星の記憶
次の日、ユリウスは鏡の前に立ち、魔素を指先に集めては髪と瞳に丁寧に操作を加えていた。
微細な光がまるで透明な膜のように髪を覆い、髪色が薄茶色に変わっていく。最も人目を引くであろう星空色の瞳も、色が徐々に薄まり、淡い水色と、だいぶ落ち着いた色に変化していた。
「うん、案外うまくできたんじゃないかな。」
満足げに鏡を見つめるユリウスの背後で、ノックの音とともに扉が開いた。
「ユリウス、一階で朝食たべましょ!」
《朝から騒がしいやつじゃのう。》
ジュノが呆れたように呟いた。
シャンディラの声にユリウスが振り向くと、彼女の目が一瞬、驚きに見開かれる。
「……え、ユリウス…よね?」
「おはよう、シャンディラ。」
「のんきに挨拶してる場合じゃないわよ!一体どうしたのその髪に瞳!」
シャンディラはユリウスのそばにより、目を輝かせた。
「自分の髪や瞳を変えられるなんて…おしゃれに敏感な貴族たちにきっと大ウケよ!」
シャンディラは、まるで値踏みをするかのように顎に手を当てながらユリウスの観察をはじめる。
「すっっごく自然!お忍び用の被り物なんかは見たことがあるけどそういう感じでもないわよね?どうなってるの?」
「えーっと…色っていうのは、物体そのものの性質じゃなくて、反射する光の波長によって決まるんだ。
だから、そこに干渉する膜を一枚展開して、反射する波長をずらせば――髪でも瞳でも、違う色に“見せる”ことができるんじゃないかと思って試しにやってみた。」
ユリウスは手元で空中に魔素を走らせる。キラキラと手元で輝く光の美しさに魅せられるように、シャンディラは感嘆をもらしながら目で追った。
「たとえば、蝶の羽。角度によって色が変化する種類がいるでしょ?あれは、羽そのものじゃなくて、羽の鱗粉の微細な構造が光の干渉を受けることで色が変化して見えるんだけど…この魔法は、ある意味その原理と少し似てるかもしれないね。
魔力量もそんなに必要ないんだ。ただ、この原理を理解することが必要になるから、気軽に誰でも…とはいかないかもね。」
「なんだか、すごく難しそうってことだけはわかったわ…。でも残念、そういうことなら市場への導入はむずかしそうね。」
しゅんとわかりやすくシャンディラは項垂れている。商人らしい反応だ。
「まぁ、ひとまずごはんよ!あさごはん!いそいでっ」
《朝飯はなにかの!ユリウス〜》
よだれをじゅるりと垂らしているジュノを抱き上げ、ユリウスはシャンディラこ後に続いて部屋を出た。
階段を降りると、朝の光が大窓から差し込み、広間を柔らかく照らしていた。ほのかに漂う香辛料香りに食欲をかきたてられる。
中央の長机には、素朴な朝食が並んでいた。皿に盛られていたのは、焼きたての黒パンと、野菜と豆のポタージュ、鶏肉の香草焼き。
「恵に感謝を。」
そう言ってシャンディラは、さっそくパンをちぎってポタージュに浸し、頬ばった。
ユリウスもスプーンで一口すくい、口へと運ぶ。
「……あったかい」
ユリウスは思わず口の中で呟いた。ほっと肩の力が抜けたような、気持ちがほぐれていく感じがする。
豆の甘みがじんわりと広がるポタージュは、ほんのり塩味の利いた野菜と溶け合い、とてもこくがある。大鍋でじっくり煮込まれたのだろう、玉ねぎは形を保ちながらもとろりとやわらかく、舌に触れた瞬間に崩れて消えた。
黒パンは焦げ目の香ばしい匂いと、ぎゅっと詰まった小麦の味わいが口の中に広がり、噛むたびに小さく、ほくりとした音を立てる。
鶏肉の皮目には香草がふんだんにまぶされ、脂と絡み合って焼きたての香りを立ち上らせていた。ユリウスが一切れ口に含むと、じゅわりと肉汁が溢れ、しっとりとした食感の中にしっかりとした旨味があった。
「それもおいしいでしょ?うちで取り扱ってる香草を使ってるの。日差しが強い地方のやつは、香りが濃くて好評なのよ。」
シャンディラは手をひと振りしながら、香辛料の壺がいくつか並ぶ棚のほうを顎で示した。色とりどりの陶器が並べられている。
「とってもおいしいよ。」
頬が緩んだユリウスを見て、シャンディラが満足げに微笑んだ。
「ふふ、じゃあもっと食べてもらわなきゃ。育ち盛りなんだから、お腹いっぱいにしてね!」
そんな会話の脇で、ジュノは出された皿にかぶりついている。
《ふむ、まぁまぁだな。》などと言いつつ、皿の中身はあっと言う間になくなっていった。
「けだまちゃん、それ“まぁまぁ”の食べっぷり名前ないわよ。」
