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煌星のバルトラ  作者: ハル
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出会いと光


 ふと目を開けると、見慣れない天井があった。飼われていた貴族の屋敷でも、悪臭漂う地下の錆びた格子の中でもない。



……ここは、どこだ?


 

 思考が現実に追いつかないまま、周りの状況を確認しようと身動いだ。


おかしい。体が動かせる。

痛み…も、ない。呼吸も楽だ。

こんな感覚はいつぶりだろう。


信じられない思いで、自身の体に視線を向ける。失った手足はそのままだが、ほとんどの傷が癒えている。


 一生残るほどの深い傷や火傷も数え切れないほどあったはずが、一つも見当たらない。


(いったいどうなってるんだ。)


 そのとき、気配に気づいた。自分のいるベッドのそばの椅子に腰掛ける少年が一人。寄りかかるようにして、目を閉じている。


……誰だ?


白金色の髪が風に揺れている。その姿は、今まで目にしたどんな人間よりも美しい。


俺はこの少年に見覚えがある。


(……ああ、そうだ。間違いない。)


 死ぬ直前に見た夢か、幻覚だと思っていた。


 “助けるよ”

 その声が、頭の中に残っている。


 奴隷に身を落としてから、“死なせてくれ” ずっとそう願っていたはずなのに。


最後に、そんな幻を見るなんて、自分の中にもまだ、生きたいという感情が、残っていたのだなと呆れた。


しかしあれは夢でも幻のでもなく現実だったらしい。


 ならば、この少年に俺は奴隷として買われたということだろうか。なんの見返りもなく助けるなんて都合のいい話、現実であるはずがない。


 警戒心を抑えきれず、答えが返ってくるわけでもないのに、目の前で眠る少年を、じっと睨むように見つめた。


 その時少年のまつげが、かすかに震えた。そしてゆっくりと瞼が開き、宝石のような瞳がこちらを捉える。どこか知的な光を宿す眼差しだった。


「あっ……おはよう」


少年が、柔らかく笑う。


「……っ…」


 お前は誰だ。そう言葉にするつもりが、声につまった。

それは、その笑顔があまりにも優しげに見えたからか、声を発すること自体が久しぶりだったためかはわからない。


「ごめん、いつの間にか寝ちゃってたみたいだ。僕は…ユリウス。」


 そう言って、少年――ユリウスと名乗ったその人は、脇の水差しからコップに水を注いだ。


「喉、カラカラでしょ。飲めそう?」


 命令でも、罵倒でもない。純粋な問いかけ。なのに、体が言うことを聞かない。ぴくりとも動けない。


 喉は水を求めて、ごくりと鳴る。


 ……刷り込まれているのだ。コップ一杯の水ですら、“望むこと” が許されなかった数年間が。


 不意に、背中に温かい手が触れた。ぽんぽん、と優しく叩かれる。強張った筋肉がその刺激に反応し、わずかに弛緩していくのがわかった。


「大丈夫だよ」


 その一言が、あまりにやさしくて、心臓が跳ねた。


 そうだ。なぜ忘れていたのだろう。俺は確かにこの人に救われた。


誰もが、俺に近づくことすら躊躇った。そんな中、この人は何の迷いもなく俺を背負い、あの場所から救い出してくれた。


そして治療までしてくれたんだ。俺が安心できるようにと、優しい言葉をかけ続けてくれた。


“人” として扱ってくれたんだ。






***







 少年はコップを持ち上げ、そっと俺の口元にあてがった。


 喉が、無意識にごくりと鳴る。乾き切った喉に水の冷たさが広がっていく。


口に広がるのは、淡い柑橘系の香りだ。優しく、やわらかな口当たりで飲みやすい。


一口、また一口。気づけば、口の端からこぼれそうなほどに、一気に飲み干していた。


「その水は、柑橘系の香りがある薬草を漬け込んだものなんだ。純粋に香りが心を落ち着けるっていうのもあるし、体力回復効果もあるから、今の君にはピッタリだね。」


「……あっ…りがと、うございま…す」


「どういたしまして。水差しにまだあるから、焦らずゆっくり飲んで。全部飲んじゃってもいいし、足りなければまた作るよ。でも、一気に飲みすぎても体がびっくりしちゃうと思うから、ほどほどにね。」


