私だけのもの
時は少し遡り、玉座の間での謁見後――
クロードは、玉座の間から退出後、シルビアとともに第二騎士団のもとへ戻ろうとしていた。
「クロード・シャルヴァン様……!」
控えめな、しかし必死さを孕んだ声にクロードは足を止める。
振り返ると、そこには見覚えのない侍女が、怯えたような表情を浮かべ立っていた。震える手には一通の封書が握りしめられている。
「……私に何か?」
尋常ならざる様子に何か助けが必要なのかと、なるべく穏やかな声音を意識し問いかけると、侍女はびくりと肩を震わせ、頭を深々と下げた後、手に握りしめていた封書をぐいと押し付けてきた。
「こ、こちらを……!」
封書に押されているのは、第二皇女の捺印だ。
あぁ、なるほどと合点がいったクロードは、それを無言で受け取り、その場で封を切った。
皇女がクロードに対し、異様に執着していることは以前から明白だった。そして彼女の裏の顔に気が付かぬほど、クロードは鈍感ではない。皇女に仕えている者たちは、皆どこかいうも怯えていた。
皇女からの呼び出しを無碍にもできず、応じていた時期もあったが、婚約の話が持ち上がったことを機に関わりを一切の絶っていたのだ。
しかし、またこのタイミングで何の様だと文面に視線を落とした直後、クロードは動きを止めた。
「……茶会、だと…?」
怒りが込み上げ、手紙をぐしゃりと握りつぶす。有事が立て続けに起きているこの状況下で、この国の王族は、呑気に茶など啜ろうと言うのか。
「……い、今すぐ…お越しいただくようにと…」
クロードの様子に怯えた侍女の震える声が耳に届く。今にも泣き出しそうな、年若い女の様子を見て、クロードは頭を冷やそうと眉間に指先を添えた。
第二皇女の性格をクロードはよく知っている。日常的に使用人に暴力を振るっていることも。
おそらく、ここで茶会への誘いを拒もうものなら、この侍女は罰を与えられるのだろう。
クロードの沈黙を拒絶と受け取ったのか、侍女は懇願するように言い募った。
「どうか…!どうか、お越しください。でないと、わ…わたし……」
「……承知した。」
その様子を見かねたクロードは、渋々了承した。
その言葉を聞いた侍女の顔にぱっと安堵の色が広がり、深く頭を下げた後、足早にその場を後にした。
「第二皇女殿下は相変わらずみたいね……大丈夫?」
一連を近くで見守っていたシルビアが、気遣わし気な視線をこちらに向けている。
「俺のせいで、罪のないものが謂れのない罰を受けるのは忍びないからな。さっさと行って済ませてくる。第一皇女殿下との会議は、先に進めておいてくれ。できる限りはやく合流する。」
「わかったわ。セリナ様にも伝えておく。…くれぐれも、気をつけてね。」
その後シルビアと別れたクロードは、第二皇女の元へ向かった。
足音だけが、静まり返った回廊に吸い込まれていく。
第二皇女の私室がある一角は、玉座の間の華美とは異なる。
壁にかけられた繊細な刺繍、咲き誇る花々、硝子細工のランプ、そのすべてが美しく調和していた。
“可憐”で“愛らしい”妖精姫と称される第二皇女のイメージにぴったりな空間と言えるだろう。
しかし、彼女の内面を知っているクロードからすれば、そのどれもが薄気味悪く感じるだけだった。
指定の部屋に着いたが、扉の前には誰もいないようだ。侍女はもちろん、護衛すらも。また何か企んでいるのだろうかと警戒しつつ、扉を叩いた。
今まで第二皇女はクロードを自分のものにしようとあらゆる手段を講じてきた。その執着は異常ともいえるほどだ。
「どうぞ。」
甘さを含んだ声。クロードは表情を変えず、扉を押して中へと踏み入る。正直、魔物と戦っていた方がマシに思えるほどに気が重い。
「──ようこそ、クロード様」
桃色のドレスに身を包んだリリアナがクロードを出迎えた。はちみつ色の髪を後ろで編み込み、こちらをじっと見つめながら微笑みを浮かべている。
「どうぞ、座って?」
「……お招きに預かり光栄です、第二皇女殿下。」
クロードは一礼し、勧められるままそばの椅子に腰を下ろした。
「長い間会えなくて、私とっても寂しかったわ…。」
「恐れ入ります。」
クロードの素っ気ない対応に、一拍の沈黙がおりる。しかしリリアナは大して気にした素振りも見せず、微笑みを崩すことはなかった。
「今日の茶葉は、東の花都〈ファルメリア〉から取り寄せたものよ。優雅な香りが気に入っているの。」
リリアナは、そばに用意してあったティーポットを手に持ち、カップに注いだ。
「……貴重な品を、ありがとうございます。」
そう言ってクロードは、リリアナが茶を嚥下する様子をさりげなく確認したら後、茶器に口付けた。
「ふふっ。おいしい?…特別なお客様にしか出さないことにしているの。」
クロードはリリアナの言葉に、うなずくでもなく、目を伏せた。
「そういえば、先の遠征は大変だったでしょう?」
「問題ございません。」
「ケガもなくて安心したわ。ずっと心配していたの。」
「皇女殿下。今がどのような状況か、貴方様もご存知でしょう。要件をお伺いしたい。」
クロードはリリアナがどんな話を振ってこようと、淡白に対応した。妙な執着を向けられるようになってから特に、気を持たせるようなことがないよう、一貫してきた。これ以上、変な気を向けられてはたまったものではない。
クロードがいくら冷たい態度を取ろうと、リリアナは頬をバラ色に染め、微笑みを崩すことはなかった。
しかし、今日はどこかいつも以上に笑みに動きがなく、不気味さすら感じる。
