村を救った賢者
帝都による封鎖令が発せられてから、すでに十八日が過ぎようとしていた。
懸念された市民の混乱は、早期の物資供給と情報統制によって抑えられ、封鎖対象となった都市や宿場町では、いずれも大きな騒ぎにはならず、秩序が保たれている。
各関所には皇女直属の騎士である精鋭たちが派遣され、出入りした者の記録を入念に調べ上げていた。
しかし、結果として感染の疑いがあるものはおろか、兆候すら見られなかったのだ。
「この状況であれば、封鎖対象の範囲を緩和してもよいかと。」
副官であるシリルがそう提案した。青みを帯びた長い銀髪。前髪は無造作にサイドへ流れしている。20代後半ほどのその男は、眼鏡を指先で軽く押し上げ、セリナの書いた二重の警戒圏をじっと見つめている。
「初動から十八日。潜伏期間の十二日はすでに過ぎたが、今の所感染者はなし……幸運というべきか。しかしどうにも腑に落ちないな。」
セリナは静かにつぶやいた。
「確かに妙ですね。食料などの支給品にはまだ余裕はありますが…様子を見ますか?」
「……いや、封鎖区域のうち、第二圏を解除する。ただし、念の為各都市に配置した騎士は3名ずつ駐屯させ、引き続き出入りする人物の確認と、都市内での感染者がいないか注視するように。」
「畏まりました。」
セリナはふと地図に目を戻し、括られたエリアに指を這わせた。
「……第一層に駐屯基地を移す。」
「場所はいかがいたしましょう。」
「……ここにしよう。」
そう言ってセリナが示したのは、病の感染源とされるフェルト村にほど近い町だった。
「リンドですか。…今回病の発生源となった村に、最も近い町ですね。」
「殿下、その町についてひとつご報告が」
別の補佐官が部屋へ入ってきた。手には一通の報告書。
「なんでも、数日前、リンドの町にて、黒い斑点の症状を訴える者が三名現れたとの情報があがってきました。」
「なんだって?それは確か。」
「はい。しかし、いずれも“旅の薬師”なる者に治療され、三日と経たず回復したとか。その薬師は名も名乗らず北東へ去ったそうです」
室内に静寂が落ちた。
「症状の詳細は?」
「黒斑、発熱、四肢の痺れ…初期段階の黒呻病と類似しますが、治癒師たちの見解では、毒草か風土病の可能性もあるとのことです。」
「旅の薬師が用いたという薬は?」
「不明です。ただ、服用した薬が入っていたらしい器類を複数押収できましたので、現在、治癒師が解析にあたっております。」
「もし本当に“あれ”の初期症状であったなら――治癒は不可能なはず。ならば別物であったということになる。…もしくは、その薬師が本当に……いや、それはありえないな。」
シリルが緊迫した表情で述べる。
「…死の呪いを治せる薬師など、到底信じられませんが…いずれにせよ、その薬師を追うべきですね。」
「あぁ。行き先は北とのこと。すぐに追跡隊を。リンドの町での聞き取りを続け、その薬師についての情報を集めてくれ。」
「承知いたしました。」
セリナは、ふと視線を落とした。報告書の片隅に、村人の言葉として記された走り書きが目に留まった。
――「死を覚悟したとき、彼は現れ希望をもたらしたのです。その姿はまるで絵物語に出てくる賢者様のようでした。」
「…私は今からフェルト村へ向かう。」
そうセリナ告げた瞬間、シリルの顔色は一気に青ざめた。
「いけません!それは…あまりにも危険にすぎます、殿下!」
その声は、普段の冷静さを失い、わずかに震えていた。
「魔素を纏える貴方様でも、命の保証はできないのですよ!」
「フェルト村にまだ生きている者がいる可能性が見えてきたのだ。」
セリナの声は静かでありながら、一切の反論を許さぬ確固たるものだった。その強い眼差しを受け、シリルはさらに焦りの色を濃くする。
「現地に行き、見て、聞いて、確かめる。もし、あの村で異なる病が発生し、それがまた新たな形で広がろうとしているならば、早期に判断し、帝都へ正確な情報を届ける必要がある。」
セリナは一歩、シリルに近づき、その視線を強く見つめた。
「それに、もし呪いでないのだとすれば、まだ村人たちを救う手立てがあるかもしれない。近隣の町で三人という現状ならば、まだ希望はある。
…彼らは何度も帝都へ助けを求めていた。なんの返答もない国の対応に、きっと見捨てられたと、そう感じたはずだ。遅すぎるかもしれない。だがまだ間に合う可能性があるのなら、王族として私が行くべきだ。」
その時、その場にいたものたちは、セリナの瞳に宿る強い意志と、王族としての器を目の当たりにし、息を呑んだ。それはシリルも同様だった。
「……わかりました。」
シリルは深く息をつき、目を閉じた。
「ですが、一人では行かせられません。私どもを…どうか、お連れください。」
「わかった。ならば、レナートとエイリスを連れていこう。二人とも、かまわないか。」
セリナの声に応じ、後方で控えていた二人の騎士が顔を上げた。
「まぁ、いいですけど。」
気だるげな声で応じたのは、柔らかな癖のあるブラウンの髪を持つ青年、レナート。
「わ、私たち二名とも、オーラを習得済みなので…あの、大丈夫…だと思います。」
そう答えたのは、エイリス。紫黒色の髪は肩より少し上で切り揃えられており、目線を落とし、指先をぎこちなく組みながら、どこか怯えたように口を動かしている。
「よりによってまたクセの強い二人を……まぁ、いいでしょう。」
シリルはため息をつきながら、意を決し、改めて言葉を続けた。
