第70話 あわせ鏡
「起きて、シキ」
我が子をあやす母のような、優しい声色に目を覚ます。暖かな毛並みと木漏れ日に、パチリとまどろんでいた瞳を開ける。
「……おはよう。“九尾”」
「ええ、おはようシキ」
“九尾”は起きた僕に頭を擦り付けて、愛情表現をした。僕もそれに応えるように、微笑みながら真っ白な尻尾とその頭を撫でた。
──────僕は風間 式
対象物犯罪組織“憑景の衆”
その中でも最も力を持った象物と契約している8つ家系の家系のうちの一つ、風間家。僕はそんな風間家の次期当主だった。
「今日は機嫌がいいね。何かいい事あった?」
「今日は式の誕生日だろう?そりゃ機嫌も良くなる」
「え…そうだっけ?僕、まだ12歳か…」
「“まだ”…ふふ。そうだな。式にとっては“まだ”か」
“九尾”は大きな瞳を細め、クツクツと笑う。僕はなんだか馬鹿にされているような気がして、少し不機嫌になった。
「なんだよそれ。僕だってなぁ…」
「あぁ、そう膨れないでくれ。行こう。誕生日の朝食はきっと美味しいぞ」
狐でありながら体長2mはあるその巨体をノソリと起き上がらせて、“九尾”は屋敷の中へと入っていく。9本もある尻尾を、揺らしながら。
「──────式!起きてるかい!?」
父の声が屋敷に響く。それを聞いて、僕も足早に屋敷の中へと入っていった。漂ってくる朝食の匂いは、いつもと違う。訝しみながらも居間へと向かうと、いつもより豪勢な食卓が視界に飛び込んできた。明らかに、品数がいつもの3倍はある。
「焼き魚あるのに、刺し身まで…」
「おはよう式!どうだい?今日の朝ごはんは」
「やりすぎだよ…どうしたのこれ」
「箱庭一の料理人に作ってもらったんだ!」
なんの邪気もない、満足気な笑顔を向けてくる。この男の名は“風間和葉”。僕の父親であり、風間家の現当主である。
「今日は式の誕生日だからね!遠慮せずいっぱい食べてよ!」
「朝からこの量はちょっと…ねぇ、九尾」
「和葉。この量は式にはキツい」
「あ、そう……ごめん。ちょっと、張り切りすぎちゃったかな」
露骨に落ち込む父親に溜息をつく。誕生日の日だとしても、この男はいつもこうではない。何かあったのだろうか、と考えながら、机の前に腰を下ろした。
「──────だーれだ」
と、後ろに走り寄ってくる気配を感じると、視界が暗転した。感触からして、誰かの手が僕の目蓋を覆っている。誰の仕業なのか、分かっていながらも僕は口を開く。
「九尾、これは誰かな」
「九尾!しー…バラさないで!」
「ふふふ、さて、誰だろうな」
「誰だろう。見当もつかないな」
「ヒント!式の大好きな人です!」
「…分からないな」
「さらにヒント!私は式が大好きです!」
「さぁ……誰だろう、なっ!」
覆っていた手を振り解き、後ろにいたその小さな体を抱き上げた。
「もー、ちゃんと誰なのか当てて!」
幼い顔つきに、長い黒髪。僕の後ろに居たのは──────
「──────クロ」
口から突いて出た名前に、オレは意識を取り戻した。
開けた視界に映っていたのは品数の多い朝食などではなく、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた一室。オレは現実に戻ってきていた。
「……どうだ。どこまで思い出した」
目を覚ましたオレに、翔真は話しかけた。
「クロが、いた」
「えっ、私?」
「それはクロじゃねぇ。こいろちゃんだな」
「こいろ…」
聞き馴染みのある名前な気がした。
「“風間式”の妹だ。“風間子色”」
「でも、シロとか、クロと全く同じ顔をしていた」
「“九尾”の片割れは皆、“風間子色”の体を使って受肉してるからな」
動揺するオレに、翔真は当たり前のように告げた。
「…!でも、片割れは一人じゃないだろ。どうやってそんな、何人も同じ人間に」
「それは俺も知らねぇな…で、他に何を思い出したことは」
「特に何も。普通の日常って、感じだった」
「そうかよ。思ったより上手くいかねぇな」
「なんで、なんでオレが、クロを写し取ったら、こんなことになるんだ」
「……そんなことが気になるか?」
眉をひそめる翔真に対して、オレは無言で頷く。
「それはお前が“風間式”に近づいているからだ」
「どういう、意味だよ」
「知っての通りお前は象物だ。その姿形は、人間達の認知や解釈によって形成されている…お前が人間みたいなのは、ほとんどの人間がお前のことを人間だと思っているからだ」
「そして、お前を人間たらしめる要素がもう一つ……お前自身が、自分のことを人間だと思っているからだ」
「オレが…?」
確かに、自分が象物だということ突きつけられてもなお、オレが象物だとを受け入れられないでいた。
「でも、だからってなんで」
「お前はその力、シロの余りある代力を使った“写し取る力”なんだと思ってるだろ?」
「違うって、言うのか…?」
「違うね。全然違う。そもそもお前はシロの力を1ミリたりとも使ったことがねぇ」
そんなはずは無い。今までの戦いの中、オレはいくらでも無茶をしてきた。無尽蔵とも言える神秘的な力が、どこかから流れてくるのを、オレは何となく感じ取っていた。その源泉が、シロ以外、何があるというのか。
「お前が今まで戦いの中で使ってきた力は全部、“霊樹”の力だ──────お前は“霊樹”と契約した人間なんだよ」




