蘇る記憶
「改めまして、僕はユリウス。こっちは、ジュノ。」
ユリウスの膝に乗っていたジュノは、あくびをしながら男の方に顔を向けた。
《よろしくな、小僧》
「……獣人、ですか?」
「うーん、少し違うんだけど、説明はちょっとむずかしいんだ。ただ……僕にとって家族みたいなものだよ。」
ユリウスはそう言って、ジュノの柔らかな毛並みを撫でた。顎を撫でられると気持ちが良いようで、ゴロゴロと喉を鳴らしている。その姿は、とても神獣には見えない。
「君の名前を聞いてもいいかな?」
ほんのわずかな沈黙のあと、男の唇がかすかに動く。
「――セヴァ、です」
「セヴァ、か。よろしく。」
セヴァは、返事をするでもなく拳を握りしめ硬直している。緊張しているような、そんな様子に見えた。
「僕たちは二人で旅をしているんだ。リフノアにはつい数日前に立ち寄ったばかりで、今は知り合いの宿に身を置かせてもらっている。」
《しかしお主、聞いてた印象とは大分違う様じゃ。もっと粗暴なヤツかと思っておったのに》
ジュノの不躾な言いように、セヴァは数度まばたきをしてから、気にしたそぶりもなく話し始めた。
「たしかに、奴隷に落とされた直後は……目に映る人間、全員を殺してやろうとさえ思っていました。
実際、最初に買われた時には……主人の足を、噛みちぎったこともあります。」
《お、おそろしいやつじゃな……》
ジュノがささっとユリウスの背中に隠れ、呟いた。
「奴隷紋を刻まれれば、奴隷は主人に逆らえないと聞くよ。」
「はい。逆らえば、身を焼かれるような痛みに襲われます。ですがその時のわたしは、その痛みすら凌駕するほどの、怒りや憎しみといった感情に飲み込まれていました。」
まるでその時の烈情を吐露するように、セヴァは続けた。
「俺は、あいつらを1人残らず殺してやりたかった。自分が死ぬまでに、できるだけ多くの人間を傷つけてやろうと考えていました。」
「……死ぬまでに、というのは、殺される前に、という意味かな」
「その通りです。主人に逆らう奴隷など処分されて当然。しかし、やつらは俺を甚振りはしたが決して殺すことはありませんでした。
加虐欲や性欲を満たすために興味本位で買った…なんて奴も中にはいましたが、購入者の大半は、俺の血を欲していたからです。」
ユリウスが徐に口を開く。
「……それは、君の一族としての能力を、ということかな。」
「はい。“使い方”によっては、いくらでも金になる。
だから……躾けて飼い慣らそうとしたのでしょう。
しかし、うまく躾けることもできず、指示もまともに聞かない“不良品”だと気づくと、奴隷商人に返品し、浮いた金で別の奴隷を連れ帰っていました。
……ああ、この地獄に終わりなんてないんだ。
そう理解した瞬間、急に怖くなった。次第に反抗する気力も、無くなっていきました。
暴力と陵辱の中に身を置く中で、心まで奴隷に落ちていった。」
セヴァはそこで言葉を止め、緋色の瞳でユリウスを見つめた。
「……よろしいでしょうか。」
「もちろん。」
「俺に望むものはないと、先ほど。それならばなぜ……助けてくださったんですか。俺は、こんな体です。もはや一族の血すら、何の役にも立てず、お返しできるものもありません。」
セヴァは、どこか縋るような視線をこちらに向けている。自分の存在意義を求めるような、何かを恐れているような表情に見えた。
「……」
今、彼にどんな言葉をかけるべきなのだろうか。もしユリウスが、普通の少年の様に生きて来ていたならば、何かぴったりな言葉が見つかったのだろうか。
そんなことを考えながら、ユリウスはせめて思いは伝わる様にと願いながら、セヴァの握りしめられた拳の上にそっと手を添えた。
「…偽善だと思われるかもしれないけれど、あの時あの場で君を置いていくことは、絶対に許容できなかった。
それに君と目が合った時に感じたんだ。まだ生きたいと、必死に抗っているように。」
ユリウスの言葉を聞いたセヴァは、少し戸惑っているような表情を浮かべている。
「これからのことは、ゆっくり考えたらいい。まずは療養!君がすべき事はこれだけだ。治療もまだ途中だしね。」
セヴァは目覚めたばかりだし、今日はこのくらいにしておいた方がいいのかもしれない。そう思い、ユリウスは自室へ戻る準備を始めた。
「料理は置いておくから、食べれそうな時に少しずつ食べてみて。あぁ、あとこれ。」
ユリウスは懐から取り出した首飾りをセヴァの首にそっとかけた。
「これは…?」
「魔道具だよ。僕は一度自室に戻るけど、もし何か助けが必要だと感じた時は、この中心の装飾を押して。小さなことでも、気兼ねなくすぐにね。」
この魔道具はセヴァが寝ている間、ユリウスが作成したものだ。中心の装飾を軽く押せば、ユリウスが持っている対の魔道具が反応する簡単な仕組みである。
長年奴隷だったセヴァが使ってくれるかどうかはわからないが、せめて片腕の彼がいつでも手を伸ばせるようにと首から下げられるように首飾りにしたのだ。
紐の部分は、シャンディラが「余りものよ」と笑って譲ってくれたものだった。手に触れた瞬間わかるほど柔らかく、病人の肌にも負担にならない素材らしい。
ただで受け取るのは気が引けて、このあたりでは珍しい薬草を数束差し出すと、彼女はぱっと目を輝かせ、「じゃあ──取引成立ね」と満足げに微笑んだ。
魔道具の飾りは手のひらに収まるほどの大きさで、縦長の透明な容器の中にはユリウスの魔素が満たされている。そのため、一見すると容器そのものが淡い空色に染まっているように見える。
容器を囲む木彫りのフレームの内側には、魔術式が刻まれていた。
セヴァはじっと、首飾りを見つめている。何を考えているのか、その表情からは窺い知る事はできない。
「まぁ、そういうわけで、君も目覚めたばかりだし、少し疲れただろう。今日はもうゆっくり休んで。また明日の朝、会いに来るよ。」
ユリウスはそうセヴァに伝え、部屋を後にした。
***
セヴァの部屋を出て、一度自室へと戻ってきたユリウスとジュノは、食事をとっていた。
先ほどから、ギュルギュルとけたたましく腹の音を響かせていたジュノは、今日も皿に顔面を突っ込んで、夢中で咀嚼中である。
「ジュノ、もう少しこの街に滞在することにしたよ。」
《あやふのひりょうのはめは?》
頬をパンパンに膨らませ話すジュノに、ユリウスは軽く笑いながら答えた。
「いや、それ自体はすぐ終わるよ。」
《……ほうか。ほんなひはへほっはは、あはいむはらふうなお。》
「うん。ありがとう。」
もはやなぜ聞き取れたかな不思議なほどである。
ユリウスはこの街の奴隷たちを助けたいと考えていた。自分の敵もわからない状況ではあるが、どうしてもこの街を素通りすることができそうになかった。
しかし、シャンディラやセヴァを巻き込むわけにはいかない。セヴァが回復し、今後のことに目を向けられるようになるまでは、表立った行動はするつもりはない。
もちろん一筋縄ではいかないのは重々承知の上だ。
「まずは情報収集からだな。」
改めて覚悟を固めたユリウスは、今後の計画を練りながら、粥をすくった。