「ですが、私も同行を――」
「シリルは拠点で、私の代わりに指揮をとるんだ。」
セリナは皆まで言わせず命じた。その冷静な声に、シリルの顔がまた苦悶に歪む。
「そんな…」
普段は“銀狼”などという、物騒な呼び名で呼ばれている鋭く理知的な男が、見る影もなく狼狽している。
「殿下、どうかお考え直しを…!」
「シリル。私の不在時にここを守れるのはお前しかいない。私が最も信頼しているおまえにしか任せられないことだ。」
「……くっ…、セリナ様の命ならば従います。」
不満気ではあったが、セリナの言葉に渋々シリルは了承した。
「必ず、ご無事でお戻りを…。」
「あぁ、必ず。」
力強くそう答えたセリナは、レナート、エイリスとともにフェルト村へと馬を走らせたのだった。
***
セリナの心は、村に近づくにつれて静かに緊張を深めていた。
「二人とも、そろそろオーラを纏っておけ。…もうすぐだ。」
セリナの指示に、レナートとエイリスは頷き、それぞれ魔素を体に纏った。
呪いに関する、まるでこの世の地獄のような記録の数々が、頭の中を巡る。
彼らが味わった苦しみや恐怖は、想像すら及ばない。
希望を託し、必死に帝都へ届いた手紙も、王族によって無碍にされた。
『国民を守ることもせず、何が王族か…!』
胸の奥底から煮えたぎるような怒りが湧き上がる。
怠惰な父王、傲慢な兄、そして――無力な自分自身。
「…どうか、無事であってくれ。」
祈るように呟く声は、風にかき消された。
***
三人がフェルト村に到着したのは、陽がやや高く昇った頃だった。村の門をくぐった瞬間、三人は思わず動きを止めた。
「……これは……」
セリナの背後で、レナートがぽつりと呟く。
広がっていたのは、想像していた地獄とは正反対の光景。
農夫たちは畑を耕し、子どもたちは笑いながら水汲みに駆けていく。軒先には干した魚が風に揺れ、焼きたてのパンの香りがどこかから漂ってくる。
ここは本当に、病に飲まれたはずの村なのか?
「セリナ様、これどうなってるんすか…」
レナートも困惑げな表情を浮かべている。
「ひとまず聞き取りだ。二人とも、オーラはどの程度纏っていられる?」
「俺は一刻ほどですね。」
「わ、わたしは半刻…くらい。」
「わかった。では半刻を目安とし、その後村の外で一度落ちあい、情報共有を行おう。」
二人は頷き、それぞれ分かれて動き出した。
***
「失礼、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか。」
セリナは洗濯を干したいた様子の女性に話しかけた。鎧を纏った騎士を目の前に、警戒の色を浮かべている。
「感染症の報告を受け、帝都から派遣されてきたのですが、何かご存知のことはありますか?」
「知りません。」
セリナの言葉を聞いた途端、女性は顔を背けそう答えた。何かを隠しているのは明白だ。
じっとセリナが視線を向けつづけていると、女性は困ったように答えた。
「たしかに、感染症が流行った時期はありましたが、二月以上も前のことです…今更ではありませんか。」
「それでは、今この村に感染者は…」
「おりません。なので、もうお引き取りくださ…っ!ちょっと、どうしたんですか?」
セリナは安堵のあまり、気づけば膝から崩れ落ちていた。
「よかった…本当に、よかった。」
神に感謝を伝えるように蹲ったセリナを見かねてか、女性がそばに歩み寄ってくる。
「帝都の人たちは、こんな辺鄙な村のことなんて気にもとめていないのだろうと思っていました…。でも、あなたはそうではないのね。」
女性の口調は、さきほどよりも暖かさを帯びているように感じる。
「…ごめんなさい。本当に、本当に遅くなってしまった。」
「そんな、いいんですよ。賢者様がきてくださっ…!あ、いえ、忘れてください。」
女性は口が滑ったと言わんばかりにさっと手で口を覆い、大慌てで走り去っていった。
「賢者…?」
その場に残されたセリナの頭の中に、報告書にあった一文が浮かび上がる。
ーーまるで物語に登場する賢者様のようーー
「いったい何が起きているというんだ…」
***
「なにか隠してますね。確実に。」
村の外で落ち合った後、レナートは腕を組み呟いた。エイリスも小さく頷きながら、気まずげに指をいじっている。
「わ、私もそう思います。…でも、ここの人たち嘘が下手で…隠し事してるのわかりやすい…です。」
「まぁ、感染者がいないってのは本当っぽいっですね。何かを隠してはいますが、病に対する恐怖や焦燥みたいなものはまったくなかった。」
セリナは顎に手を当て、思案気な表情を浮かべた。村は平穏そのものだが、感染症の話になると、村人たちはみな一様に目を逸らし、口を閉ざしていた。
「ひとまず、オーラは必要なさそうだな。しばらくこの村に留まって、村人の警戒を解きつつ情報を集めよう。」
セリナの提案に二人が頷いた。そのとき三人のほうに、一人の男が歩み寄ってきた。
「よう、あんたたちが帝都から来たお偉いさんたちか?」
「あなたは?」
「この村の代表を務めてるジャックだ。聞きたいことがあるなら、俺が答えよう。」
「申し訳ない。村人たちを怯えさせてしまっただろうか。」
「鎧を着た騎士様なんて、中々お目にかかれるものでもないからな、こんな辺鄙な村だと。まぁ立ち話もなんだ。うちにくるといい。」
セリナは静かに頷き、ジャックについていく。レナートとエイリスも警戒を保ちながら後に続いた。




