第59話 鬱蒼
それじゃ、と病院に着くと、桐緒くんは別れの挨拶と共に、どこかへ行ってしまった。程よい喧騒の中、三上は呆然と立ち尽くす。来たはいいが、どうしたらよいものか、と。病院と言ってもここは“箱庭”。自分の知る常識が必ずしも当てはまるわけではなく。
チャカ チャカ チャカ
病院の床面と爪がぶつかる音。
ほら、平然と、誰にも連れられてない犬が、病院内を闊歩している。
『…!四季様ではありませんか』
「ん?確か、恋花の象物の…」
『義牙です。シロ様のお見舞いですか?でしたら、まずはそこの受付へ』
「ああ、普通に受付の人に言うのね」
まさか、犬から教わるとは思わなかった。というか思いのほか普通の病院であった。
三上はひんやりとした空気の中、受付での手続きを一通り終わらせる。病室の場所は犬が教えてくれるから分かる、と言うと受付の人は複雑な表情をしていた。“箱庭”でも、これは少し異質なのだろうか。
『着いてきてください』
義牙は迷いない歩みで、三上を目的の病室へと誘導する。行先は以外にも、地下の方へと続いていた。下へ、下へと、1人と1匹は階段を下りて行く。
“象物”
たった2文字で示された階層で、下降止まった。
「あそこだけ、電気ついてる」
『はい。あの部屋です』
一際光を放つ扉へと、三上は足を運んだ。そして、安らかな寝顔を思い浮かべながら、その真っ白な引き戸を動かした。
ベッドが立ち並ぶ一室、綺麗に並べられたそれらの中に一つだけ、透明なカーテンで仕切られているのが見えた。カーテンの向こうには、横たわっている影とは別に、一つ。
「……誰?」
声のする方へと。
三上は遮っていたカーテンをゆっくり開けた。
「四季。お見舞いに来たのね」
右腕にギプスをした恋花が優しく微笑む。
ベッドの上にはやはり、安心しきった寝顔のシロの姿があった。そこには目立った外傷はない。だが、たくさんの管とたくさんのモニターが彼女を取り囲んでいた。
「恋花……シロはどんな感じ?」
「全然問題ないってさ。シロがちょっと特殊だから絶対とまでは言えない。けど、バイタルは異常なし」
「象物にバイタル、ってそれで分かるの?」
「シロは人間に近いから」
小声で呟き、シロの髪を撫でた。雪の層が崩れ落ちるように、銀髪はシロの額を滑る。
「後は、シロが目覚めるだけ。きっと大丈夫よ」
薄く笑んだ瞳の下は、少し赤くなっていた。
「……そうだといいんだけどね」
「そう…ごめん。ごめんね四季。私がもっとしっかりしていれば」
「恋花、もしかして責任を感じてるの?」
「…!う、ううん。違うの。ただ、ただ…」
そこまでだった。
恋花はその先を紡ごうとしたが、俯き、言葉を止めた。鼻をすする音だけが聞こえる。彼女なりの思い悩みがあるのを、三上は理解していた。だが、その目は冷たく恋花を刺していた。
「恋花」
「……どう、したの」
低く唸るような声が、背後から恋花を叩く。そのいつもと違う雰囲気に、今恋花は気づいていた。
「なんでオレを助けたの?」
「え…?」
「あの時。なんでシロじゃなくて、オレを助けたの」
三上の頭には、その瞬間がずっと通り過ぎていた。三上とシロがレッドの尾に貫かれんとしていたその瞬間。恋花が助けたのは、三上の方だった。
予期せぬ言葉に、恋花は固まる。三上の言葉の意図が、まだ読み取れない。困惑しながらも恋花は返した。
「シロは特別な象物だから。滅多なことでは死なない……そう思ったから」
「それは、違うよね」
恋花は振り向かない。三上の顔を見ていない。
それでも、恋花には何となく三上の静かな怒りが、声から読み取れていた。
「シロは人間に近い。あれ以上傷を負っていたら死ぬかもしれなかった…恋花はあの時も分かってたはずだよ」
「そ、そんなの…」
「咄嗟だったんだよね。オレかシロか、どっちを生かすかの2択を迫られて…それでオレを守ったんだ」
しょうがないよね、そう囁きながらも、三上の瞳は蔑みの視線を恋花に送っていた。
「シ、シロを守って欲しかった。そう言いたいの?」
「ああ、そうだ。恋花は、シロを守らなくちゃいけなかった」
「そんなの、四季だって死ぬかもしれなかったのよ!」
「それでも、選ぶのはシロじゃなきゃダメだ」
「“ダメだ”って…なんでそんなこと言えるの」
「当たり前だよ。だって──────」
つっかえていたものを吐き出すように、三上は告げる。
「──────恋花は翔真のことが好きだから」
「……え?」
「覚えてるでしょ?“童の足跡”が言ったこと」
三上が言うのは“アリス”が言っていた、“九尾”の能力のこと。そして、その能力と翔真との繋がり。
「シロがいれば、翔真が蘇る」
「そんな話、アイツの嘘っぱちかもしれないでしょ」
「でも、可能性は十分あった。この話、恋花は少しでも信じてた……それでも、恋花はオレを守った。シロと、翔真の繋がりを見なかったことにして」
「…!なんで、そんな言い方」
「おかしいよね?恋花は翔真のことが好きなはずなのに…オレのことなんて、救うはずなかったのに」
瞳が淀む。ここまで人を恨んだ気持ちになったのは初めてだった。
「恋花はオレのことを見ていない」
「何、が…」
「恋花はオレに、死んだ弟を重ねてるんだ──────」
一瞬、三上の視界に人殺しの目が映る。
ガ シ ャ ア ン!!
騒々しい物音と共に、いつの間にか三上は恋花に押し倒されていた。




