第73話 死神の足音
「聞いているのか。三上四季」
平坦な声に体をビクリと揺らした。
ここに来て何日経ったのか…今日はオレの、三上四季の最後の日だった。オレを“風間式”にする“準備”が完了する予定の日。オレはこの日まで何もしない、何も考えない無気力な時間を過ごしていた。
だが、それも今日で終わる。
「返事をしろ。三上四季」
「…どうしました?雪さん」
「何か食べろ。もう三日何も口にしていないだろう」
「いりません…食欲ないので」
「お前は象物だが、体はれっきとした人間のそれだ。餓死する可能性がある」
「別にいいでしょう?オレがどうなろうと」
「自惚れるな。その身体はいずれ“風間式”となる。お前のために言ってるのではない」
「……」
そりゃそうだ。この人がこういうことを言うのは、あくまでオレの監視役だから。分かっていながらオレがこうしているのは、ちょっとした抵抗だった。
「……はぁ」
雪は嘆息し、ベッドの上から動こうとしないオレの手を掴んで引いた。その手を振り払う気も、そんな気力もあるわけがなく…オレは引かれるままに、彼女へとついて行った。
やがて部屋を出て、着いたのは広い空間だった。誰もいないが、遊びっぱなしにされているビリヤード台や散らかったテーブルから、数時間前までの人の息を感じさせる。
「適当に座って待っていろ」
雪は近くにあったテーブルを片付け、カウンターの奥へと消えていった。オレは困惑しながらもソファーに腰を下ろす。酒だか香水だか嗅ぎなれない匂いが、意識を現実へと向けさせる。
「ふぅ…」
自然と息が漏れていた。オレは今日完全に消え、“風間式”となる。その事実は今も頭に残っている彼の記憶が証明している。
『クロの力を使うことで“三上四季”の記憶だけを完全に消す。そうすればお前に残るのは“風間式”の記憶だけだ』
翔真から冷たく告げられた言葉。オレの記憶だけを消すというのが困難らしく、今日までその準備が必要だった。
ガチャ ゴト ゴトン
カウンターからの物音がしたと思うと、香ばしい匂いが流れてくる。
「……最後の晩餐、かな」
まだ朝だが、自嘲気味に呟く。仕方の無いことなのだ。オレが消えた方が、得する人が多いのだから。救われる人が多いのなら…。
「おーおーなんかこの部屋辛気臭ぇなぁ!!」
快活な声と共に部屋へと入ってくる人間が一人。オレは振り向かなかったが、彼女はすぐさま近づきオレの肩を組んだ。
「誰かと思ったら三上の四季くんじゃない。今暇?」
「……」
「何とか言えよ。人形」
カミナリはニヤついた笑みでオレの顔を覗き込んでくる。彼女はずっとオレのことを目の敵にしているようで、遭遇する度にこうして絡んでくる。もうウンザリだが、これも今日まで。
「なぁなぁ、暇ならウチとバトってくんねぇ?この頃任務無くて暇でよ。翔真も相手してくんねぇし」
「……」
「あらら?おいおい壊れちゃったのかな?このお喋り人形は」
手のひらで頬をブニブニ押してくる。表情にはイラついているのがあからさまに出ている。
「……チっ、んだテメェはよお!!」
ドカッ!と目の前の机を蹴り上げた。
結構大きめな物音だったのか、聞きつけたであろう誰かの足音がタッタカと部屋に近づいて来た。
「──────ちょっと何?!うるさいんですけど!」
また、よく通る声と共に部屋に誰かが入ってくる。そして同じように近づいてくるその姿に、オレは目を疑う。
「え……?」
「は?何?人のことジロジロ見て」
晴永入歌
赤いツインテールに気の強そうな顔立ちの彼女は、何故か全裸であった。晴永家の当主だという彼女は間違いなく、オレの目の前で死んだはず。斧でその身を引き裂かれた瞬間を、オレは確かに見たはずだった。
「なによ。幽霊でも見たような顔して…あ、象物でも性欲とかあるの?」
「…い、いや、だって」
「ん?ああ、そっか。ウッカリだわ……いや私死んでないからね。死んだけど」
「死、ん??」
「そりゃ何も説明せずに全裸の幽霊が現れたらこんな顔になるわな」
「私の象物、五徳猫の解釈よ。“猫の九生”」
入歌はソファーに掛けてあったパーカーを手に取るとそのまま羽織った。ペタペタと裸足で歩き、何食わぬ顔で向かい側のソファーに座ってしまった。
「今回はちょっと時間かかったな。なんでだ?」
「さあ?帝誠さんだったからじゃない?」
「え…え?入歌さんは生き返ったってこと?」
「まーね…って、そんな驚く?“九尾”の力の方がヤバいと思うけど」
解釈の力はなんでもありだと前々から思ってはいたが、ここまでは予想出来なかった。死んだ人間が生き返ると……。
「っ……!」
ゾクリ、と悪寒が走る。
死期が背後まで駆け上がってくる感覚。突然、自分の中で現実味を帯びだしたのだ。“風間式”の復活。“三上四季”の消失。全て有り得るのだ。それは今日、確実に実行される。
「……はっ!おもんねーな、お前」
「あ!てかカミナリ!三上四季と戦おうとすんな!その身体は式様の物なんだからね!」
「わぁーってるよ。心配しなくても、今戦う気失くしたから」
「はぁ?なによ急に」
「べっつにー」
低く唸る声で立ち上がると、カミナリは部屋を後にした。
「なにアイツ…気をつけなさいね。アンタに一回負けてから、カミナリはアンタと戦いたがってるから」
「大丈夫です。今日、消えますから」
精神を強く保とうとも、声は震えていた。
「それもそうね」
「他には、どんなことが出来るんですか。その“五徳猫”は」
「え?まぁ、せいぜい火を起こすくらいかしらね。名家の中じゃ、多分私の解釈が1番しょぼいわよ」
「生き返る、ことよりもですか」
「だって“九尾”なんか記憶や存在を消しちゃうでしょ?」
「っ…そんなこと、本当に人の想像で出来るんですか…?」
「何を今更。カミナリの“二角鬼”は他人の解釈を打ち消せるし、杞憂の“三つ目入道”は見たいと思った場所が見れるのよ?」
有り得ない。そんなことは起こらない。分かっているはずなのに、その瞬間のオレは否定したかった。ありえない、人間の想像ごときがそんなことを起こすわけが…。
「ありえないって思ってる?でも、現に今、死んだはずの私が目の前にいるでしょ」
「──────は、はは。そう、ですね」
弱々しい灯火にフッと息が吹きかけられる。
「……待たせた、わね」
コト…
最後の晩餐が、机に置かれた。




