美しき古塔
調査隊は順調に歩みを進め、ついに深部まで到達していた。ドライアドとの遭遇以降、他の魔物と出会うこともなく、森は極めて平穏だ。
以前までのその森では考えられなかったことだ。そしてそれは、常に最前線に立ち続けてきた第二騎士団所属の騎士たちが最も痛感しているところだろう。
帝国に限った話ではないが、魔物が森の外へ溢れ出る前に、各国は定期的に討伐を行ってきた。表層だけでも、滅多に見ないレベルの魔物が何体も存在していたため、その度に負傷者が多発していたほどだ。
そんな場所が、今はこの通り。小鳥のさえずりに小川のせせらぎ、時折り頬を触れる風は清涼で心地よい。
「魔素の濃度はやはり中心部に向かうにつれて濃くなってきてはいますね。…若干青みを帯びてきているような気がします。」
手元の魔素測定器を注視しつつ、クロードの隣を歩いていたフェルレンが呟いた。
測定器のガラスの中には、光の粒がふわふわと舞っている。森の表層では白色の光を帯びていたそれは、フェルレンの言う通り、美しい青みを帯び始めていた。
レメレイは横からそれを覗き見ている。頬を染め、うっとりとした表情を浮かべ、若干息が上がっている。
「……美しいですねぇ。永遠に見ていたいほどです。」
「確かに美しいな!魔素とは本来こういった色をしているものなのか?」
「カイラス殿は、魔素にも種類があることをご存知ですか?」
「種類…というのは、属性のことか?」
「たしかに魔術には属性があります。火、水、風などですね。術式を介して魔素を変質させ具現化させたものが魔術なのです。
どの属性魔法を使用するにしても、元となる魔素はすべて同じ。しかしその魔素自体にも種類があります。まぁ種類というより質の違いといったほうが正しいかもそれませんね。
死の大地などはいい例と言えるでしょう。あのように魔素が澱み、いわゆる瘴気と呼ばれる状態に変質することもある。
逆に、人がほとんど立ち入らぬ聖域や、神話に語られるような神域に近い場所では、まれに“極めて純度の高い魔素”が観測されることもあるのです。
そしてどちらにおいても、ある一定の域に到達すると、目視でも確認できるそうです。私もまだ目にしたことはありませんが。
この測定器は、そう言った目視できない魔素を目視できるようきするための媒介のようなものなのです。なので、本来の色に極めて近い、と言えるでしょうね。」
レメレイの説明を聞いたカイラスは感心したように眉を上げた。
「ほぉ、興味深いな!仮にこの場所が神域化したというのであれば、魔物がいないのも納得だ。しかしこういった事象はありえることなのか?」
目を輝かせ、立て続けに質問する様はまるで生徒と教師のようだ。ぐいぐいと距離を詰めるカイラスを気にした風もなく、レメレイは穏やかな表情で続けた。
「まぁもともと人の立ち入れぬ場所でしたので、その可能性もゼロではないでしょうね。しかし、魔素の質というものは長い年月をかけて変質するものです。短期間でここまで変化するというのは本来ありえないことです。まぁ、例外はありますが。」
「例外?」
「…死の大地か。」
「さすが、シャルヴァン殿。察しがいい。
えぇ、その通りです。死の魔女アルテアは一瞬にして緑豊かな大地を、不毛の地に変えるほどの淀みを生み出した。つまりはそういうことなのではと、私は考えています。
ではなぜそんなことが可能だったのか。これには諸説ありまして、オルドラの高名な研究者たちの間でも意見が分かれるところです。ここで論じてもあまり意味はないでしょう。
ひとつ、現時点で確実なことは、この濃度と純度は、私の知る限り規格外のレベルであるということです。自然発生の可能性は極めて低いのではないかと。
そして、中心に近づくにつれ濃度が高まっていることから、この原因は間違いなく、今我々が目指す先にある。」
「……おもしろいじゃないか。はてさて、何が出てくるか。ドライアドの言っていた、“あの者”なる人物とも会えるかもしれないな。」
そう言ってカイラスは心底楽しげな表情を浮かべた。
「“この森は、あの者のおかげでかつての姿を取り戻すだろう。…他の精霊たちはすでに皆解放された。”」
ルネはドライアドの言葉を書き記していたらしい。手元の手帳に目を落としたまま続ける。
「瘴気に触れ、魔物に身を堕とした精霊を救う術はなく、討伐するほかありません。ですが、森林狼となっていたドライアドは、カイラス様がトドメを刺した直後、本来の姿を取り戻していました。」
カイラスは無言で腕を組む。その様子を横目に見ながら、ルネは続けた。
