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煌星のバルトラ  作者: ハル
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痛み



 ユリウスは奴隷商人の店を後にすると、なるべく人目を避けながら宿を目指した。


魔法のおかげでほとんど重さは感じずに背負うことができたが、ユリウスと彼ではかなり体格差がある。


少年が体格のいい、しかも奴隷の男をおぶる姿は、側から見るとかなり目を引くことだろう。


《気づいておるか?》


 一定の距離を保ち、後をついてくる気配が三つ。


「うん。つけられてるね。…子ども1人に大の大人が3人なんて、よっぽど気に入られてしまったみたいだ。」


 しばし顎に手を当て思案した後、ユリウスは振り向いた。そして、片手を追手のいる方向へ向けて、見えない糸を操っているように、指先に力を込める。


 直後、角を曲がった先から男たちの短い悲鳴が聞こえてきた。


「うわっ!」

「な、なんだこれ!? 動けないぞ!」

「どうなってるんだ!?」


 混乱したような声はほんの数秒で収まり、辺りにはすぐ本来の静けさが戻る。


《何をしたんじゃ?》


 不思議そうにこちらを見上げるジュノに、笑みを向けた後、ユリウスは男たちの元へと向かった。


 路地を曲がった先には、力なく地面に倒れた三人の男たち。おそらく奴隷商人がユリウスたちを攫うため、もしくは拠点を探るため後を付けさせていたのだろう。


 体は動かず、顔だけが苦悶に歪み、目玉だけが状況を必死に理解しようとするかのように、ぎょろぎょろと動いている。


《ユリウス、なんじゃこの不気味な魔法は。》


「魔素の流れを少しいじって、感覚を奪ったんだよ。ほら、例の病の応用的な感じで。」


 そう答えてユリウスは、そっと男たちに近づいて行く。地面に伏す男たちの表情は恐怖に歪み、息も浅くなっていた。


「――こわい?」


 ユリウスは男たちを見下ろしながら問いかける。


「大丈夫だよ。その恐怖心は当たり前さ。状況も把握できない間に、突如ほとんどの感覚を奪われたんだから。」


 ユリウスは優しく、そっと語りかけるように言葉を紡いだ。


「……ねえ、いま、君には何が見える?」


 男たちの男の目玉が動くが、焦点は定まっていない。


「見えないのか。そっか、そうだよね。目はもう機能してないんだから。」


 ユリウスはさらに続けた。


「じゃあ……匂いは?ほら、嗅いでみて。」


 男の喉が震える。恐怖からか、声にならないうめきが漏れ聞こえてきた。


「食べ物の味も、二度とわからないかもしれないね。食事のあたたかさも、飲み物が喉を潤す感覚も、もう君には届かない。


…肌をさわられている感覚は?

ないよね。それどころか、自分の意思で動かすこともできない。


ーーいま誰かが君の腕を切り落としても、きっと君は気づかないんだろうな。」


 ユリウスはそっと男の腕に指先を這わせた。恐怖から男の呼吸がどんどん早まる。


「…ただ、そうだね。ひとつだけ、残しておいたよ。」


 そう言って、ユリウスは右耳元に顔を寄せた。


「──聞こえるだろ? 僕の声だけは。」


 男の身体が反射的にびくりと震えた。恐怖に煽られるように、身体中から冷や汗が吹き出している。


けれどどこも動かせない。ただユリウスの声だけが、脳を焼くようにこの男の中に響いているだろう。


「いま、君の世界はそれだけだ。何もわからないよりも、ずっと残酷だと思わない?


この状態が、あとどのくらい続くのかな……ずっとこのままにしておくこともできるけど、どうしてほしい?」


 そう問いかけると、恐怖からか、絶望からか、目、鼻、口すべてから液体を垂れ流し、男はその後、失禁した。


「かわいそうに。そんなに怖かった?

