ある運命の虚像
前作。
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(ある運命の隙間)
斬首される夢を見た。
首の肉を冷たい刃が通り抜け、骨を砕いて貫いた。
熱い血液に濡れ、沢山の喝采の中で死ぬ。
唯一、わたしの為に涙を零したのはわたしをこうした男だけ。
何と滑稽な悲劇だろう。
その夢のせいで、わたしは暫く体調を崩した。
そして、いつの間にか子を孕んでいた。
×
俺は魔女の忘形見らしい。
産後の肥立が悪く、母親は死んだ。
……と、聞いている。父親が、そう言った。
父親らしい男はいつも「お前は母親に似ている」と告げた。
「その目以外は」とも。
言われる度に、存在を否定されたように感じていた。
『母親の紛い物』の姿に、『父親の紛い物』の目だと。
姿を幻視され、目の色を拒絶されている。
そんな俺が、真っ直ぐに育つ訳がない。
姿だけ残して愛情を注ぐ事なく消えた母を呪い、俺を見る事なく淡々と対応する父を憎んだ。
ある時。
父親が小さな子供を連れてきた。
普段は無表情な癖をして、忌々しそうな表情をしていた。
「私は忙しく、人を雇う訳にもいかぬ。故に、お前が世話をしなさい」
そう言い捨て、父親は去る。
見れば、父親とよく似た女の赤子だった。
随分と歳の離れた妹だ。
そして思った。
『実は、母親は生きているのではないか』と。
年の離れた妹からは、俺自身と非常によく似た魔力の波動があった。
同じ両親から生まれないと、魔力の波動が似る事はそうない。
だから、母親は生きている筈だと考えた。
そうでなければ、説明が付かない。
×
歳の離れた妹は、全く喋らなかった。
凶兆だとされる独特な髪色と目の色をしていて、ほとんど動かなかった。
それでも俺はたった一人の家族だからと、思い付く限り大事に世話をする。
父親がそこかしこに貼っている監視の術式を真似て妹の異常をすぐに知らせるものを作ったり、妹の世話のために妖精や精霊と契約したりした。
父親は学校にも入れてくれず全てが独学だったが、妹だけでも学校に入れてやろうと、幾つもの仕事を掛け持ちした。運良く俺自身の見目は良かったから、金を弾んでもらうこともあり、妹は入学した。
ある日。
妹は怪我をして帰って来る。どうやら虐められたらしい。
妹の姿は兄の目から見ても、美しかった。そして凶兆とされるその髪と目の色。
その二つで周囲に軋轢を生んでしまったのだろう。
そして、しゃべらない。
理由は理解できた。だからと言って、妹に手を出すなんて。
妹は泣かなかった。ただ、いつも通り虚な目でそこに立っていた。
駆け寄り心配の声をかけると、『心配しないで』と言いた気に、僅かに目を細める。
その姿を見て、プツリと何かが切れた気がした。
×
気付けば軍人に取り押さえられていた。
妹を虐めたやつは動かなくなっていた。
そんなことがあっても、父親は無関心だった。
×
俺を取り押さえた軍人によって、とある場所に連れられた。
要約すると、国の為に人間を始末する組織だ。
『その力は国の為に使え。そうすれば帳消しにする』との事だった。
俺のせいで学校に居られなくなった妹に教育も施すと言われたので、承諾する。
自分の事は心底どうでも良かった。
妹の為になら、何でもやってやろうと思っていたのだから。
そこには俺みたいに死んだ目をした体格のいい青年と、両目を抉られた貧相な少女が居た。
この二人が、俺の仲間らしい。
そして組織の中で力を付けた俺は、それを利用して母親の居場所を探ることにした。
×
それから。
父親だった男の持つ隠し部屋の中に、母親が居た。後に彼女は保護され、現在は医療施設で療養中だ。
「モロク・トリアス。よくも母さんを酷い目に遭わせたな。お陰で俺も妹達も、人生が滅茶苦茶だ」