「あくまで推測ですが、その本来の強さ故に、魔物となった体と深く絡み合い……解放された後も元に戻れずにいたのかもしれません。
魔物に身を堕とした精霊の解放。これは本来、ありえないことです。精霊が魔物になる事例は珍しくはありません。
精霊は土地に大きな影響を与えるため、公国でも長年研究が続けられてきました。それでも、未だ解放の成功例はひとつとして確認されていないのです。」
ルネの言葉を受け、レメレイが意味深に微笑んだ。
「精霊の解放を成し遂げた人物。そんな存在が本当に存在するのなら、ぜひともお会いしてみたいものですね。」
魔術に関わる事柄において、公国の右に出る国はない。そんな公国が何年も研究を重ね、それでも実現に至っていないのだ。
そんな偉業を成し遂げたならば、普通ならば地位や名声を求め名乗りをあげるだろう。しかし、未だその影すら掴めずにいる現状が、なんとも不気味に思える。
クロードは思案気に深く息を吐いた。
「……精霊を解放せし者か。もし実在するならば、その人物が森の異変に関与している可能性は高い。一度、上に報告しておくべきか。」
クロードの視線を受け、ルネがすぐさま腰のポーチから紙の束を取り出した。
差し出された紙束にサッと目を通した後、クロードはその報告書を《光の鳥》ルーメルへと取り付けた。
「よくまとまっていて助かる。ルネ嬢、引き続き頼めるだろうか。」
クロードの言葉に、どこか安堵した様な表情を浮かべたルネは「もちろんです。」と答えた。
「あの紙束、もしかして報告書ですか?いつの間に…」
フェルレンが驚いた表情を浮かべる。
「ルネの記録はかなり精密ですよ。早いですしね。実は、書籍も出していて、もしかしたら皆さんもご存知かもーー」
「兄さん、その辺にしておいて。」
そう言ってレメレイを止めたルネの頬は、朱に染まっている。
「そういえば、先の三国会議では例の通信魔導鏡が久方ぶりに使われたと聞いたぞ。離れた場所からでも、まるで目の前にいるかのように話せるとか。」
カイラスの言葉に、レメレイは肩をすくめた。
「あれが使用されたのは、黒呻病の流行以来ですか。あの化石のような魔道具も、日の目を見られて喜んでいることでしょう。
開発が続けられていれば、今頃は普段使いできるまでに至っていたかもしれません。このような遠征にこそ役立ったでしょうに。残念なことです。」
その時だった。
「……見てください!」
突然声を上げたフェルレンに、全員の視線が集まる。彼の手元の魔素測定器が、今までにないほど鮮やかな青を放ち、強く輝いていた。
「……なんと美しい。」
光を見つめるレメレイが息を呑む。
「レメレイ殿、これは一体……?」
クロードは眉をひそめ、レメレイへ問いかけた。
だがレメレイは答えなかった。すでに測定器から視線を外し、森の奥を凝視していたからだ。
霧がうっすらと立ち込め、先の様子はよく見えない。しかし、目を凝らすと木々の向こうに巨大な何かの影が浮かび上がっていた。
「なんだ、あれは……」
ゆっくりと霧が晴れた先、そこにあったのは、巨大な古塔だった。その荘厳な姿に、調査隊の面々は思わず息を呑む。
「塔……?」
「ははっ……まさか本当に存在していたとは。」
「カイラス、何か知っているのか?」
「クロード、君も知っているはずだ。“三人の王の物語”。誰もが幼い頃、一度は耳にする寝物語…いや、伝承さ。」
カイラスの言葉に、ハッとする。大陸で、もっとも有名な物語のひとつ。伝説の聖騎士が眠る場所。
「寝物語や伝承というものは、史実の断片や、先人たちが後世に遺したいと願った想いが、人から人へと渡るうちに形を変えていくのでしょう。
この塔も……きっと、その一つなのかもしれませんね。」
レメレイの言葉に呼応するかの様に、あたりの木々が風に揺れ音を立てた。
一体いつからここに存在していたのだろう。この森は共同監視区域として指定されて以降はもとより、瘴気と魔物の発生によって、長年、人が足を踏み入れることすらできない状態にあった。
それ以前も、不可侵領域だったはずだ。ということは、少なく見積もっても100年以上前に建てられたと考えれる。
塔は森の緑に抱かれるように立ち、ただそこだけが異質な静けさに包まれ、時が止まっているかのようだった。伝承となるほどの長い時間を、この場所で。
魔物の蔓延るこの森の最奥で、これほど美しい状態を保ちながら。にわかには信じられない話だ。
「……まだ少し距離がありそうだ。慎重に進み、あの建造物からほど近い場所に陣を張る。そこからは、少数で潜入し、内部を探ろう。」
クロードの言葉に全員が同意を示し、調査隊は塔へ向かって歩みを進めた。




