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第86話 契約更新

 

「はははぁ!地獄から這い上がってきたぜ…翔真ァ!」


 外から這い上がってきた人影は、体と長髪をゆらゆらと揺らしながら2人の視界に現れた。その狂気的な笑みに2人は戦慄する。


「ひっ…」

「桐緒か…!」

「死んだと、思ったかぁ?ははッ!生憎体は生まれつき丈夫なもんでなぁ…」


 桐緒はメキメキと音を立てながら肩を回す。ボロボロの衣服を脱ぎ捨て、半裸になりながら2人の近くへと歩みを進めていく。


「星衛の小僧か…!どうりで」


 そんな桐緒の姿を見るなり、アオは顔を青ざめさせ、綾児の後ろに身を隠した。


「アオ…?どうしたんだい」

「綾児!ヤツを妾に近づけるな!」

「君が言うなら」

「ああん?なんだよ石川センセ。そっち寝返ったんか?」


 対峙する二方に対し、桐緒は相も変わらず己の腕にナイフを押し当てた。引き裂き、垂れた血液を撒き散らすと、辺りには“霊芥”が浮かび上がり始める。


「まぁどうでもいいっスわ。今から翔真と決着ツケるんで、ジャマしないでくださいよぉ」

「決着なら着いただろ。お前の負けだ」

「あー?まだどっちもしっかり生きてんだろ」


 現れてからというもの、桐緒は翔真から目線を外すことはない。焦点は常に一点、出雲翔真を見続けていた。


「死ぬまでだ。完全に息絶えるその瞬間が俺たちの決着。それ以外は認めねぇ」

「っ、そんなに死にたいかよ」

「ほざけ。死ぬのはテメェの方──────」


 ブ ォ ン !


 その刹那、アオの尾が桐緒を貫かんと放たれる。


「──────?!」


 が、アオの尾は空を切り、何も捉えられていなかった。それどころか尾の上に、狙ったはずの桐緒が立っていた。


「おい。今俺ジャマすんなって言ったよな?」


 そこでようやく桐緒の殺意に満ちた瞳が、翔真以外の方へと向いた。その眼差しだけで、アオは身を震わせた。


「ひっ、ぃ!!」

「桐緒!あまりアオを虐めないでくれるか」

「じゃあ、そのガキは石川センセがよく見といてくださいよ。次やったらマジで殺しますから。てか、ソイツあれスか?九尾ってヤツですか?」

「だったら何だ」


 桐緒は数秒、考えてから結論を出す。


「だったら、ソイツから半殺しにすんのもアリか…?」


 殺意に満ちた怒りとは対照的な、冷徹な眼差しがアオを刺した。この場にいる誰よりも宿した代力は小さい。だが、桐緒の気迫には代力の差を感じさせない“何か”があった。


「は…まあどっちでもいいか」

「アオを傷つけることは、僕が許さない…!」

「知らないっスよぉ。教師なら教師らしく、いつもみたいに生徒を諌めてくださいよ、石川センセ」

「っ、どいつもこいつも好き勝手やりやがる…!」


 “対妖の衆”出雲翔真。“憑景の衆”星衛桐緒。そして、アオと石川綾児。突如として確立された三つ巴による睨み合い。一見、簡単に崩れるように見えた状態は、ただそこで留まり、進むことも崩れることもしなかった──────ただ時間は経過する。何かの変化を待って。


「「──────?!」」


 そして、来るべくしてその変化は訪れた。


 〜〜〜〜〜〜


 中心城、最も地面に近い階層にて。


「黙って死ね」


 そう告げると共に、カミナリは飾音に金棒を振り下ろした。悔しそうに歪む顔目掛けて振り下ろされる金棒は──────


「──────?!」


 飾音から大きく外れ、何も無い床を砕き潰した。その直後、カミナリの鼻腔を酒の匂いが通り過ぎていく。


「離れろ、下郎が」


 怒気を含んだ声が後ろから投げかけられた。

 カミナリが振り向くと、そこには眼帯の女が立っている。


「誰だオマエ」

「その方の“象物(ヴィジョン)”だ」

「はぁ?」


 カミナリは怪訝な面持ちで首を傾げる。“象物(ヴィジョン)”と名乗る彼女はどう見ても人間である。感じ取れる気配すらも、間違いなく人間の“それ”。


「…“憑景”の契約者か?ウチを相手にするなら、もうちょっとマシな増援連れてくるんだな」


 ──────構わない、雑魚が増えただけだ。

 そう心の中で呟き、カミナリは金棒を肩までもたげ、近づいて行った。

 触れ合うまで数歩、互いに手の届く距離にまで近づくと止まった。


「今からテメェは死ぬが、文句ねぇな?」

「それは…誰が死ぬんだろうね?」

「テメェだっつってんだろ!!」


 今度こそ振り下ろされた必殺の金棒は──────


「…!?」


 またもや空を捉えていた。同時に走った目眩のような感覚に、カミナリは戸惑うことしかできない。


「な…なんだ、これ」

「どいて」


 状況を把握しきれていないカミナリに、眼帯の女の容赦ない蹴りが顔面へとヒットする。倒れ込むカミナリには一切目もくれず、女は飾音の方へと駆け寄った。


「飾音様…!ご無事ですか!!」

酒守(しゅしゅ)、か。お前が来たってことは、アウトか?」

「ええ。残念ながら」

「はぁーあ!最っ悪。こうならねぇ為にも引きこもってたってのによ」


 “酒守”と呼ばれた眼帯の女は飾音を大事そうに抱え、優しく起こした。その様子にカミナリは怪訝な顔をする。


「シュシュ、だと…?それに、この酒の匂い。お前、まさか」

「下郎が。この方を誰だと心得ている」

「いいってわざわざ言わなくても」

「時枝家の“巫女”にして、本家の一人娘!時枝飾音様であらせられるぞ!」


 酒守はわざとらしく膝をつき、どこからともなく取り出した紙吹雪を辺りに散らした。


「“巫女”だと。“霊樹”の声を聞ける、唯一の契約者…!」

「大袈裟だな。そんな大したもんじゃねぇよ」

「黙れ!テメェなら知ってるはずだ!“対妖”が消される前のあらゆる記憶、そして記録…!“霊樹”の声を聞けば、何もかも知れるはずだろ!」

「そんな事ないぜ。私はもう10年は“霊樹”の声を聞いてない」

「は…?なんで、そんなこと」

「単に聞くのが嫌になったからだ。でも、まあ、もう、な?」


 飾音は面倒そうに下ろしていた髪を結わえ、酒守に目配せをする。


「我ら“守り人”に守られるようなことが今後起こるまで、“霊樹”の声は聞かなくてよいという約束でした」

「“守り人”!やはりお前が時枝家直属の、人工象物(ヴィジョン)だけで構成された契約者集団か…!」


 飾音は髪を結わえ終えると、服の袖をまくり上げ、手を祈る形に組んだ。


「そんで今が約束の時ってワケ。クソめんどいんだぞ、これ。お前のせいだからな?」


 ──────目を閉じ、堅苦しく告げた。


「霊樹よ霊樹。我が声に疾く応え、(ちぎ)りと(やく)せよ」


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