「はあ。然様ですか」
男は心底興味がない様子だった。
「是が、私なりに考えた『愛』だったのですが」
「白々しい。仮にそれが事実だとしても、アンタは異常だ」
母親のイスラフィリアという女は、父親に捕らわれていた。所謂、監禁だ。
食事は十分に与えられ身体も清潔だったが、酷い有り様だった。
部屋から出られないよう魔術の刻印が施されており、身体には至る所に鬱血痕や魔術で治療された箇所があった。
そして。
部屋の中には胎児の死体が複数あった。
俺の妹弟になるはずだったもの。
つまり、あの妹は胎児を使った呪いの産物。
「異常……其れが何か。此れは儀式に必要な手段でした。其れに。彼女は居ない事になっておる。故に、保護した者が如何に扱おうとも問題は無用であろう」
「いいや。倫理として問題が大有りだ。そして、アンタの捕縛命令が出ている」
「……チッ。此の位が引き時でしょうかね」
呟き、男は姿を消した。
「…………」
複雑に魔術妨害の術式を張っていたのに、逃げられた。
×
どうにか、逃げ切った。
思い付く限り、全ての魔術式の解法を総当たりで高速で構築して対象の術式を砕く。
それは非常に頭に負荷のかかる作業だった。
あの子供は、若い癖をして複雑な捕縛の術式を用意していた。
さすが、己と魔女の子供だと思う。
顔を抑えても、隙間より鼻血が滴る。
耳は鈍い耳鳴りと轟々と血潮の音がした。
目眩が酷く、視界が霞む。
ここはどこだろうか。
とにかく移動したいと、無理矢理術式で移動した。恐らく何かしらの縁のある場所には飛んだ筈だ。
よく見えないが、白む景色と祖国とは異なる空気のにおいに肌の感覚がある。恐らく、異国にでも飛んだのか。
だが、そんな事はどうでもいい。
深く、落胆して息を吐く。
「(嗚呼、矢張り)」
『愛』が分からなかった。
別に、真に理解してやろうだとか悟りの境地へ赴きたかった訳ではないが。
本当に分からなかったのだ。恨み辛み怒り悲しみなど、そう言った他方を害する感情や本心と違う上っ面の感情にしか触れた事がなかったのだから。
思考を続ける為に歩みは止めない。そのままで思考を続ける。
珍しく『手に入れたい』と強く想った女ならば知ることができるだろう、と考えていたのに。
丁度運良く、女は犯した罪の大きさ故に死ぬ以外の道が許されなかった身だった。
……そう仕向けたのは、己だったというのに。
斬首されるならば、その後はどう扱っても良い。そう、解釈できる。
死んだ身故に、表にさえ出なければ生きてても構わないだろう。
表にさえでなければ、死んだも同然なのだから。
自身に与えて欲しかったものを、あの女には与えたつもりだった。『愛』を与えて欲しかったから、己の思う『愛』を与えたつもりだった。
なるべく死なないように、なるべく傷付かないように。
彼女が欲しがったものは自由以外は何だって与えてみたし、彼女が望んだことは法に触れないよう加減しながらやってみせた。
しばらくして、女はそれを受け入れたように思えたのに。
ふと、己を拘束しようとした者の顔を思い出した。
確か、無感情と憎悪を混ぜたような表情だった筈だ。
もう、どんな顔だったのかすら思い出せなかった。
あの女によく似た姿に、自身とそっくりな目の色をした子供。
記号のようにそこだけは覚えている。
呪術や体内に巣食う魔物に思考が塗り潰される故に、忘れないようにそう言い続けた。だから、そこだけは覚えている。
結局、自分は自身の両親の様になってしまった。
子に愛情を注げぬまま、子に憎悪された。
どうすれば良かったのだろう。何が正解だったのだろう。
幾ら考えても、もう手遅れだ。
気付けば顔より垂れる血が止まっていた。
「(是から、どう生きようか)」
