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煌星のバルトラ  作者: ハル
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episode1 僕らが生きた場所



どこか寂しげな鳴き声を響かせて、悠然と黒鷹が飛び立った。閑散とした森の上空を、大きな翼を羽ばたかせながら飛んでいく。


もうすぐ夜明けが近い。空は少しずつ赤らみ、夜と朝が混在しているような、神秘的な色に染まっている。


黒鷹の瞳に、静寂に包まれた深い森の中に佇む建造物が映りこむ。それはまるで、この世のものとはおもえないほどに、美しい塔だった。


あたり一面を木々が生い茂るこの広大な森の中心部に、悠然と佇む人工物。


塔は中心部分が円柱型にのび、最上部はかなり高い。

最上階の細い窓には色鏡がはめ込まれ、次第に明るくなる空に呼応するかのように、反射した鮮やかな光が揺れ動いている。その淡い煌めきが周辺の木々を照らしだし、塔の神秘的な雰囲気をさらに強めていた。


地上から城壁を伝って、蔦が塔を押し上げるように上へ上へとのびている。


そんな塔のてっぺんに、飛び去っていく黒鷹をじっと見つめる青年がいた。


着古された大きめの着衣に風が入り込み、空気を含んで音をたてる。風に柔らかくなびく白金色の長い髪は、長い間整えられていないのだろう、胸元まで伸びていた。


長い髪から覗く相貌は、人とは思えないほどに美しく整っている。特にその瞳は、星が煌めく夜空のような印象的な光を宿していた。


しかしその瞳に、正気は感じられない。


「……」


澄んだ表情で黒鷹を見つめ続ける青年は、一体なにを想っているのだろう。青年の右手の中指にはめられた銀製の指輪がきらりと輝いた。


徐々に小さくなっていく黒鷹の姿が見えなくなった頃、そこに青年の姿はなかった。


***

 

「…やった。ついにやったぞ。」

ユリウスは手にしていた白墨をぎゅっと握りしめた。


目の前の床は、たった今解き終えた魔法術式の羅列で埋め尽くされている。


つい手元に力が入り、手の中の白墨が潰れたようだ。握りしめた拳からぽろぽろとかけらがこぼれ落ちた。


《おぉ、ついに成し遂げたのだな!》


横に顔を向けると、異様にもこもことした白い猫のような生き物が目を輝かせてこちらを見上げている。


「ジュノ…うん。本当に、本当に長い時間がかかってしまったけれどね。」


白い生き物…ジュノはある日塔に迷い込んできた魔物だ。

害悪がなかったため入ってこられたのか、もしくは弱りきっていたためか。


初めて会った日、ジュノは中庭の巨木の根元に傷だらけで倒れ込んでいた。介抱して元気になった後もずっと、ユリウスのそばにいてくれている。ユリウスにとって家族にも等しい大切な存在だ。


ジュノは長い時を生きた上位種の魔物らしい。こうして人の言葉を介し、ユリウスとも話すことができる。


《いくら時をかけようと、本来成し遂げることもできぬであろう。さすがはユリウスじゃ!》


よしよしとモコモコの短い手で、ユリウスの頭を撫でるその表情はとても暖かい。その表情を見て気が緩んだのか、思わず目尻に涙が浮かんだ。


「ありがとう、ジュノ。」


赤みを帯びた目元をごしごしと袖でぬぐい立ち上がる。


「でも、泣くのはまだ早いよね。」


ユリウスはこの塔の外へは一度もでたことがない。いや、正確には出たくとも出ることができなかったのだ。


この塔全体に施された遥か昔の魔法。ーー結界というのが近いかもしれない。その魔法はユリウスが知るどの術式よりも美しく、そして強大だった。


この緻密な結界は、通過できるものとそうでないものがある。ユリウスは通過できないが、鳥や虫、植物などは自由に行き来ができる。また、害意のない場合、魔物や精霊も出入りは可能らしい。


その法則は極めて難解で、複数の魔術式が複雑に組み込まれているため、この結界をどうにかするには全体像を把握して、ひとつひとつ紐解いていくしかなかった。


はじめは羊皮紙に書き記していたが、とてもじゃないが収まりきらず、いつからか床に書き殴るようになったのだ。今では塔のあらゆる部屋が、ユリウスの書き記した術式で埋め尽くされている。


そしてやっと、解読を終えることができた。

あとは、ユリウスの魔力量でどこまでやれるかにかかっている。


かなり多くの魔力を消費するだろう。ずっと準備はしてきたものの、今の自分の魔力量でやり遂げられるだろうか。

最悪の場合魔力枯渇で死ぬかもしれない。


《心配ない。おぬしならできる。》


ユリウスの不安を見透かしたように、ジュノが静かに語りかけてきた。


「そうだね。…やらなければ死ぬだけなんだ。必ずやってみせるさ。」


そうユリウスが答えると、ジュナは静かにそばにある窓の方へと目を向けた。


《とはいえ、明日のほうがよいだろうな。》


そう言われて、ふと窓の外を見るともう空が赤く染まっている。


「もうこんな時間だったんだね。気がつかなかったよ。」


《だいぶ集中していたようだったからな。ゆっくり寝て、少しでも万全の状態で挑んだ方がいい。それに、セレスティナの様子も見に行くのだろう?》


「うん。そうだね。いつもより少し遅れてしまったから、急いで準備をしないと。」


そう言ってユリウスは、ジュノを抱き抱え厨房へとむかった。


***



ロゼニウムに、エルダーブローム、トリュシア…

免疫機能向上、呼吸器機能の改善、魔力の保管。


薬草それぞれの効能を頭の中で確認しながら、すり鉢で細かくすり潰していく。


野菜や干し肉を煮ておいた鍋にそれらを入れて混ぜ合わせ、皿に盛り付けたら最後に香付けのバレルの葉を添えた。


《良い香りだなぁ!ユーリ、腹が減ったぞ!》


そう言ってジュノは自身の腹をむにむにとこねくり回している。本来魔物は食事を必要としない。存在そのものが魔素であるため、睡眠を取るだけで自然とエネルギーを補給できるのだ。


