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煌星のバルトラ  作者: ハル
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毒花


 マリナは、朝から浮き足立っていた。緊張と興奮が入り混じったような面持ちで、用意された制服の襟元を何度も直しては鏡の前に立ち、深呼吸を繰り返す。


「ついに……皇女殿下の侍女に……!」


 侍女控えの間で、彼女の表情は希望と喜びに満ちていた。小さな頃から憧れていた宮廷勤め。その中でも、とりわけ華やかで高貴な存在である第二皇女殿下の傍に仕えることは、地方の出身である彼女にとって夢のような出来事だった。


「ねぇマリナ、その……くれぐれも、言動には気をつけてね」


 やや緊張気味に声をかけたのは、マリナと同期だが、先に皇女宮に配属となったヘレンだ。


「ヘレン!久しぶりね。えぇ、もちろん……でも、どうしてそんな顔するの?」


「い、いや……ただね。皇女殿下は……とても、その…」


 どこか言い淀むような口ぶり。けれどその裏にある“何か”を感じ取るには、マリナはまだ無垢すぎた。いや、それ以上に、彼女の心を満たしていた期待と憧れが、何もかもを見えなくしていたのだ。


「えぇ、もちろん知ってるわ。“妖精姫”って呼ばれるほど、可憐で愛らしいお姿をされてるって!そんな方にお仕えできるなんて…本当に夢見たい。」


 やがて、部屋に呼び出しの声がかかり、何か言いたげなヘレンとともに第一皇女の私室へと向かう。


 そして、マリナは初めてその姿を目にした。


 波打つ蜂蜜色の髪に桃色の瞳。頬はうっすらと薔薇のように色づいている。にっこりと甘い笑みを浮かべるその姿は、まるで物語の中に出てくる妖精のように可憐だった。


「…きれい……」


 つい、口の中で呟いた。


 その瞬間、背後でヘレンが小さく息を呑んだのを、マリナは気づかなかった。



***



 その日、皇女宮の寝室で、ゆったりと目を覚ましたリリアナは、まだ眠たい目を擦りながら、のろのろと手を伸ばし、呼び鈴を鳴らした。


 その後すぐ聞こえたノックの音。入室を許可するといつもどおり、複数人の侍女たちが身の回りの世話をはじめる。


 普段は昼近くまで眠ることが多いのだが、今日は長らく魔物討伐で遠征に出ていた騎士団が帰ってくる。


 リリアナは今日という日を待ち侘びていたのだ。侍女に促されゆったりと鏡台の前へ腰掛ける。


「今日は、特別に磨き上げてちょうだい。」


「畏まりました、第二皇女殿下。本日は何か催し物があるのですか?」


 リリアナの髪をとかしていた侍女が純粋そうな笑顔を見せながら話しかける。


「あなた、いまなんて?」


 この侍女は、今日がリリアナにとってどんなに待ち望んだ日かも知らずにこの場にいるのだ。なんという怠慢だろう。ふつふつの腹の中に怒りが込み上げる。


「見ない顔ね。」

 リリアナは妖精姫に相応しい笑みを浮かべ、次女に声をかけた。


「はい!この度皇女殿下付き侍女に配属されましたマリ…「あなたが誰であるかに興味はないの。」


 侍女が名乗るのを遮り、そばに寄るよう手招きをした。


 侍女は少し慌てた様子で頭を下げ、リリアナのそばにやってきた。


その直後、リリアナは侍女の髪を勢いよく引っ張った。バランスを崩した侍女は、短い悲鳴をあげて倒れ込む。


「誰が口をきいていいと言った?」


「うっ…も…申し訳ございま…」


「わからない子ね。口を開くなと言っているの。せっかくのいい気分が台無しだわ。」


 リリアナは侍女の髪を片手で乱雑に握りしめながら、足をゆったりと組み直す。侍女の瞳からこぼれ落ちた涙が、絨毯に跡を残していく。


