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煌星のバルトラ  作者: ハル
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恋に落ちた少女



 ルネは、調査団のリストに自分の名前を見つけた時、真っ先に何かの手違いを疑った。


 大陸の主要三カ国が威信をかけて挑む、叡智の森《ミレス=グローヴ》共同調査。


 英雄的な兄レメレイに比べれば、自分はただの学生に過ぎない。死地を潜り抜ける胆力も、冷徹な戦術眼も、ルネは持ち合わせていなかった。


 ――なぜ、私が。


 自問自答の末に出した結論は、自嘲気味なものだった。兄の暴走を止めるための「身内」という名の重石か、あるいは有事の際に切り捨てても惜しくない「駒」か。


 そう考えれば、選ばれた理由も少し理解ができる様な気がした。


 実際、調査団の顔ぶれは想像以上だった。国外にまでその名が届くほどの人物たち。


 その中で、自分はひどく場違いに感じたが、公国の代表としてこの場に立っている以上、自信がないなどと言っている場合ではない。


 ルネは背筋を伸ばし、常に気を張っていた。


 しかし、塔の敷地内へと足を踏み入れた瞬間、己の卑屈な思いが根こそぎ吹き飛ばされたのだった。


 呼吸を忘れるほどの衝撃。


 中庭を埋め尽くす植物は、どれもこれもが図鑑のページから抜け出してきたように生命力に溢れている。


 「これは……まさか……」


 足が勝手に、その中へと吸い寄せられる。


 この紫の蔓草は、八十年前に絶滅したとされていた『星辰華せいしんか』だ。


 あの青い木の実をつけた灌木は、伝説にのみ登場する『凍土の血脈とうどのけつみゃく』。魔力を養分とし、周辺の地質温度を上昇させるという――。


 ルネの脳裏では、今までに得た植物学の知識が猛烈な勢いで巡っていた。


 書籍や植物標本でしか見たことのない種。文献でしか知らなかったはずの幻の種。あるいは、それすらも超える、未だ学術的に確認されていない新種すら存在しうる。


 それらが今、目の前で息づいている。


 一歩踏み出すごとに、新たな発見がルネの目を奪った。

 彼女は夢中で手帳を取り出し、目に映るもの全てを克明に書き留めていく。


 植物の形状、花の色、葉脈の走り方、そしてそこから感じ取れる微弱な魔力の波動まで。


 一つでも多く、記録に残すことが自分の使命とすら思った。


 採取も試みたいところではあるが、先ほどの騎士が吹き飛ばされた件があるため様子を見た方がよいだろう。


 だが、花粉のみでも持ち帰ることができれば、培養も可能かもしれない。なんとか方法を見つけたい。


 ルネはしばらくの間、中庭の植物に夢中になっていた。

 しかし程なくして、フェルレンが慌てた様子で引き返してきたところで現実に引き戻される。どうやら、塔の中で何かを発見したらしい。


 兄たちと急足で向かう。そしてそれに出会った。


 壁や床を埋めつくす魔術式。それは紛れもなく古代魔術の類。


 ルネは現存されている古代魔術の術式は、そのほとんどを理解し、記憶している。


 けれど、その場に刻まれた魔術式は、そのどれにも当てはまらなかった。


 どこに目を向けても、自分の知識の範囲ではとても理解には及ばない。


 背筋を冷たいものが這い上がる。


 けれど同時に、胸の奥では、その恐怖心を上回るほどの高揚がどくどくと脈打っていた。


 これは、自分の知識の遥か先にあるものだ。


 この術式を紐解き、その真理を理解するのに、自分の一生を捧げても、きっと届くことはないだろうということが直観的にわかる。


 畏怖という言葉が、これほど正確に当てはまる感覚を、ルネは初めて知った。


 まったく、なんという日だろう。衝撃の連続で、もう心臓が持ちそうにない。


 その感覚が胸に落ちた瞬間、幼い頃の記憶が蘇る。

 

