第4話 中継地点
恋花とエンカウントしたその翌日。
時は真昼、銀の光が真上から降り注ぐ時間帯。
三上は汗だくで石の階段を踏みしめていた。
「四季、大丈夫?」
「あ…うん…水分補給は…ちゃんと、してるから」
困り眉で手を差し伸べる恋花。
三上は首を横に振ると、一息置いてまた階段を登り始める。
ここはとある神社へと続くとある階段上。
三上は詳しいことは何も聞かされないまま、石造りの階段登らされていた。
頂上にある真っ赤な鳥居が目標とだけ分かっている。
少し長いだけのなんてことない階段だが、体力のない三上には、その石の道が途方も無いものに見えていた。
「本当に大丈夫?怪我もまだ痛むだろうし、
辛かったら、ほらおぶってあげるから」
「少し疲れてるだけ。こんな階段登るくらい…」
「あっ!ちょっと!シキに近づかないでよね!」
近寄ろうとする恋花を小ぶりの手が追い払った。
息を切らす三上のすぐ隣には、ぴったりくっついて離れないシロの姿がある。
「さっき言ったばかりなんだけど!近づかないでって言ったよね私!」
「ご、ごめんねシロ。四季が疲れてそうだったから」
「うるさい!そんな余裕があるんなら先に行って上で待っててよ!私とシキは後で追いつくんだから!」
「でも、四季まだ歩きづらいかもだし…ほら、飲み物とか私が持ってるから」
「そんなの私に渡しとけばいいでしょ!ほら、しっ、しっ」
半ば奪い取るように水の入ったペットボトルを受け取ると
わざとらしく追い払う仕草を見せた。
恋花はあからさまにショックを受けながら、とぼとぼ階段を上がって行く。
昨日、わずか1日だが3人は寝食を共にした。
だが依然として変わりなく、
シロは未だ恋花を受け入れる気はないようだった。
「ふん、油断も隙もないんだから」
「シロ…」
「あっ、やめて。シキが何言っても、私はぜったい!アイツを許さないわ」
「恋花も昨日のことまた気にしてるみたいだから、ほどほどにね…シロは疲れてない?」
「ふふん!全然大丈夫よ。なんなら歌って踊りながらでも登ってあげる」
「…オレ、シロより体力ないんだ」
「頼るならアイツじゃなくて私を頼ってね。
シキのためならなんでもするんだから。
上まで運んでいくのだって、私なら簡単に出来るわよ」
「…い、いや、流石に自分で登るよ。でも、もし倒れた時はよろしく」
シロが頷いたのを確認すると、三上は残った体力を振り絞る。
こうして三上は見守られながら、なんてことない階段を登っていった…。
到着したのは登り始めてから1時間後。
頂上の色あせた鳥居の前で、
三上は息も絶え絶えで腰掛けていた。
「は…は…ひィ…死…これ…」
「大丈夫?怪我は痛まない?」
「うん、その、辺は、全然、無事」
「良かった…運動不足かしらね?今度一緒に走りに行きましょ。男の子なら体力つけなきゃ」
「男の“子”って…そんな風に呼ばれる歳じゃないって。ほら、同い歳だから」
「む、またシキに話しかけてる。やることあるならさっさと済ませてよね。シキも私も暑くてたまんないんだから」
シロは相変わらずご機嫌ななめに睨みを飛ばす。
恋花は軽く謝ると、おもむろに立ち上がった。
手には淡く光っているお札が握られている。
「恋花?なにそれ」
「ま、見てなさいな_______________開けて。空木よ」
鳥居に札を掲げてから、恋花は正面に誰かいるみたいに声を発した。
数秒もすると突然、鳥居に切り取られていた空間に波紋が現れ始める。
「ん…えー、後ろ?知り合いよ。確かに関係者じゃないけど、怪しい者ではないから通してあげて」
「恋花、どうなってるのそれ」
波紋が空間を埋めつくした頃、
恋花の掲げていた手はいつの間にかその波紋にすっぽり呑まれていた。
三上の声は聞こえていないのか、
恋花はそのまま電話するみたいに向こうに喋り続けていた。
「_______________うん。よし来て、二人とも。今からちょっと変わった道を通るよ」
「え?な、なにそれ」
「大丈夫よ。本当に変わった道通るだけ。シロは初めてじゃないわよね」
「知らない。初めて見た。絶対入らない」
「嘘。翔真と一緒によく通ってたじゃない」
「嫌そんなの知らないし、絶対通らない。ね?シキ」
「はぁ…行くよシロ」
「嫌だーっ!!」
目の前の不可解な現象に、若干の不安を感じながらも、
三上はシロを引っ張りながら波紋の中へと手を入れた。
感触は温い湯に浸かるような。
心地良いようで少し気持ち悪かった。
それじゃあ、と先を行く恋花の全身はみるみる波紋の中へと消えていく。
「シ、シキぃ…」
不安げな表情のシロ。
無理やり連れて行こうとしているのが気に食わなかったのだろうけど、シロは駄々をこね始めてからが面倒なのだと三上は知っている。
三上は首を必死に振る少女と手をつなぎながら、
共に波紋の中へと飛び込んだのだった。
歪む視界
埋めつくしていく波紋
ゆらゆらぐわんぐわん
見えていた風景の色は全く別の色へと変わり
「_______________うわっ、と。大丈夫?」
右手を掴む小さな手を感じ取りながら。
気づくと、三上の顔面はなにか柔らかいものに埋もれていた。
…それが誰かの乳房だと、気づくまで数秒。
「っ!ご、ごめん恋花」
「ん?いいのいいの。“門”通るの、初めてはビックリするわよね」
「う、あ、うん、まあ、それはそうなんだけど」