 その姿を目の前の鏡越しに見つめながら、そのままぶんぶんと侍女の頭を揺らした。侍女の頭皮からブチブチと髪が抜け落ちる。


「…っう、…っ!」


 他の侍女たちは目を伏せ、必死に気配を殺しているようだ。誰もこちらを見ようとしない。ここに配属されて長いものほど、分を弁えている。


 リリアナの琴線に触れてしまえば、ただでは済まない。しんと静まり返る部屋の中に、侍女の悲痛な吐息のみが長い間響き渡った。


 しばらくすると侍女の体からくたりと力が抜けた。どうやら意識を失ったようだ。もっと躾けてやろうと思っていたが、意識がなくては味気ない。


リリアナは興味を失って、放り投げるように侍女の髪を手放した。


「さっさと片付けなさい。」


 他の侍女達が即座に動き出し、力無く横たわる女を抱え部屋を出ていき、残った者は部屋の後始末とリリアナの身支度をはじめた。


「頭の悪い子はきらいよ。」


「大変申し訳ございませんでした、皇女殿下。教育が行き届いておらず…あの者には後ほど厳しく言い聞かせます。」


 侍女長が頭を深々とさげる。


「言い聞かせる?そんな必要はないわ。あの子がこの城の敷居に足を踏み入れることはニ度とない。そうでしょう?」


「…皇女殿下の…仰る通りに、ございます。」


 侍女長はそう返答し、再度深々と頭を下げた後、仕事を再開した。


「私がこの日をどれほど待ち焦がれていたか。あんな馬鹿な質問をしてきたあげく、身の程も弁えずにぺらぺらと…あぁ、腹が立つ。」


 怒りが収まらないリリアナはそばにいた侍女に問いかけた。


「ねぇ、あなたは知ってる?今日がどんなに特別な日か。」


「…だ、第二騎士団の皆様が、遠征の任を終え、帰還される日で…ございます。」


 よっぽどリリアナのことが恐ろしいのか、可哀想にふるえてしまっている。


「あら、あなたは馬鹿じゃないのね。その通りよ。クロード・シャルヴァンが帰ってくる。私の愛しい人…」


 クロードのことを考えていると次第に嫌な気分が薄れていく。クロードもきっとリリアナに会いたくてたまらないはず。


 リリアナは目の前の鏡に写る自分の姿を見て、甘いため息をついた。


お母様譲りの顔立ちは、皆が口を揃えて、薔薇の妖精のように愛らしいと褒め称える。


侍女たちによって瞬く間に整えられた姿はよりいっそう輝いていた。大陸中を探しても、リリアナより美しい人間は存在しないに違いない。


「この私からの寵愛を一身に受けるなんて幸運よね…クロード。あぁ、はやく逢いたいわ。」


 半年ほどの長期遠征に出てきた騎士団が帰還する今日という日を待ち侘びていたのは、その騎士団の中にリリアナの最愛の人がいるからだった。


蒼焔の自由騎士。クロード・シャルヴァン


 彼と初めて会った日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。


太陽のように輝く金色の髪、鋭い藍色の瞳。スラリとしながらもしっかりと筋肉のついた体躯は、まるで彫刻のように美しく、その姿を思い出すだけで胸が高鳴る。


それ以来、クロードを手に入れるためあらゆる手段を講じてきたリリアナだったが、王族ではなく、国に忠誠を誓う自由騎士として、独立した権威を持つ彼は、中々思い通りにならない。


それが、更にリリアナの想いに拍車をかけていた。欲しい物は大抵手に入れてきたのに、初めて手に入らないものに直面したもどかしさ。


今回こそは絶対に私の所有物にしてみせるわ。リリアナはうっとりとした表情で、窓を見つめたのだった。



***



アスラ・カヴィネスは、扉の前で一瞬足を止めた。


 部屋の内側から聞こえてくるのは、押し殺したような少女の嗚咽と、絨毯を擦る衣擦れの音。しばらくすると、気を失っている様子の1人を支えながら、複数人の侍女たちが部屋を出てきた。