 木陰に身を潜め、窓の隙間から、板に書かれた文字を必死に追っていた頃。学ぶことが許されなかった、あの頃。


 これを書いた人物は、正気じゃない。


 ルネなど足元にすら及ばない場所に立っている存在のはずだ。そのはずなのに、貪る様に知識を得たいと願ったあの日の幼い自分と、この魔術式を描いた人物がなぜか重なった。


 理解したい。触れたい。この思考の果てを見てみたい


 震える指先が、空中で術式の輪郭をなぞる。 恐怖はすでに、熱狂へと書き換えられていた。


 ああ、と彼女は気づく。


  私は今、この魔術式に、恋をしている。




***





 カイラスたちは、魔術式は一度公国の面々に任せ、更なる内部調査を進めていた。


 数百年以上前に建てられたであろう建築物が、森の中心に現存していたという事実。


 中庭に咲き乱れる希少な植物群。至るところに施された、極めて高度な魔術。


 すでに今回の調査だけでも、得られた成果は多い。


 しかし塔の内部は想像以上に広く、全容を把握するには相当の時間と人員を要することが明白だった。


 その場に集った各国代表の意見は、調査人員を増員し、長期調査へ移行すべきとのことで一致している。


 しかしその時、カイラスのもとに、一羽の光の鳥(ルーメル)が舞い降りる。その脚に結ばれた、封蝋の施された一通の封書。


 「調査を直ちに中断せよ、とのことだ。」


 そばにいたクロードの表情が険しくなる。


 「その紋章は……聖エルタリア教会か、厄介だな。しかし、なぜ教会が横槍を?」


 「わからないが、叡智の塔は聖域であるため、これ以上の調査、立ち入りを禁ずるとのことだ。情報統制は敷いていたはずなのだが……やはり教会の目と耳は多いらしい。」


 そのやり取りを聞いていたフェルレンが、少々気まずそうに呟いた。


 「公国の方々、教会と敵対してでも残ると言い出しかねませんよ。あの様子だと。」


 レメレイとルネを筆頭に、公国の魔術師たちは、調査に没頭している。


 彼らは魔術と学問を極めた大陸屈指の実力者たちだ。中には各分野の重鎮らしき人物たちの顔もそろっている。


 そんな者たちが、まるで学生のように目を輝かせながら調査を行っているのだ。


 中でもルネは、あの魔術式を見てからというもの、そのそばを離れようとせず、どこか陶酔にも似た眼差しで、壁や床に書かれた術式を目で追っていた。


 チラリとクロードに視線をやると、思案気な様子でレメレイたちを見つめている。


彼は冷静で、頭の切れる男だ。レメレイたちを説得することも、彼の方が容易だろう。


しかし、教会はあくまでカイラスの母国であるルクシオンに本拠地を置く組織。


 クロードに説得させるというのはおかしな話だ。ここは自分が、真正面から想いを伝えるべきだろう。そう考え、レメレイたちの元へ迷いなく歩み寄っていった。


 「レメレイ殿!調査を中断することになった!」


 背後で「えっ……カ、カイラス様!?」と、フェルレンが上ずった声を上げるのが聞こえた。


 「……中断とは?」


 レメレイが術式から視線を外さぬまま応じる。


 「聖エルタリア教会から、光の鳥(ルーメル)が。『聖域への立ち入りを禁ず』との事だ。……本来なら、彼らの耳に届くには早すぎるはずなのだがな。」


 「なるほど。教会が出てきましたか。教会は大陸中に根を張っている。どこから情報がもれてもおかしくはない。

……皆さんは撤退のご準備を。私はこの場に残ります。」


 そう言い放った彼の瞳にからは、揺るぎない決意が伺える。


 「で、ですがレメレイ様。教会は大陸全土に信徒が存在し、近年では大国と並ぶ発言権を有しております。ルクシオンに本部がありますから、必然的に王国側とも敵対することに……一度、公王の指示を仰ぐべきでは。」


 「えぇ、ですので貴方たちは一度公国にもどり報告を。これは私の独断です。」


「そ、そんな…レメレイ様」


 公国の魔導士たちも流石に教会と敵対することの重大さから困惑している様子だ。


「レメレイ殿、ここは一度引くべきだ。」


「……カイラス殿。あなたは、この世に現存する古代魔術の文献が、どれほど少ないかをご存じですか。


それらがどのように守られ、受け継がれてきたか。たった一文の魔術式のために、どれほどの人間が、己の命と人生を賭してきたか。


私は魔術に携わる者として、この命に代えてもここを守らねばならない。」


 有無を言わさない威圧感。なるほど、やっとこの男の内側が見えたような気がする。


 公国屈指の実力者。そして、彼はただ魔術を愛しているのではない。そこには、並々ならぬ覚悟と信念が存在しているのだろう。


「理解できる。この場所が、我々の明日を変える『希望』であることは、魔術に疎い私とて同じ想いだ。……だが、レメレイ殿。ここで孤立して立て籠もるのは、ただの玉砕だ。それでは守れない」


 優雅に、しかし確かな意志を込めて右手を差し出した。


「三国共同の総意として、正式な調査権を教会から勝ち取る。それこそがこの塔を真に守る唯一の道だ。……幸い、私は手強い相手との駆け引きに胸を躍らせる性質でしてね」


 レメレイはカイラスから視線を魔術式へと移し、口をつぐむ。


 「……くっ……」


 レメレイは、感情と理性の狭間で揺れている様子だったが、しばらくすると重いため息をついた。


 「……はぁ。わかりました。確かに、ここで居座り続けることが最善とはいえないかもしれません。拗れて余計に遠のく可能性の方が高い。万全な準備と体制を整えましょう。公国の力をいまこそ結集する時です…。」


 後半は若干仄暗い表情を浮かべた気もするが、ひとまず納得してくれたようだ。


 「カイラス、レメレイ殿、感謝する。帝国側も最善を尽くすつもりだ。


早速で悪いが、皆、撤収準備を進めてくれ。念のため言っておくが、敷地内のものは、持ち出さないように。」


 一連を黙って見届けてくれていたクロードの声を皮切りに、撤退作業が開始された。


「持ち出そうにも持ち出せないでしょうけどね。」


 フェルレンが少し残念そうに呟いた。


 「意外だが、ルネ嬢はレメレイ殿以上に、あの魔術式に夢中なようだな。」


 カイラスの視線の先にいるルネは、先ほどと変わらない様子で、術式と手元の手帳に目を向けている。


 「まるで恋する乙女のような表情じゃないか。あの様子だと、今の話も聞こえていないだろうな。」


 「無理もありません。あの術式は、まるで底が見えない。知識が深い者ほど、魅了される。

古代魔術な知識において、彼女の右に出るものは公王くらいなもの。正直、その分野で言えば私以上です。」


「ほぉ。あの歳でそのまでの才覚を持つとは、将来が楽しみだな。」


 撤収の準備が始まる喧騒の中、一人だけ術式に魅了され、世界から切り離されているルネ。異質なほどの集中力だ。


「……えぇ、本当に。」


その言葉とは裏腹に、レメレイの表情にはどこか陰りが見えた気がした。


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