五体満足のまま、元に戻れるといいね。


……もし無事帰れることがあったなら、君たちの主人に伝えるんだ。感じた恐怖を。


少なくとも君たちは今その身を持って理解したはず。僕らにこれ以上関わるべきじゃないってことを。


そして、もしそれでも近づいてくるのならば、次はこんなものでは済まさないよ。」


 男たちは、何かを訴えようとしているか、ぱくぱくと口を動かしている。


 そして恐怖飲み込まれるように、三人の男たちは次々に意識を失った。




***




 ジュノが恐ろしいものを見たとでも言いたげな視線をユリウスに向けている。


「…しばらくしたら、普通に感覚も元に戻るよ。その間、誰かに危害を加えられたしないように、念のため姿を隠しておいたし。だから、その顔やめてくれないかな。」


 ジュノは芝居がかった表情をすんと元に戻した。どうやら、ユリウスをからかっていたようだ。


《まぁ、あやつらは自業自得じゃ。あのボラードとかいう男も、噛み殺してやろうかと思ったわ。》


「……もしかしたら、生きるため仕方なく彼らもこんな仕事をしてきたのかもしれない。そんなふうにも考えたけど、どうしても許さなかったんだ。」


 ユリウスの背中で、苦しげな呼吸を繰り返している存在に意識を向ける。意識があるかもわからない。生きていることが不思議なくらいの状態なのだ。


「それに、このくらい脅かしておけば下手に手を出してはこないだろう。しばらくは、この人の治療に専念したいんだ。」


《かなりひどい有様じゃが、助けられそうか?》


「助けるよ。」


そう答えたユリウスは、宿への足を早めたのだった。



***



 ほどなくして宿に着いたユリウスたちは表口ではなく、裏口へと回った。


 こんな目立つ状態を第三者に見られた場合、どんなふうに噂が立つかわからない。商人だと言っていたシャンディラに迷惑がかかる事態は避けたかった。


 しかし、なんともタイミングよく、勝手口からちょうど出てきたところらしいシャンディラと出会した。


 シャンディラはユリウスを一瞥した後、そのまま背中へと視線を移し、目を見開いた。


「ちょっと、それ……奴隷を、かったの。」


 シャンディラの表情には落胆の色が滲んでいるようにみえる。


「ていうか、なにその“子”。ボロボロじゃない…生きてるの?」

 

 この町で商人をしているというシャンディラが奴隷と無関係でいることなどできるのかはわからない。


しかし、少なくとも彼女は彼を人として認識している。そのことに少しだけユリウスは安堵した。


「助けたいんだ。どこか場所を貸してくれないかな。」


 ユリウスがそう頼むと、シャンディラは一瞬あっけに取られたような表情を浮かべたが、しばらくすると、すぐそばにある小屋を指し示した。


「あそこなら、すぐそばに水場もあるし、人目にもつきづらいと思うわ。オーナーには言っとくから、自由に使って。事情があるってことはなんとなくわかった。あとでちゃんと説明してよね。」


「うん、必ず説明するよ。…ありがとう!」


 小さく礼を述べ、ユリウスは足早に小屋へと向かった。


そんなユリウスたちの姿を、シャンディラは揺れる瞳で見つめていることに気づかずにーー。




***




 シャンディラが貸してくれた小屋は、もう長く使われていない様子だったが、ベッドやテーブル、ちいさな調理台など、外から見た印象とは異なり生活に必要な最低限のものが揃っていた。


 ユリウスは背負っていた男を床にそっと寝かせ、早速治療の準備をはじめた。


「ジュノ、悪いんだけどそこのタライに水を入れてきてくれる?」


《それはよいが、浄化魔法は使わんのか?》


 塔にいた頃は、浄化魔法を使って室内の掃除や、自身の汚れを落としていたため、ジュノは不思議そうな顔をしている。


「……たとえば皮膚の上についた泥なら、簡単に切り離して落とせる。でもこの人の場合、それは難しい。焼けただれた皮膚や潰れた組織。血液や汚れが混ざったまま固まっている……。

どこまでが“必要な物質”で、どこからが“不要な異物”なのかが曖昧だ。」


 ユリウスは、収納魔法で塔から持参した薬草を取り出しながら続けた。


「……浄化魔法の原理を一言で説明するならば“物質の分離”。すでに損壊や癒着している皮膚、固まった血などが「汚れ」と判定され、この状態のままで魔法を使うと、必要な組織まで一緒に消えてしまうかもしれない。


使えないこともないとは思うんだけどね。でも、できる限り痛い思いはしてほしくないし、少しでも早く苦痛を取り除いてあげたいんだ。これが一番体の負担が少なくすむ方法だと思うから。」


《……わかった。よし!》


 ぼふん!という効果音と共に人型になったジュノは、「人型の方が運びやすいからな!」と言いながらタライを持って玄関へと駆け出した。


「ちょ!ちょっとまって」


 全裸で外へ駆け出そうとするジュノから目を背けつつ、慌ててワンピースを投げ渡した。そのまま外に出たら、大変なことになる。


《おぉ!しまった、また忘れておった!》

 ワンピースを羽織ると、こんどこそ水を汲みに、ジュノは外へと飛び出して行った。


 ジュノが出て行くと、室内には再び静かさが戻る。ユリウスは改めて目の前に横たわる男は目を向け、そっと息を吐いた。


「少し、触るよ」


 ユリウスの声が聞こえたのだろうか、片方だけ残った緋色の目がうっすらと動いた。


 乱雑に巻かれていた包帯は、血と膿にまみれている。色は変色し、異臭を放っていた。


 慎重に状態を確かめながら、準備していた手元の小瓶を開ける。中身は塔で調合したもので、薬草をいくつかと魔素水を混ぜて作った洗浄液だ。それを布に染み込ませ、そっと包帯の端にあてがう。