どうやらタイミングが悪そうだと察し、アスラは少々間を空けてから扉を軽くノックをし、入室した。


甘い香油の香り。奥には何事もなかったかのように鏡の前で微笑む皇女リリアナの姿があった。


「アスラ。ちょうどいいところに来たわ。そこにある手紙をクロードに渡してきてちょうだい。」


「畏まりました。お返事はその場でいただいて参りますか?」


 形式的なやりとりの裏で、アスラの視線は部屋の隅にちらりと向けられていた。


おそらく、先ほど運ばれて行った侍女のものと思われる髪の切れ端が、絨毯の上に落ちている。周囲の侍女たちは、それをまるで見なかったことにするかのように、無言で手を動かし、片付けていた。


「必要ないわ。遠征を労う茶会への招待状よ。返事は決まっているの。」


 リリアナがほほえむ。

その顔は、あまりにも無垢で、愛らしい。


――だからこそ、この女は恐ろしいのだ。


 アスラは、かすかに目を細めた。リリアナというこの皇女は、その愛らしい容姿で誰もが見惚れる微笑みを浮かべながら、残虐なことを平気で実行する。


そして、時として誰かの人生を簡単に破壊するのだ。アスラ自身も、人生を壊された者の一人だった。


 アスラは深く一礼し、書簡を手に取る。背筋はまっすぐ。まるで一切の感情を持たない人形のように、静かに部屋を後にした。



***



侍女の控室には、気を失っていた侍女のマリナが、同僚のヘレンから介抱を受けていた。


「言ったじゃない!言動には気をつけなさいって…っ!」


 ヘレンが目尻に涙を浮かべながら、赤くなったマリナの目元に冷たいタオルをあてている。


「皇女殿下は愛らしい外見をしていらっしゃるけど、一度琴線に触れてしまったら、恐ろしい目に合わされる。特に第二騎士団のシャルヴァン卿に関わる事柄においてはね。とても残酷な面があるの。」


 床に投げ飛ばされた際に打ちつけたマリナの頬に塗り薬を塗りながら、ヘレンは続ける。


「あの見た目からは想像できないわよね。でも、皇女宮に配属されてる人はみんな知ってるわ。」


 恐怖からなかなか抜け出せずにいる様子のマリナは、涙が止まらない様子で頬が濡れている。


「…っわた、し、悪気はなかった。こぅ…じょ様が、あまりに幸せそうに微笑んでいらっしゃったから、何でか気になっただけで…うっ」


 ぐずぐずとしゃくり上げながら話すマリナにヘレンが答えた。


「ごめんなさい。私も詳しく教えてあげられたら良かったんだけど、皇女宮はどこに耳があるかわからないから……


でもあなたはまだマシな方よ。以前勤めてたメイドなんて、皇女殿下の逆鱗に触れて顔に大きな火傷跡が残ったの。

とりあえず、今後はほんとに気をつけるのよ?本当に必要な時以外は、言動も最小限にするの。」


 こくこくとマリナは必死に頷いていると、そこへ、侍女長がやってきた。侍女長の険しい表情を見た二人の間に緊張が走る。


「侍女長様、どうされたんですか?」


 ヘレンが恐る恐る尋ねると、侍女長は重い口を開いた。


「マリナ、あなたは今日付で解雇されることになったわ。」


「そ、そんな…まってください!うちは両親がいないんです。急に解雇だなんて、しかも王宮をクビになんてなってら、どこも雇ってはくれませんっ…!明日からどうやって弟達をたべさせていけば…」


 マリナの瞳から更に涙が溢れ出す。そんな姿を見て、侍女長はそっと懐から封筒を取り出し、マリナに握らせた。


「紹介状よ。これを見せれば、前向きに検討してくれる雇先もあるでしょう。残念だけれど、私にはこれぐらいしかしてあげられない。ごめんなさいね。」


「…こんなの、あんまりです。」


マリナはぐしゃりと手の中の紹介状を握りしめた。


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