「私はね、あなたを愛しているの。あなたが思っている以上にね。」
「……恐れながら、第二皇女殿下のお気持ちにはお答えできないと再三お伝えしてきたはずですが。」
「そんな頑固なところも素敵。…でもね、あなたの気持ちは関係ないの。私たちは一つになる運命。私が望んだ瞬間から、あなたは私のものになると決まっているのよ、クロード。」
リリアナの瞳の奥には狂気が滲んでいる。クロードが口を開こうとしたその時、クロードの手から茶器が落ちバリンと音を立てて砕けた。
(体が熱い)
──のぼせるような火照りと、胸の鼓動が強く脈打つ感覚。
「あらあら、どうしたの?そんなに頬を染めて。」
リリアナは立ち上がり、一歩、また一歩とクロードのそばへと歩み寄った。リリアナが歩くたび、纏うドレスの裾が怪しく揺れる。
身の危険を感じ立ち上がろうとしたが、ぐらりと視界が揺れ、膝からがくんと床に崩れ落ちた。
「くっ…」
リリアナは、跪くクロードの真横まで迫ると、膝を折りクロードにもたれかかってきた。
「ふふっ……」
「……何を盛った。」
「言ったでしょ?特別な紅茶なの。」
リリアナの指先がクロードの頬をゆっくりとなぞる。
「今日、この場であなたは私のものになる。うれしいでしょ?」
クロードは手のひらを自身の胸にあてた。呼吸が乱れ、身体の自由がきかない。
リリアナはもたれかかったまま、耳元に唇を寄せて囁いた。
「私ね、夢にまで見たのよ。
…私の中に、あなたの熱を感じる、その瞬間を。」
耳元でささやかれたその言葉に、全身が粟立つ。
「私は、王族と同等の権威を持つシャルヴァル公爵家の血を引く者…このような愚行、許されると…思っているのか」
乱れる呼吸を必死に落ち着けながら、クロードが睨みつけると、リリアナは恍惚とした表情で震えた。
「子を授かればそんなこと関係ない。」
リリアナの笑みはもはや妖精姫の面影もない。悍ましい毒そのものだった。クロードの至近距離まで更に迫り、その唇がわずかに開かれる。
そして唇と唇が触れようとした、その時ーー
クロードは体を無理やり動かし、身をひねるようにして再び距離を取った。
「…っ!まさかここまで狂っているとはな…」
「まぁ…辛辣なことをいうのね。そんな強情なあなたが、これから私の腕の中で乱れる姿を思うと……興奮してしまうわ。」
リリアナは唇を舐めるように湿らせ、顔を斜めに傾けながら楽しげに笑っている。
「あなたって、まるで剣みたい。うっかり手を伸ばしたら腕が落ちてしまいそう。…でも、そんなあなたをめちゃくちゃにしてみたいってずっと、ずぅーーっと想っていたの!」
そう言って自身の昂ぶる感情を抑えようとするかのように、胸をぎゅっと抱きしめ、爪を立てている。
「ーー蒼炎の自由騎士、クロード・シャルヴァン。高潔なあなたという存在を、一枚ずつ剥ぎ取っていくわ。痛みと快感の狭間で、自分自身すら見失うまで。
理性も、誇りも、全部裸にされて、泣き喚くあなたを抱きしめたい。
……あぁ!好き!好きなの!!愛してる!!!」
はぁはぁと息を荒げ、頬を染めるリリアナは、どう見ても正気ではない。
ゆっくりと指先をクロードの胸板に這わせながら、まるでそこにある何かを探るかのように、そっと頬を当ててきた。
「ねえ、クロード。想像してみて?心が軋んで、壊れていったとき、あなたがどんな顔をしているのか。」
リリアナの指先がクロードの腹部をゆっくりとなぞりながら下へと落ちていく。
「心配しないで。壊れちゃっても捨てたりしないわ。壊れたあなたの断片を一つずつ拾い集めて、私はもっと深くあなたの中に入り込む。そうやって、ずっと、ずっと…ずーーっと、愛してあげるからね。」
そしてリリアナは、クロードの服に手をかけた。
「大丈夫、今日はできるだけ優しくしてあげるわ。」
ーーーその時だった。
クロードはリリアナの髪をがしりと掴み、そのまま投げ捨てた。
髪を引っ張られた勢いのままに、リリアナが床に転倒する。
「──ふざけるな。」
「あら?……クロードあなた、なぜ動けるの?」
クロードはふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がった。リリアナはその様子を、信じられないものを見るような目で見上げている。
「……少々時間を要したが、体内の魔素を循環させ毒素を分解した。魔物の毒も大概はすぐ対処可能なんだが、いったいどれほど強い薬を盛ったんだ。」
乱れた衣服を整え、髪を撫でつけながら、呆れたようにクロードは言った。
「…」
リリアナは、開ききった瞳孔でクロードを睨みつけている。
「いつもの薄気味悪い笑顔より、そちらの顔のほうがよほどお似合いですよ。第二皇女殿下。」
そう言って、クロードはリリアナに蔑むような視線を向ける。
「私があなたの物になることは絶対にない。」
「くっ……そんなの、そんなのゆるされないわ!!お前はわたしのものよ!!!ぅあーぁあーーー!!」
リリアナは自身で髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり発狂している。
「本来、正式に抗議を行いたいところですが、なぜか侍女も護衛もおらず、証人も確保できない状況だ。それに今はこんなことにかまけている暇はない。……運がいいですね。しかし、次このようなことがあれば、もう容赦はしない。覚悟しておくことだ。」
そう言い捨ててクロードが退出すると、室内からは金切声と何かが割れるような騒音が響き渡った。




