第32話 鬼と童子
畳が敷き詰められた廊下を、シロは裸足で駆ける。
息が切れることすら厭わず、全力で疾走している。
常人ならば着いてこられないはずのスピードに、幸奈と太助は着いてきていた。
「シキ……シキ!ここ?!」
「いないよ。シロちゃん、さっきからずっと走りっぱなし。ちょっと休んだら?」
「シキ、シキ…!」
「…必要ないようだ」
三上四季を探し出してから約20分。
シロのその足は止まることを知らなかった。
延々と景色を変え続けるその空間の中、彼女はひたすら1人の男を探し求めている。
「……ていうかさ、この子って象物…よね?」
「茶誉様や恋花様から聞いた話が正しければな」
背の翼を羽ばたかせながら、シロを追っている2人は小声で話す。
「どういうこと?契約者もなしで、姿を現しながら生活してるわけでしょ?」
「普通の象物ではないのだろう」
象物は本来、人間見られ、存在を認知されることでその存在を保っている。
象物にとって人と契約することは、その存在を保証してくれる人間を得ること。観測者や認知する者がいなくなれば、象物の力は穴の空いた風船のように、抜け出て、小さくなってしまう。
そのため、象物は契約者を必要とする。
「見た目は完全に普通の女の子だけど…」
「耳や尻尾を出し入れできるというのも不思議だ。まあそれも“白尾”だから、で納得してしまうわけだが」
それだけ“白尾”は、シロは特別だった。
象物でありながら、人間のように振る舞う彼女の姿は、2人の目には、まるで人間と象物の境にいるような存在に見えていた。
「……!」
と、これまで1度も止まることがなかったシロがようやく足を止める。
幸奈達も気づき、翼の動きを止めると、その先に見えたのは2人分のシルエット。
黒い衣服を身に纏うその姿に、シロは覚えがあった。
「ラッキー!シロちゃんじゃねぇか!どうした?王子様とはぐれちゃったのかな?かなかな?ウチが一緒についてってやろうか?」
「最悪…!!」
ギリ、とシロは歯噛んだ。
視線の先に立っている内の1人はカミナリ。
その小馬鹿にしたような表情と態度はシロの神経を逆撫ですると同時に、神経をすり減らすほどの恐怖を与えた。
「「……。」」
幸奈と太助の2人は何も言わず、臨戦態勢をとる。
目の前の人物達は、名家のどの人間でもない。
部外者がこの建物の中に入ってる時点で、それがどういう人物なのか、大まかには予想がつくからだ。
そして、何よりその力の差。
“白尾”が警戒するのが頷けるくらい、その女の纏う空気は、異質なものに感じられた。
「帝誠さんのせいで会えないかと思っちゃったけど、なんとかなったな。安心安心」
カミナリは笑いながら横にいるパーカー姿の肩を叩く。
その些細な行動に、神経を尖らせていた幸奈は過剰に反応してしまう。
「っ、解釈拡大!!」
幸奈は背負っていたコンパウンドボウに鉄の棒を番え、告げる。
「“天狗の矢羽──────」
「解釈拡大って(笑)」
幸奈が遠くに見えていたはずの姿は、いつの間にか至近距離にまで近づいていた。
「っ、“天狗の」
「言ってる場合かよ!!っと」
カミナリの足先は幸奈の細身を確実に捉え、軽々と吹き飛ばして見せた。
太助は戦慄しつつも、腰に掛けていた刀を抜く。
「か、解釈拡大!!」
「ったくお前も言うのかよ。行儀よすぎかよ!」
「“迦楼羅焔”っ!!」
太助の振るう刀から、怒涛の烈火が吹き上がる。
対するカミナリは攻撃することなく、避けようと動くこともない。
太助は動揺したまま、必死の形相で刀を振るう。
「うあああああ!!」
「…!ダメっ!逃げて!!」
「あ、烏天狗か。っつーことは?お前ら飛鳥の人間だ」
絶叫と共に迫る熱気に、カミナリは眉を1つも動かさなかった。
「“鬼の尖角”」
その刹那、太助の炎は嘘だったみたいに消え失せた。
「はっ?──────げぶぅっ!!」
次の瞬間、カミナリの背後から伸びてきた腕によって、太助はダウンした。その光景にカミナリはつまんなそうに表情を歪める。
「おい、終わりか?こっからが楽しいとこだったろうが…って、え?構ってる暇無いって?わーってるよ」
倒れている太助を軽く蹴った後、カミナリは不機嫌そうな顔のままシロに近づき、吐き捨てるように言う。
「“白尾”、コイツらが死ぬか、お前がついてくるか、選べ」
〜〜〜〜〜〜
「……なんじゃ?」
飛鳥茶誉は嫌な予感を察知する。
それは彼女の持つ“白鵠”の能力により、建物内の一般契約者は全て救出し、安全な場所にてその全てを避難させ終わった時だった。原因不明の不安が彼女の胸を掴んで離さない。こういう時の自分の不安は当たっていると、彼女自身、自覚をしていた。
「四季か?くっそぉ…!じっとしておれと言っておいたのにのぉ!しょうがない!」
契約者達の安全を確認した上で、再び走り出す。
自分の持つ象物の力ならば、必ず救えると信じて、茶誉は出発した。
そう、その瞬間まで彼女の心中はまだ比較的穏やかなものであった。
「あっ、おった、おった。探したで…」
正面から投げかけられる言葉。
目の前に人影、それも見覚えのない人間。
茶誉は即座にそれを敵とみなし、攻撃を図ろうとした。
「久しぶりやねぇ、茶誉ちゃん」
目を細めて笑うその少女に、茶誉の手が止まる。知った顔ではない。見覚えはないはず。だが、茶誉は彼女に攻撃をする気にはなれなかった。それは茶誉にとって味わったことのない感覚だった。
「っ、…?!だ、誰じゃ貴様ぁ!!」
「えぇ、覚えとる?私よ私」
コロコロと笑い、彼女は自分の顔を指さす。
「貴様やないよ。キユちゃんって昔見たいに呼んでや」
キユ、やはり聞き覚えのない名前。
否、聞き覚えのないはずの名前。
『キユちゃん。待って!私を置いて行かんで!』
ありもしない記憶。否、それは存在していたはずの記憶か。白い絵の具に黒を一滴垂らしたように。茶誉の脳内はその記憶によって侵食されていた。
「精神、攻撃…?!なにが、条件のォ…!」
「精神攻撃なんて、酷いわぁ。もしかして、今思い出したん?」
「っ、それ以上その耳障りな声をワシに聞かすなぁ!!」
咄嗟に投げた小石は彼女の頬を掠める。しかし、依然として笑顔は崩さないまま、クスクスと笑うと、彼女はどこかの扉の向こうへと消えていった。
「──────クソっ!!なんじゃアイツは!」
へばりついて離れない、謎の記憶。それは何の焦りか、何への怒りか。先程までポジティブな感情だった茶誉の心中、今ではぶつけようの無い怒りのみが滞留していた。




