柔らかな愛に包まれて
あれから、何日経っただろうか。
ふと気が付くと、僕は歩いていた。
一寸先も見えない、この吹雪の中を。
雪は今も絶えず吹き付けてきているというのにもかかわらず、不思議と寒さはない。
疲れも、感じない。
『何故、歩いているのか』
その疑問にたどり着いた時、僕の意識はまた霧散していった。
――おーい、おーーい
目を覚ますと、洞窟の中だった。
「やっと目が覚めた......もう、死んじゃうんじゃないかって心配したんだよ?」
急にそんなことを言われても、困る。
いや、その前にそもそもこの子は誰なんだろうか。
「君は......?」
僕が起き上がると、少女は驚いた顔をする。
その表情に、不思議とどこか懐かしさの様なものを感じた。
「あんな雪の中に倒れてたのに、よく動けるね」
そう言われて、意識が霧散する直前のことを思い出した。
「君がここまで運んできてくれたの?」
少女は頷くと、ポケットからパンをとり出して僕に渡してきた。
「私は必要ないから、食べなよ。あ、たぶん凍ってるからちゃんとあっためて食べるんだよ」
そう言われるが、あたりを見渡しても焚き火どころか微かな灯りすらない。
あれ――それなら、僕はどうしてここが洞窟だと、彼女が驚いたと、そう理解できたんだ?
ここには、ただ一寸の灯りすらないというのに。
「......どうやって?」
僕のつぶやきが聞こえてしまったのか、少女はまた驚いた顔になった。
「そんなの、火を使ってに決まってるじゃない」
求めていた答えは、当然帰ってこなかった。
いや、そもそも僕の発言が彼女の捉えたであろう意味のものだったとしても、それは回答になっていないだろう。
「火なんて、どこにもないじゃないか」
僕がそういうと、少女は不思議そうに小首をかしげる。
「どこにもないなら、作ればいいじゃない」
少女は立ち上がり、柔らかく目を瞑った。
「強く、強く思い浮かべるのよ。それがどんな姿だったか、どんな手触りで、どんな暖かさだったか」
少女は前に突き出していた手を後ろで組み直すと、目を開いて僕を見た。
「さ、早く」
そう言われて、しかし何故だか僕はそれに従うのが自然な流れだと感じて、目を瞑った。
強く、強く思い浮かべる......火の姿形、色、温度――
瞬間、瞼に隔たれたその奥から確かな光を感じた。
そっと目を開いてみると、そこには――
「ーー火......」
僕の目の前には、人魂みたいに『火』が浮遊していた。
その火を見ているうちに、僕の手は引き寄せられるようにパンを近づけていった。
熱くは、ない。
でも、温かい。
手に持ったパンが、みるみるうちに溶けていくのがわかる。
それが何故だかとても心を揺らして、パンと火との距離はどんどん近くなって行き、最後には手ごとその中に入れてしまった。
それでも、熱さはなかった。
ただ心地良い、温かさだけ。
その感覚には、覚えがある。
そう、それは、懐かしい......今はもう決して見ることのできない景色。
――わぁ、とっても上手!!
そう、それは、かつての、あの日の、温かい――
――君の行先が、温かい愛に満たされていますように
あぁ、まただ。
またあの時と同じように、僕の意志なんて関係ないとでもいうかの如く、また、涙が溢れた。
そしてそれは、瞬間的にあたりを緑の吹き抜ける草原へと変えてしまう。
少女も、洞窟も、あれだけ降り積もっていた雪すら、まるで幻だったかの様に一片たりとも見当たらない。
それでも、手の中のまるで焼き立ての様なパンだけが、確かにそれが夢じゃなかったことを教えてくれる。
一口、齧ってみる。
優しい、幸せの味がした。
『もう、大丈夫みたいね』
広い緑の海原に、ひらり蝶々が一つ。
どこまでも、天高く駆けていった。
補遺
やはり、この方向性で概ね間違いないようだ。
……少なくとも、今のところは。
もうあと二、三ほどやり終えたら一度全体を見直すとしよう。