第77話 進む覚悟
切れる息。
焦燥と緊張で上手く呼吸が出来ない。
「はっ…はっ…!」
それでも。
雪は廊下を駆けていた。瞳には曇り1つない。彼女にはなんの迷いもない。ただひたすらに走り続けている。
『雪ちゃん!何してるん?!止まってや!』
雨宮杞憂の声が頭に響く。
名家である彼女らの命令はできるだけ聞くようにと“上”から命令されていた。つまり、これは彼女ら“対妖”だけでなく、逆らわないと誓った“上”からの命令にも、逆らうこととなる。それを分かっていながら雪は走り続けていた。
“三上四季”だった者を抱えながら。
『そう…やっぱし、そっちはそっちで企んどったんやね。なら、こっちも好きにやらせてもらうで』
壁に瞳が現れる。走っている雪を追跡するように、瞳は閉じては、雪の向かう先に出現してくる。
「ちっ…!」
“障子に目あり”
雨宮家の象物“三つ目入道”の解釈であるこの力は、契約者の視界を拡張し、分散させる。この目が見えている景色は見られている。つまり、雪の動きはあちらに筒抜けだということ。
己の行動は、己のやろうとしていることは、今にバレる。知られれば、自分はタダでは済まない。
「──────っ!見つけたぞ!あそこだ!」
「人を集めろ!相手は腐っても名家の契約者だ」
「数を集めろ!」
ゾロゾロも現れ始める追っ手。その迫り来る有象無象を前に、雪は儚げに笑う。
「お前らが思うほど立派な人間じゃない。私は真っ当な契約者ではないからな」
呟き、己の解釈を広げる。
“猩々”
四の席を与えられた名家、雪家の象物。狸を象ったその異形が持つ解釈の一つは“変化”。契約者である雪は、腕を伸び縮みさせ鞭の如く振るった。
「解釈拡だ──────」
「お──────」
「ひっ──────」
わずか一瞬、彼らが手の内を見せるよりも早く、しなる腕から放たれた銀閃がその首を刈り取っていく。
「……悪いな」
動かなくなった身体の群を過ぎ、雪は先を急ぐ。
人を殺めた感覚に、雪は何の罪悪も感じていない。
“契約者殺しの契約者”
それを望んだのは、元を辿れば他でもない“対妖”の人間だった。象物を“退治”はしても、人を“殺める”ことは忌み嫌った彼らの願い。雪の強さの根源、他の契約者よりも遥かに長けていること、それは…。
「見つけたぞ!すす──────」
「待っ──────」
「死にたくな──────」
「退いてくれ、雑魚ども」
人殺しの経験。
人を1人も殺したことがない組織“対妖の衆”。ここではその経験の差が浮き彫りなっていた。一瞬の躊躇い。人殺しの躊躇が命取りとなることを雪は知っている。もしこのどうしようもない差を埋めることが出来るとするなら、それは──────
ヒュ カッ!
放った刃は、現れた影によって弾き返された。
「──────よお、雪ちゃーん。どこ行きたいのかな?」
「カミナリ…様、っ!」
どうしようもない、生まれの差のみが埋められるのだろう。
「ビックリしてんなぁ…あーあ、よくもまあ。同じ組織じゃないとはいえ、同じ釜の飯を食った仲間をこんなにできるもんだ」
「何故。先程まであの部屋で倒れていたはずでは…」
「ああ、あの式の攻撃はそりゃ効いた。今でも身体中ズキズキ痛みやがる。でも、ウチは打たれ強さも取り柄なんでな。即復帰して、ここに馳せ参じたってワケ」
カミナリは拳を打ち合わせ、白い歯を見せながら告げる。
「解釈拡大“鬼の拳”」
カミナリの拳が結晶のようなモノに覆われ、真っ赤に染まり始める。鋭く伸びた爪から、尋常ではない代力が立ち昇っているのが分かる。
「追いつくのも一苦労だったぜ。お前の知らない抜け道通ってよー」
「っ…!」
うねり、伸ばした腕によって、さながら鎖鎌のように攻撃を放つ。
「──────聞けよ」
が、刃はいとも容易く見切られ、カミナリの手によって握り砕かれる。
「その抱えてるヤツ、どうするつもりだ?そんなのお前らが持ってたって仕方ねぇだろ」
「…これは、母様の判断ではない」
「じゃあ、誰のだよ」
「私自身の、判断だ」
「はぁ?ふざけてんのか」
カミナリのイラついた声と同時に、腕の結晶がより鋭く尖る。
「舐めてんだろ。お前な、俺らが人殺したことないからって高ァ括ってんだろ?コイツらに殺せるワケねぇってな!」
力強い踏み込みと共に、2人の距離が縮まる。
「ウチの大将はな、もう一人殺してんだよ。そもそも“対妖”が今相手にしてんのはもう象物じゃねぇ。今の状況を作り出しやがった“誰か”だ」
コンクリートごとひび割れんばかりの闘気が、彼女から一斉に吹き出す。
「ウチらも日和ってらんねぇ…殺す覚悟で進んでんだよ!!“対妖”舐めんじゃねぇ!!」
ここから先は通さないとでも言わんばかりに、拳を構えて雪の前に立ち塞がった。交えなければ通れない。生半可な覚悟では、雪は事を達成できないことを改めて確信した。
「……私も、私もなんだ」
「あぁ?」
「私も…!進む覚悟で行動しているっ!!」
その胸に燃えているものが何なのか。実は雪自身もよく分かっていない。初めての感情であるのは確かだった。ただ、生かしたい。この左腕で眠っている“三上四季”を。己の命を賭してでも、守りたい。
「戦おう。カミナリマコト…!私たちにはそれが必要だ」
「テメェが!ウチの名前を呼ぶんじゃねぇ!人殺し風情がァ…!!」
コンクリートに囲まれた狭い空間で、その闘諍は始まった。