 視線が、自然とコップへ落ちる。


「……あ、なたは…私に、何を……お望みなのですか?」


 気づいた時にはそう口にしていた。見ず知らずの俺に、なぜここまでしてくれるんだ。


 これが、罠だったら。

 こんな優しさに触れてしまったあとで、それが裏切られたとき……。


もう、きっと俺は耐えられない。


 少年は、そんな俺の考えすらも見透かしたような目で、ゆっくりと首を横に振った。


「何も」


 たった一言。まっすぐにこちらを見つめる瞳には、なぜか、この人の言う言葉は全て、嘘偽りない真実であると、そう信じてしまいそうになるほどの力があった。


「僕から君にしてほしいことは何もないよ。…きっと今は、いろんなことが不安だと思う。

一つ言えることは、ここに君を傷つける人間はいないし、もしいれば僕が命をかけて守る。だから今は、安心して体と心を休めるんだ。」


「なぜ…」


そのとき――部屋の扉が、ばたん!と勢いよく開いた。


《ユリウスー、腹が減った……おぉ!目が覚めたようじゃな小僧!》


 不意に飛び込んできたのは、見たこともない毛玉のような生き物。


「ジュノ。あぁ、もうこんな時間か。…食事は取れそうかな?」


「……は、い」


 戸惑いながらも、そう答えると少年は嬉しそうに微笑んだ。


「よかった。なら、すぐ準備するから、少し待ってて」

そう言って、部屋を後にした。


 ユリウスが部屋を出ていくと、残されたのは自分と、ジュノ、と呼ばれていた獣のみ。


 気がつくと、金色の瞳がこちらをじっと見つめていた。


《ゲルカ…のぅ。お主、ヴェラ=ノルの民じゃな。》


 獣はむすっとした表情をして、ぺたりと床に座り込んだ。


「…!なぜその名を?」


《わしは、長いこと生きておる。遠い昔に縁があってな。…他の者たちはどうした》


「……殺され、ました。生き残ったのは、おそらく俺だけです。」


《そうか…。これも宿縁か…》

獣はまるで独り言のように呟いた。


宿縁…とは、どういう意味なのか。獣に問いかけようとしたと同時に、少年が再び部屋に戻ってきた。


「お待たせしましたー!」


 明るい声とともに、再び部屋に戻ってきた少年が持つトレイには、三人分の食具と、鍋が乗せられていた。


《いい匂いじゃ〜》

 先ほどまで、どこか神秘的な雰囲気を纏っていたように見えた獣の表情がぱっと変わり、鍋のフタに鼻を近づけ、マヌケな表情を浮かべている。


 鍋の中には、とろりと煮えた穀物のようなものが、かすかに湯気を立てており、所々に野菜のようなものも見えた。


「お粥だよ。薬草と野菜も少し入ってる。じっくり煮込んで柔らかくしてあるから少し物足りないかもそれないけど、久々の食事だし、ゆっくり食べてみよう。」


 少年は木の器にそれを取り分けた。平皿に装ったものを床に置くと、先ほどの獣がものすごい勢いで食べ始める。


「無理に全部食べなくていいけど、できれば少しでもお腹に入れてほしいな」


 香りだけで腹が鳴り、空腹を自覚する。しかし手が、動かない。


「……どうしたの?」


「……いただいて、いいのですか」


 これまでの自分の人生では、“食べる”という行為は、必ず主人からの許可が必要だった。それに、こんなまともな食事、最後に目にしたのはいつぶりだろう。空腹を満たすことにすら、罪悪感が付きまとう。


「もちろん。」


 少年はそう答えると自身も席につき、静かにスープをすくい、食べ始めた。それを見て、俺も恐る恐る、食事に手を伸ばす。食欲をそそる香りに自然と口を開きかけた、その瞬間。







ーーバシッーー






乾いた音と鈍い痛みが蘇る。


視界が、ぐらりと揺れた。






――ほら、食べていいぞ








貴族の男の下卑た声が、頭の中に響く。

悪意に満ちた笑みを浮かべてこちらを見下ろすいくつもの視線。








ーーバシッーー








熱い。痛い。冷や汗が背を伝う。









ーーははっ!こいつ、ほんとに食おうとしたぞ。


ーー本当にやるわけないだろ、奴隷は残飯でも舐めとけよ!








殴られ、蹴られ、意識が遠のく。

ひとしきり痛ぶり終えると、満足したのか、男は笑って、唾を吐きかけてきた。そして髪を掴み、残飯桶に俺の顔を押し付ける。







ーー奴隷が、不相応に“望んでん”じゃねえ!












「ぅっ…ぉ…」


 気づくと、吐いていた。空っぽの胃袋から胃液が込み上げる。


ベッドや床を汚してしまう。反射的に片手で必死に口を押さえた。


また殴られる。痛みの記憶で頭の中がいっぱいになり、身体が強張る。


しかし、覚悟した衝撃は一向に訪れることはなかった。かわりに感じたのは背中に触れる、誰かの温かい手のひらの感触。


はっとして顔を上げた。

そこに以前の飼い主たちの姿はない。

いるのは、心配そうにこちらを覗き込む少年だけだ。


「……ごめん、少し急ぎすぎたかもしれないね。」


 少年の優しい手が俺の背中をずっとさすってくれている。叩かれることも、怒鳴られることもないまま、数秒が過ぎた。背中の強張りが、少しずつ緩んでいく。


「……申し訳…ございません」


「いいんだ。気にしないで。」


 そう言った少年は何もない空間に指を走らせた。螺旋を描くような優雅な動きだ。


気がつくと先ほどまで嘔吐物で汚れていたはずの衣類やベッド、手のひらや口周りまでもが綺麗になっている。


「魔法…」


魔法を見たのは数えるほどしかないが、術式も使わず、こんなにも鮮やかに扱う人間は見たことがない。一体この人は何者なんだろう。


「先に少し話をしようか。」


少年は鍋に布を被せ、そばの椅子に腰掛けた。



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