そう思考した時。
「赦さない、赦さない」
呟く、見知らぬ女が居た。
「あんたのせいよ、あんたのっ!」
叫び、腹に鋭い痛みが走る。
「ぐっ……」
腹から、熱い血液が溢れた。
視界が、暗転する。
誰、だったのだろう。
何かの折に呪いをかけた人間の、親族だろうか。
全く心当たりがない。
どうせなら、死ぬ時くらい好いた女の事でも考えようと、思考を切り替えた。
斬首される筈だった、あの女の事を。
酷く我儘でこだわりが強く、反抗心の強い小娘の事を。
己が死んだ後、一体誰が世話を焼くのだろうか。
あの女は一人では何もできない。
一等に扱い難い、厄介な女だ。
柔らかく良い匂いの寝台の中でないと寝起き早々に不機嫌になり朝食を口にしなくなる。
だからと言って朝食を与えなければ、より不機嫌になる。
食事は選り好みが酷い。
硬過ぎず柔らか過ぎない食事でなければ。
長い咀嚼が必要なものを与えると段々と不機嫌になってくる。
旨みのある食事だとそうでもない。
匂いについても気を付けねばならなかった。
こだわりが強く、特定の食事には特定の香草を決まった量を入れていた。
いつか書き記そうと考えていたが、結局やらず仕舞いだった。
彼女は香草を入れた温牛乳が特に気に入っていた印象がある。
牛乳でなく山羊でも良かったが。
それに、着用する衣服も肌触りの良いものでないと。
彼女の肌は脆い。そして繊細だ。
彼女が気に入る布地を見つける事には大変苦労した覚えがある。
最終的に、自身で作った布地を使った。
その布地を与えた時の顔を思い出すと、苦労した甲斐があったと思えた。
彼女は色のこだわりもかなり酷かった。
気に入る色のものでなければまず触れようともしなかった。
一体どれほど甘やかされたのだと頭を抱えた。
どうにか説得するか、彼女の気にいる色に染色するしか解決方法はない。
その上、染料にも気を付けねば彼女の肌が荒れる。
別に、自身にとって不思議とそれは面倒事ではなかった。
そういえばあの染料が足りなかったな、と、ふと過る。
まあ、今から死ぬ己にはもう関係の無い話だ。
己が居なくなった後、彼女はどうなるのだろう。
新しい名と共に新たな人生を歩むのか。
新たに好きな相手でも見つけて、今度こそ幸せに暮らすのだろうか。
ああ、そうだ。
「(彼女は、)」
寂しがり屋だったな。
帰りが僅かでも遅れると「遅い」と文句を言い寂しかったと泣くその姿を思い出した。
×
「来ないで!」
いく度目かの拒絶の言葉と共に、物を投げられる。
投げられたそれが顔に当たり、そこがじくじくと痛んだ。
保護した母親はどうしようもない女だった。
だいぶ甘やかされて育ったらしく、自分では何一つ満足に出来ない。そのくせ、やり方には一々注文を付けて気に入らなければ癇癪を起こした。
初めは監禁されたショックで参っているのだろうと考えていたのだが、どうやらそうでないらしいと気付く。
そして、癇癪の二言目には
「あの人ならやってくれたのに」
「あの人ならこうはならなかったのに」
と、監禁した男の事を告げた。
どんなに大事に扱っても、世話をしても、『あれが嫌だ』『これが嫌だ』『あの人なら』と癇癪を起こし話にならなかった。
人間を相手にしているとは到底思えない。
一体、あの男はこの女に何をしたのだろうか。
……それとも、元からそうだったのか。
×
そして。
療養機関の中で、魔女は自死をした。
×
魔女は愛を知らなかった。
なので、子供と対面した時に湧いた感情に恐怖を抱き、拒絶したのだ。
だが魔女は男を愛し、男も魔女を愛していた。
愛を知らなかったもの同士できっと、何かが噛み合ってしまったのだろう。
目も当てられないほど悲惨でも、二人はそれで良かった。
それは、歪な恋愛の話だった。