「ふっ…それに、口の周りが大変なことになってるよ。」
ユリウスが笑いをこらえながら指摘するも、ジュノは聞こえていていないとばかりに、食べ続け残りを一気に平らげてしまった。
「もー、正直でよろしい!」
シャンディラがけらけらと笑いながら、焼いた根菜のピクルスをつまんだ。
ひとしきり和やかな食卓を囲んだあと、ユリウスは食器を片づけながら、ふと口を開いた。
「ねえ、シャンディラ。この辺りで、“塔”に関する文献とか、昔の言い伝えみたいなものが残ってる場所って知ってる?」
「塔?」
「うん、叡智の森…だっけ。大陸の中央に位置する森の中にある塔のことなんだけど、聞いたことはない?」
「うーん…そうねぇ。あの森にまつわる伝承はいつくか存在していて、国によっても違いがあったりするんだけど、帝国で1番有名なのが“3人の王と始まりの記憶”って話よ。
…そうだわ!ユリウス、今夜中央広場にいってみて。」
「なにかあるの?」
ユリウスが首を傾げ、不思議そうに尋ねるとシャンディラはニヤリと笑って続けた。
「星紬座が来るのよ。」
「星紬?」
ユリウスが聞き返すと、シャンディラはにっこり笑った。
「そう。今、大人気の旅芸人の一座。この街には久しぶりの巡業なの。そして、彼らが今夜やる演目がね――“三人の王と始まりの記憶”。」
少し間を置いて、彼女は続ける。
「この世界の始まりを描いた物語――なんて言うと大げさかもしれないけど、実際、各地に伝わる伝承や文献をもとに構成されてるの。
しかも、彼らは旅の先々で見聞きしたものを芝居に織り込むから、ただ本を読むよりよっぽどリアルな情報が拾えるのよ。」
ユリウスの表情が、ほんのわずかに揺れた。それを見て、シャンディラはいたずらっぽく笑った。
「……気になるでしょ? ね、行ってみて。あたしも行きたかったんだけど、ちょっと外せない仕事があってね。」
少し迷った末、ユリウスは静かに頷いた。
「……わかった。行ってみるよ。」
「それがいいわ。楽しんできて。あとで感想、ちゃんと聞かせてね?」
***
陽が沈み、町に夜の帳が下りるころ。中央広場の一角にしつらえられた仮設の舞台には、星の灯りを思わせる淡い光がともりはじめていた。
街のあちこちから人々が集まり、広場はまるで祭りの夜のような賑わいを見せている。
子どもたちは最前列に駆け寄り、手作りの風車や鈴のついたお守りを振り回してはしゃぎ、年配の夫婦や旅の商人たちは腰掛けを見つけて、楽しげに酒や茶を手に語り合っていた。
ユリウスは少し離れた石段に腰を下ろした。髪や瞳は魔法で変えたままだが、念の為外套を羽織っている。
ジュノはユリウスの膝のうえで丸くなり、おおきなあくびをしていた。
傍で小さな子どもが母の袖を引きながら、きらきらと目を輝かせていた。
「ねえ、ねえ、おっきいお城は出てくるかな?」
「どうかしら、楽しみね。」
母が笑い、子どもは嬉しそうに体を弾ませた。
そのすぐ前では、男たちが皮袋の酒を回し合っている。
「まさか星紬がこの街にくるなんてな!ついてるぜ。」
舞台近く、若い娘たちの一団が、うっとりと天幕を見上げていた。
「見て、あの幕。夜空みたい……」
「ほんときれい!星紬ってなまえにぴったりね。」
そんな会話がそこかしこで飛び交い、舞台の周囲は徐々に熱気を帯びていく。
舞台の上では黒衣の団員たちが静かに動き、ランタンに火を灯し、天幕の影に楽器らしきものを運び込んでいるのが見えた。
遠くの街の灯が、少しずつ消えていく。
広場はやがて、暗闇と静けさに包まれた。
風がやさしく吹き抜ける音。
そして、誰かが小さくつぶやいた。
「――はじまるわ。」
次の瞬間、星の瞬きのような音が、舞台の中央からひとつ響いた。
天幕がゆっくりと開いていく。真っ暗な舞台の中心がライトで照らされ、どこからかコツコツとかすかな足音が響く。
そうしてライトの下に現れたのは、銀白の仮面をつけた一人の男。
その身を包むのは、夜の帳をまとったような漆黒のローブ。肩から裾へと、銀の糸で美しい星座の刺繍が見える。
その姿を目にした瞬間、広場に集まった者たちは、誰もがその異質な存在感に魅せられ、息を飲んだ。
「ーーー星が夢を紡ぎ、忘れられし記憶が夜を彩る。
我らは 星紬
星の声に導かれ、時を紡ぐ者。
今宵、皆さまにお届けいたしますは、
『三人の王と始まりの記憶』の物語。
どうぞ この奇跡のひとときをお楽しみあれ。」
