間際に夢でもみているんだろうか。こんなに体がかるいのは久しぶりだ。


 どこか夢見心地のまま、そっと自身の体に目を向けた。


 身につけているものは倒れていた時と変わっておらず、くたびれた白いシャツに七分丈のブレー。


 五感は研ぎ澄まされているのに、頭の中はどこかぼんやりしているような、体験したことのない不思議な感覚だった。



「ふふ」



 ――笑い声?


 辺りを見回すが誰もいない。



「だれかいるのか。」


 ユリウスが問いかけると、後ろからタタッと走り去るような足音が聞こえた。



 すぐに振り返ってみるがやはり誰もいない。



 足音のした方に向かってみることにした。なぜだか、声の主に手招きされているように感じたのだ。



 歩き続けてどのくらいたっただろう、ふと背後に違和感を感じて振り向くと、“彼女”はそこにいた。



 先ほどまで何もなかったはずの空間に、突然現れたようだった。



 自分と同い年くらいの少女に見えるが、その姿は影のようで、しかし影よりも暗く、深い色に包まれているように見える。



 膝を抱えしゃがんで俯いているため表情は見えない。



「君は…」



 声をかけた直後、影の少女はばっとこちらに顔を向けた。その顔を見た瞬間、ユリウスは息を呑んだ。



 少女の顔にはぐじゃぐじゃと黒の線がほとばしり、蠢いている。色がない。しかしその中で、口だけは真っ赤に弧を描いているその姿は異様だった。



ーーーて。



 少女の真っ赤な口が歪に形を変えながら、何かを伝えてくる。その言葉はどれだけ耳を傾けても、頭に直接響いてくるような雑音に遮られ、聞き取ることができない。



 ユリウスに声が届かないことがわかったのか、少しの間少女は沈黙し、そっと片手をユリウスの方へとかざした。



 その指先がユリウスの額に触れた直後、バチっととてつもない衝撃が脳を揺らす。未だかつて経験したことのないほどの衝撃に意識が飛びかける。



 その直後、自分の中へ収まりきらないほどの何かが流れ込んでくるのを感じた。



 それは誰かの感情か、それとも記憶の断片なのか。



 これは夢なのか現実なのか、そんなことを考える余白も、その圧倒的な情報量に埋め尽くされていく。



 一瞬とも、永遠とも感じる時間が流れる。



 あの少女のものだろうか、とてつもなく深い悲しみの感情が、自分の中にぽとりと跡を残す。



 情報が錯乱する世界の中で、ユリウスは再び意識を手放した。



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