ただ、他の魔物や人間などの生物を食らうことで力の増幅や、即時補完が可能な種も多く存在するため、人への魔物による被害も歴史的に多く、まったく無害な存在とも言い切れないのが現実である。


今ユリウスの目の前で、コロコロと転がっている一見可愛らしい生き物からは想像がつかない。


《しかし、これほどの薬草やら作物やらを、何もないこの場所でよく栽培できたものだな。…実に今更だが。》


「この塔には、色々な資料があるからね。おそらく以前は書物の保管場所としてだけではなく、研究機関としての役割もあったんだと思うよ。


世界中の薬草や作物の種子が、資料として保管されていたから、培養して増やしたんだ。」


ユリウスはジュノに説明しながらお盆に作ったスープを盛り付けた皿をひとつ乗せて部屋をでた。うしろからはジュノがついてきている。


お盆に乗せた料理をこぼさないよう気をつけながら、石造りの螺旋階段をゆっくりと登っていく。


「一つ一つ、大事に育てたんだ。タネが取れたらまた少量保管してる。先人たちが残してくれた貴重な資料を、僕が使い尽くわけにいかないからね。」


薄い光が差し込む窓から、柔らかな緑が視界に入る。塔の中層にある庭園。塔周辺だけでなく、外界から切り離されたこの閉ざされた空間でもまた、様々な薬草や作物を育てていた。


《しかし、培養といっても、塔周辺の環境では育ちにくい種もあったであろう?》


「そうだね。だからまず、土から変えたんだ。」


おぼんをそばのテーブルに置くと、ユリウスは足元の土を少し掬い上げた。指の間から零れ落ちるそれは、しっとりと黒々としていて、命の気配すら感じられるほど。


《土を変える?》


「うん。水魔法に微量の聖属性の魔素を含ませて、定期的に土に与え続けると、土の質が飛躍的に向上するんだよ。」


ユリウスは小さな笑みを浮かべ、手を広げた。彼の指先に、淡い光が灯り、透明な水滴が浮かび上がる。その中には、わずかに金色の輝きが混じっていた。


「これが聖属性の魔素の粒子。これをほんの少しずつ、土に与えていく。そうすると、土自体が生き物みたいに元気になる。栄養が行き渡って、どんな種でも根を下ろしやすくなるんだよ。頑張らせすぎるのもよくないから、休ませる期間もつくらないといけないけどね。」


ジュノはその説明に、興味深そうに目を細めた。

《だが、すべての植物が同じ条件で育つとは限らぬだろう?》


「そう、だから個々に応じて土自体の水分量と、空気中の湿度、温度をエリアごとに制御してる。最初は自分の魔法で調整してたんだけど、流石にずっとは疲れるから、今は道具に任せてるんだ。」


ユリウスはそう言いながら、視線を窓辺へと向けた。そこには、小さな彫像のような姿をした人形が立っている。


全体は粗く削られた木製で、四肢はやけに細長く、頭部は異様に大きい。顔はぎこちない笑みを浮かべており、目は不自然に大きすぎる丸いボタンが二つ、左右で微妙に高さがずれている。胴体には乾燥した草花が無造作に巻きつけられ、腰からはぼろぼろの布がスカートのように垂れていた。


風に揺れるたび、布切れがふわりと踊り、まるで奇妙な踊り子のように見える。


「可愛いだろ?」


ジュノはしばらくその姿をじっと見つめ、無言で首をかしげた。

《…ふむ。あれが、お前の言う「可愛い」なのか?》


「かなり昔、風の小妖精(シルフィー)が迷い込んできたことがあってね。その子に似せてみたんだ。ほら、手足の繊細さとか、風に揺れる優雅な姿とか…」


ユリウスは満面の笑みで言ったが、ジュノは何度も人形とユリウスの顔を見比べた。


《…おぬしの目は、塔の外の闇にでも閉ざされているのか?》


「え?」

一瞬、彼の笑顔がぴたりと止まった。


《手足の繊細さ?どこがだ。まるで悪夢の中から抜け出したような歪なものだぞ。顔は無理に笑わせたかのような不気味な表情で、胴体は…なぜ乾燥した草を巻きつけた?》


「だ、だって風の小妖精(シルフィー)は花の冠を被ってたから…それをイメージして…」


《とてもじゃないが、冠には見えんな。お主のはよくて鳥の巣じゃ。》

ジュノは呆れたようにため息をついた。


「そ、そんな…でも、ちゃんと機能はするんだよ?温度や湿度の調整は完璧で、植物ごとに最適な環境を維持できるし、魔素を流し込んで自動で動くんだ。」

ユリウスは必死に反論し、誇らしげに胸を張る。


《それは認めよう。じゃが、美的感覚は…ある意味天才的とも言えるな。》

ジュノはしっぽを揺らし、まるで不憫なものを見るような視線をユリウスに向けた。


「う…でも…ぼくはこれが好きだし、ちゃんと働いてくれてるんだから…それでいいんだ…」


ユリウスはしょんぼりと肩を落としたが、窓辺の人形は風に揺れてその異様な笑顔をこちらに向け続けていた。


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