「その辺の椅子に座って待っててくれる?ちょっとやることがあるから」
「え、椅子…?」
気づけば、三上の視界に広がっていたのは先程とは一風変わった…どころかもはや屋外ですらなかった。
室内である。
それもカウンター越しにオフィスが見えているまるで市役所の如き室内。
というか、まんま何かの受付、待合室である。
カウンターの向こうには幾人かのカッターシャツ姿が忙しなく応対している。
「すいません。そこ、通っていいですか」
「…?!ご、ごめんなさい」
突如背後から現れた人にそそくさと三上は道を譲る。
振り返ると、さっき通ってきた波紋の中から何人もの人が入ったり出たりをしていた。
「俺、もう驚かないつもりだったんだけど。
一応ここが何なのか教えてくれない?」
「もうこんなので驚いてちゃキリないんだけど…ここは“境界点”って言うところ。
今から行く“箱庭”と元いた世界を繋ぐ場所ね」
「元いた世界…ここからじゃないとその“箱庭”には行けないってこと?」
「他のやり方でも“箱庭”には入れるけど、ここを経由するのが1番簡単な方法、よね?シロ」
「私知らない」
じゃあちょっと待ってて、と言うと、
すかさずシロの手を引いて恋花はカウンターの向こうへと消えていった。
シキと一緒がいい、という叫びと共に、三上は取り残された。出来ることと言えば椅子に座って、辺りを見回すことだけである。
「はぁ」
ここ数日の出来事が急に頭を過ぎり、思わずため息が漏れた。
見えているのはモニターに向かって忙しなく動く人々と、入口からとめどなく溢れる人々。
文字にして見れば何でもないことだが、裏ではきっと超常的な力が働いているに違いない。
というか、あんなありえない現象を起こしていながら事務作業は割と現代的な方法で済んでいるなのがなんだか不思議である。
あれで一体なんの処理をしているのか。
「_______________よう。どうした少年、浮かない顔してるじゃないか」
三上がそうこう思案していると、
どこからともなく現れた一人が三上に声をかけた。
「…は、初めまして」
「そーかそーか、初めましてか!はっはっはっ!!」
「え?え、あー、ははは」
長身に銀の長髪。
アロハシャツが特徴的な男であった。
「はぁ…どっかで見た少年のようで、全然見ない少年だな。外からの客か?誰と来たんだ、少年」
「空木って人と来ました。あと、少年少年って言いますけど、そんな歳じゃないです。18です」
「おお?マジか。悪いな、じゃあ同じ歳だわ。俺は星衛桐緒。お前は?」
「三上四季…だよ。そんなに子供っぽいかな」
「身長は中学生と遜色ないな。まあ気にすんな、そういうのがタイプのもいるって。ははは!!」
桐緒は銀の髪を揺らしながら、整った顔を歪めて豪快に笑う。
何気に気にしていることを言われたのだが、
言い返そうにもこの人のことをよく知らない。
三上は顎に手を当て、うんと唸った。
「身長、やっぱり身長かぁ…顔はどうしようもないしなぁ…」
「身長伸ばしたいのか?大丈夫、牛乳飲んでろ」
「それは毎日してるんだけど」
「あ…そう。ところで四季くんよ。さっき空木って名前が出たが、それは」
「_______________ここで何してんの」
後ろからかけられたのは低く重苦しい声。
その声に三上はゾッと悪寒を感じた。
連想したのはちょうど昨日の今くらいの時間帯。
確か、全く同じ声を聞いていた。
「うぇ、れ、恋花。どうしたのそんな怒って」
「おぉ!やっぱマイハニーじゃねぇか。空木のご令嬢、ご機嫌いかが?」
「気持ち悪い挨拶すんなよ。桐緒、なんでアンタがここにいるの」
「なんでって普通にさっき…あ、マイハニーに会うためじゃねぇか言わせんな恥ずかしい」
「絶対違うでしょ。昨日任務に行ったばっかなのに、なんでいんのよ」
「あんなしょぼい任務、一日あれば楽勝だって話だ。それより何だ?旦那が留守のうちに、マイハニーは同い年の男子と逢い引きかよ。俺は悲しいぜ、シクシク」
「誰が旦那だ。誰が逢い引き中だ」
「あ…恋花。星衛くんと知り合いなの?」
「俺とマイハニーは婚約者だぜ。
それと、桐緒でいいぜ、四季くん」
「こいつが言ってんのは全部嘘。赤の他人よ」
恋花は三上と初めて会った時と同じ調子で話していた。
遠慮なく冷たく声色で言い放っている。
だが、対する桐緒は割と慣れた様子で受け答えしていた。
嘘をついているのは恋花のようである。
そう思うと、喧嘩しているように見えて二人の間には熟年夫婦のような…。
「…ホントに他人?」
「なぁなぁ、俺とハニーってば他人なのか?」
「っ、許嫁よ。親が勝手に言ってるだけだけど」
「へぇ…許嫁、ホントにあるんだそういうの」
「そそ、俺たち将来を約束されてるワケな」
「!!どこ触ってんのよ、このゴミッ!!」
瞬間、鋭く振り抜かれた拳が桐緒の頬を狙い抜いた。
ドゴッ、と鈍い打撃音と共に桐緒の長細い身は大きく吹き飛んだと思うと、
崩れた椅子の中で逆さまになってピクピクと痙攣していた。ギャグ漫画みたいな挙動だ、と三上は呑気に考えていた。
「…はぁ、ほら行きましょ四季。シロが膨れて待ってるわ」
「え?だ、大丈夫なのあの人」
「アレで死んだなら、それはそれで」
へっ、と乾いた笑いを浮かべると、恋花は三上の手を引いていく。
振り返るとひっくり返ったままの桐緒が、手を振っている。
三上は空いた方の手で、恋花にバレないよう小さく手を振り返した。