 時間をかけて少しずつ湿らせていくと。古びた繊維がじわ、と皮膚から浮いてきた。


 やがて包帯が外れた瞬間、膿の固まりと血がぽたりと床に落ちる。


「……炎症がだいぶ進んでいそうだ。これから君を治療していくけれど、痛覚を魔法で遮断しているから痛みはないはず。だから怖いことは何もない。」


 ユリウスはそっと眼窩の中を覗き込み、中に残っていた古い血塊や異物を一つひとつ取り除いていく。


 時折、男の身体が小さく震えるたび、ユリウスは作業を止め、彼の胸元に手を添え、魔力で心拍と呼吸を安定させた。


筋肉の動きから痛みを感じている様子はないが、きっと恐怖心を感じているのだろう。長く暴力の中に身を置かれてきたのだから、当然のことだ。


「痛みはなくても怖いよね。でも大丈夫。安心して。」


 そう声をかけると、男の瞳が少し揺らいだように見えた。


 ユリウスは別の小瓶を取り出す。中には、抗菌作用のある魔素軟膏と蜜を混ぜた塗布剤が入っている。それを魔法でそっと眼窩の内部と外縁に塗り広げる。


 最後に、外側から優しく保護布を重ね、魔力で密閉した。


「これで、目の方はひとまず大丈夫。」


《ユーリ!水を汲んできたぞ!》


 ジュノがタライいっぱいの水をそばまで運んできてくれた。小柄な少女の姿からは想像できないほどの腕力だ。さすがは神獣というべきか。


「ありがとう、ジュノ。」


 タライの水に魔法で熱を送り、人肌程度に温め、それと同時に魔素を注ぎ込んで魔素水をつくっていく。


男の体を一箇所ずつ丁寧に状態を見ながら、魔素水で汚れを落としていくと、水はあっという間に茶色く染まっていった。


「……一応処置はされているみたいだけれど、足の方はかなりひどいな。」


 わずかに魔力を指先に込め、表面に残る不要な汚れや膿の固まりをやさしく剥がし取っていく。


 火傷痕も痛々しいが、まるで無理やり皮膚を剥がされたような箇所もあり、赤黒くただれ、露出した真皮がむき出しになっている。


 大の男でも失神するほどの傷に、どれほどの間、耐えてきたのだろう。


魔素水の浄化を何度か繰り返して、ようやく濁りがなくなってきた。


《おぉ、だいぶ綺麗になってきたな》


「そうだね。一旦お湯から上げるから、タオルを床に敷いてあげてくれる?」


《まかせろ!》


 ユリウスはジュノが敷いてくれたタオルの上に、そっと男の体を降ろした。もちろん浮遊魔法を使って体を支え、負担は最小限に留めている。


一通りの作業を終え、ユリウスはそっと息をついた。かなり集中していたのだろう、額に浮かぶ汗を無造作に拭う。


「……よし、その状態なら治癒魔法を使っても大丈夫だろう。」


《ユーリ、無理しすぎではないか?さっきから魔法を何種類も同時に使っておるじゃろう。》


「心配してくれてありがとうジュノ。でも僕は平気だよ。」


 実際のところ、魔力はまったく問題ない。しかし、ここから先は、更に繊細な工程となっていく。神経を研ぎ澄ませ、慎重に進めていかなくてはならない。


 ユリウスは、男の胸の上に両手を添えた。やがて溢れ出た光が、じわじわと滲むように、男の体に浸透していく。


 魔素を通して、傷の状態、周囲の炎症反応、皮膚の再生速度などを見極めながら、魔素の濃度と流れを微調整し、治癒を施していった。


 治癒魔法は使い手によって最も差が生まれやすい魔法だ。単に魔力量や資質の差とされることが多いが、実際にはどれだけ人体構造を理解しているかが重要になってくる。


箇所箇所に合った働きかけをしなければならず、魔素はその操作手段だ。


濃度・流速・局所分布のわずかな違いが、治癒速度、瘢痕、後遺症の有無などの結果を大きく変えることになる。


 ユリウスは目を閉じ、魔素の動きに全神経を集中させた。




***



 治癒魔法をかけ終え、男の体は、すでに失っている部位以外は完全な回復を遂げた。


「頑張ったね。」


 男の意識は先ほどよりもはっきりとしているようだ。

安心するかと思い、そっと男の頭を撫でてやると、唯一残った片目から、涙が一粒零れ落ちていった。


「……大丈夫。君を害するやつはここにはいない。だから今は安心して心を休めて。」


 その後しばらく涙を流していた男は、やがて気絶するように眠りについたのだった。


それから男は眠り続けた。目を覚ましたのは、それから三日目の朝のことだった。




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