口上を述べた仮面の男は、再び舞台の暗闇へと消えていった。
一本の木を象った柱がそそり立っている。その枝は天井に向かって広がり、金糸で縫われた葉が夜風にそよぐように揺れている。
次の瞬間、その枝葉の影から、ひとりの人影がすっと現れる。先ほどまで舞台の中心にいたはずの仮面の男だ。
そして、弦楽器だろうか、美しい音色が響き、赤い霧が舞台上に立ちこめた。
観客たちが息を呑んで見守る中、男は静かに語り始めた。
「ーー時は遥か昔、人の世は、恐怖と混沌の闇に沈んでいた。恐ろしき魔族たちが、世界に絶望の波を広げたのだ。」
舞台の左右から魔族を象った仮面の演者たちが舞を舞ながら現れた。長い腕、異形の角、鈍く光る瞳を模した仮装が、観客たちに恐怖を与える。
不協和音のような音が鳴り響き、不安感が掻き立てられていく。
「その時、三人の賢者が現れた。」
中央に三方向から人物が現れる。ローブを身にまとった演者たちが、仮面を外し、それぞれ光を背に立つ。
演者の背景には、それぞれを象徴する色の装飾が掲げられていた。
「彼らは森を切り開き、塔を築いた。人類の叡智を集結し、活路を見出した彼らは、その頂より、星の導きを得て、魔族たちを見事、退けた。」
舞台上に“塔”を模した帷幕が現れ、天から無数の星光を模した布が降る。
「そして、戦いの果てに世界は平和を取り戻し、三人はそれぞれの想いを胸に、新たなる国を興したのだ。」
舞台が三分割され、それぞれに象徴色の光が灯る。
赤い衣の賢者は、獅子を背に金色に輝く槍を構え、
青い賢者は七翼を背に銀色の剣を掲げ、
白の賢者は天を仰ぎ、はじまりの術式を描いた。
舞台中央に並び立つ三人の凛々しい姿に、客席のあちこちから、感嘆の吐息が漏れ聞こえてきた。
「ーーーだが、その平安もたった一人の存在を前に崩れ去る。」
濃紫の煙とともに現れたのは、美しい黒髪の女。丈が長い衣の裾が腐敗した大地を引きずるかのように波打ち、頭上には枯れ枝のような冠がゆがんだ影を落としていた。長い指先で大地に触れると、咲き誇ったある花がみるみる枯れていく。
「彼女の名はアルテア、彼女が歩いた大地は荒廃し、腐り落ちる。人々は彼女をこう呼んだ“死の魔女”とーーー」
群舞が消え、舞台が闇に包まれた。
「まるで“死”そのものであるかのような悍ましい魔女アルテア。再び絶望に包まれたその時、希望の光が降り立った。」
——そこに、光とともに現れたひとりの少女。
白茶色の髪が揺れ、白銀と空色の戦装束を纏ったその少女は、ふわりと舞台に舞い降りた。
胸元の装甲には、中央に群青の宝玉が嵌め込まれている。手に持つ剣の刀身には淡く光る美しい紋様が刻まれていた。
「花形役者のシャルルだ…!」
観客の誰かが興奮気味に呟いた。
「聖騎士セレス。彼女は三人の王に支持を受け、死の魔女を討つべく立ち上がった。」
舞台の中央で、女が風のように踊る。その舞は美しく、猛々しく、艶やかで、思わず目を奪われる。剣の穂先は舞うたびに、光の軌跡を描いた。
対抗するアルテアの動きも激しくなっていき、袖が翻るたびに、黒き霧が毒々しい炎のように広がる。
言葉はない。しかし、二人の激しい攻防は、緊迫感や臨場感に溢れ、見る者を、その世界の中にどんどん引き込んでいく。
ーーやがて、一瞬の静寂が舞台に落ちた。
セレスの刃が光をまとい、アルテアの胸元へと一直線に進んでいく。そしてそのまま、宝剣を勢いよく突き立てた。
黒き魔女はゆっくりと倒れて、闇に飲まれるように姿を消した。
セレスは、やがてゆっくりとひざまずき、静かに目を閉じる。
「我は、魔を封じし剣を携えし者——
その最期を、叡智の塔にて、静かに見届けん……」
「聖騎士は大地に再び平穏をもたらし、今は叡智の塔にて、深き眠りにつき、我々を見守っている。」
音楽が止まり、舞台が再び闇に包まれる。
天井から一筋の光が差すと、星の瞬きのような音がひとつ、静かに響いた。
いつの間に現れたのか、光の下にあの銀白の仮面の男が立っている。
男は優美な笑みを浮かべ、ゆっくりと手を広げ、深く一礼した。
「ーー星が語り、時が紡がれ、
忘れられし記憶は、ふたたび夜空に還る。
いつかまた、
この星降る夜に、お会いできますように。」
しんと静まり返る観客たち。
──次の瞬間、観客席からどっと歓声と拍手が湧き起こった。
こうして星紬座の講演は大盛況ののちに幕を閉じたのだった。




