第74話 躊躇い
乾いた空気に陰鬱とした雰囲気。ぼんやりとした思考で、コンクリートを歩いた。やがて辿り着いたのは鉄格子の森。鎖に繋がれて微動だにしない男は、異様な存在感を放っていた。
「──────来たか。三上四季」
薄川帝誠はいつかと変わらない調子で口を開く。敵地で、それも何日にも渡って捕らえられているというのに、その様子からは少しの疲労も窺えなかった。
「決断は出来たか」
「……しました」
「聞こう」
「オレは、死ぬことにしました」
帝誠はオレの返答に顔を顰めるのではなく、狼狽えることもなかった。ただ一回、息をついた。
「それは決断か?」
「決断です。オレは、“風間式”に託すことにしました」
「託すだと?何をだ」
「何もかもです」
「ふん…お前のそれは、託す者の顔では無いがな」
「なんですか、託す者の顔って」
「絶望したような顔で“託した”と曰われても信じられない。と、そう言っているのだ」
そこで初めて帝誠は感情を顕わにした。怒りか、それとも苛つきなのか。不愉快そうに細めた目で、オレのことを見ていた。
「“託した”というのなら、絶望はするな。託したのだから」
「…そんな悲観的にはなってません。ちゃんと決断しましたよ。オレは」
「決断ではない。それは“諦め”だ、三上四季」
やはり揺るがない。真意を突いているような口振りで、帝誠はオレに語りかけてくる。批難ではない。侮辱でもない。淡々と、ただ彼の言葉を口で紡いでいた。
「決断をしろ。三上四季」
「したと言ってるでしょう…!」
「私はここで待つ。お前が決断するまで」
「っ…!オレは言いましたからね!ここで“風間式”になると。逃げなかった場合、あなたはここで犬死だ!無駄死にするだけだ!」
吐き捨てるように言うと、オレは黙って見ていた雪と共にその場から離れる。決断した。オレは決断したのだ。ここで“風間式”にこの体を明け渡し、翔真達の助けとなる。オレに出来るのはそれくらいしか無いのだから。
“箱庭”に戻ったところで、オレを必要とする人間はいない。ならば、ここで少しでも誰かの助けになれば。必要とされる誰かになれるなら。
「……。」
やっと“誰か”になれるというのに──────。
「三上四季」
「…なんですか」
「次はどこに向かうつもり、かしら。まだ恐らく“準備”は出来ていない」
「どこでもいいです…なんならこの牢屋の中で待っててもいいですよ」
誰もいない空の牢屋を指さして、オレは自嘲気味に笑った。刻一刻と近づく終わりの時間。オレにはもう、なんの未練もないと思っていた。
「止まれ」
「…?」
「この辺りは雨宮様の“目”が少ない場所だ。雨宮様の“三つ目入道”は見ることに特化しているから、会話の内容は聞かれない」
「聞かれなかったら、なんなんですか」
「……わ、たしは」
雪は立ち止まると、突然言葉に詰まり出した。何かを言おうか、言うまいか、その場で腕を組んだり、目線をアチコチに泳がせたりして、ずっと何かに迷っている様子。そうして、満を持して雪は口を開く。
「象物“三上四季”。お前の契約者は、私だ」
「…!」
「だから私が監視を任されている。お前との繋がりは時間が経つごとに希薄になっているが、今はまだ命令には強制力がある」
「そう、なんですか」
突然のカミングアウトに思わず困惑した。彼女も迷った末に伝えたのだろうが、何故?なんの意図を持ってオレに伝えたのか。伝えた雪自身も何やら混乱したような表情だった。
「お、お前の諦めは、絶対にここから逃げ出せないという壁があることから、来るものだ」
親指で、雪は自分自身を指した。
「私を殺せば、それは解決する」
「なにを言ってるんです?」
「私を殺せば、ここの連中はお前を拘束する術を無くすだろう」
「そんなことして、何に」
「ここから逃げ出せる。さっきの薄川帝誠と協力すれば、それは確実になるだろう」
雪は戸惑うオレの胸ぐらを掴み、宝石のような瞳を覗かせた。
「お前は諦めなくて済む」
「…なんでそんなことを、オレに」
一瞬我に返ったのかその瞳が黒く淀む。オレの問いに数秒、考えを巡らせたと思うと、雪は手を離してから探り探りに喋り始める。
「“雪家”は本来、名家と呼ばれる家系ではない。むしろその真逆の家系だ」
「…?は、はあ」
「契約者殺しの契約者。代々組織の裏切り者を殺してきた我々は“対妖”と“憑景”の両方に属していた。属していながら、その両方に忌み嫌われていた」
「名家の契約する象物には“数字”が決まって名に入っている。“二角鬼”、“三つ目入道”、“五徳猫”…だが、不吉とされる“四”の数字を持つ象物は現れなかった」
「ある時、その“四”の席として“雪家”に名家の地位が与えられた。そのおかげで今、我々は契約者として胸を張って生きられている。お天道の下を歩けているのは、そのおかげだ」
「…?」
首を傾げる。
何を伝えたい。何が言いたいのか、全くその意図が読めなかった。彼女は今、なんの話しをしている?
「恩義があるのだ。“時枝様”に。我々“雪家”は」
「は、はぁ。時枝…?」
「お前は“時枝様”の大事なご友人だ。だから、守らねばと……そう。そういう命を受けたのだ。お上から」
「だからオレを助けると…?」
「ああそうだ」
「…酷い冗談ですね。それで自分の命を捨てるって言うんですか?」
「そうだ」
自信満々に告げられた。冗談、には聞こえなかった。この人は心に決めたかのように、オレを見つめてくる。
会って対した時間も過ごしていないオレに、何故そこまで出来るのか。聞いたところで、多分彼女は正しい答えを返さないだろう。恩義があるから、“時枝様”のためだから、とそういうわけだ。
「どうする。三上四季」
その真っ直ぐな視線に、オレは──────
「──────ダメです。やりません」
「何故だ」
「あなたを殺してまで、生きたいと思わないからです」
「…?そういうもの、なのか」
「……ほら、もう部屋に戻りますよ」
不思議そうにしている顔から、目を背ける。
彼女の“決断した”目を見て、オレは気づいてしまった。オレは“風間式”ほどの人間にはなれない、そう思っているから。翔真の計画を妨げるに値するほどの“何か”がオレの中には無いから。
“善く”生きる自信がないから。
オレは今の“死”を受け入れようとしているのだった。




