第3話 理解者
「ほんっどーに!ごべんだざいっ!!」
部屋中に聞きなれない女性の声が響き渡る。
先程までの殺伐としていた空気とはうってかわって。何かしらの誤解も解け、一悶着終えた三上達は高澄家にて腰を下ろしていた。
土下座する女性とそれをつり上がった目で睨むシロの図。三上は真っ白な尻尾に包まれながら、その様子を眺めていた。
土下座している彼女の名は空木恋花。
どうやら翔真の高校時代(?)の友人らしく、
シロとも知り合いであり、今日はシロの様子を見るためにここに来たとのことであった。
「私、この子に、無関係な子なのに、こ、こんな、こんな…」
「やめて!!シキに指一本も近づかせないで!!」
「う…いや私、け、怪我の治りを早くすることが出来るの。せめてそれだけでも」
「ダメ!またシキに酷いことするんでしょ!この暴力女!!」
「ぼっ!?…う、うう…」
じりじりと近寄ろうとする恋花を、シロは冷たく一蹴した。
三上の右腕にできた噛み傷には、
シロによって巻かれたユルユルの包帯があった。
依然として出血は止まっていない。
「…シロ。この怪我治してくれるってんなら、ちょっと頼みたいんだけど」
「そう、血も出てるし、そのままにしておくのはよくない、わ」
「はあ?怪我させたのはアンタでしょ!?
騙されないで。この女、また酷いことするに決まってるんだから」
「そ、そんな、こと…ぐすっ…」
「…シロ、オレは怒ってないしこの人のことを恨んでもない。だから、そんなに怒らなくてもさ」
許しを乞う恋花を見兼ね、助け舟を出した。
怪我は痛むし、まだこの人のことを完全に信用してはいない。
ただ、彼女の切実な声を聞き続けるのは良心が痛むし、
本当に何かしらの処置をしてくれるなら、
できるだけ早くしてほしいと三上は思っていた。
「ふん!ダメ。言っとくけどシキを守るためだからね」
「何かする気があるんなら、さっきからその機会は何度もあったと思う。この人はもう大丈夫だよ」
「む…シキはそれでもいいの?」
「うん。オレはそれでいいから、ね」
「あ、ありがとう…」
「…!しょーじきいって!シキが許すとかじゃなくて、私がこの女を気に入らないわ。シキを傷つけたことは変わらないんだもの!」
「そ、それはそうだけど」
「だから、コイツに何もしないのは嫌。許して欲しいなら、まずはシキよりも酷い目に遭わせてからよ。両腕を肘から折って、それから両の足も…!」
「シロ」
抑揚のないただの一声。
叱声のような大きな声ではない。
三上は睨むまでもなくシロをじっと見ていた。
決して目線は外さず、無感情な顔でシロと目を合わせていた。
「…!シ、シキ、な、に、怒っ、てるの」
「いや怒ってないけど。そんな酷いこと、なんで考えつくかな。ダメだからね」
「…嘘だ。コイツはシキを虐めたのよ。だから許さない。シキのため、シキのためだから私なんでもするんだよ」
「オレのためであっても…この人を傷つけるのなら、オレはシロを許さないよ」
「な、なによ。私は、シキが殺されそうだったから守ろうとしただけなのに!私は悪くない!怒るならこの、暴力女の方でしょ!」
「シロ…!」
「っ_______________シキのばかぁ!もう、嫌い!知らないんだから!!」
三上を包み込んでいた尻尾が消えたと思うと、
シロは声を押し殺しながら、階段を駆け上がって行った。
やっちゃったなと思いつつ、
三上は遠ざかっていくシロをその場で見守るしかできなかった。
「…あー、行ってしまった」
「ぐすっ…ごめんなさい。嫌われるようなこと、言わせてしまって」
「いえいえ、シロと会って日が浅いから、どう扱えばいいか分からないだけですよ」
「それでも、ごめんなさい…そこでじっとしてて、すぐに応急処置するから」
シロが消えていった方をチラチラ伺いながら、
恋花は三上の方へと駆け寄る。
懐から包帯を取り出し、慣れた手つきで処置をしていった。
瞳から、明らかな罪悪感が見て取れていた。
「…わ、私の名前は、空木恋花。
さっきもちょっと説明したけど、高澄翔真とは同僚というか、友人、だった」
「オレの名前は三上四季です。翔真とは同級生で、中学まで同じ学校に通ってました」
「え、同級生?ってことは18歳くらい…?」
「?はいそうです」
「はぁ…私ってばホント…はぁ」
恋花は突然頭を抱え、深い溜め息をついた。
「え?なんです?」
「君のことてっきり中学せ…あ、いや、なんでも…」
「いや隠せてないですよ」
「…ごめんなさい」
「“お前は何にも変わんないな”って翔真によくからかわれてました。いいですよそんなに謝んなくても」
実際、三上は身長は平均よりも低い方だ。
極端なまで、ではないが恋花の感じた通り、
顔立ちも相まって。中学生男子と見紛うくらいには。
斯く感じる恋花も気づかず、再び自責の念に駆られている。
「そんな落ち込まないで…そうだ。
色々と聞きたいことがあるんですけど。主にシロについてで」
「…中学までの友人ってことは、本当に、何も、翔真から聞いてないのよね」
「はい。まあ、何も」
キョトンとした三上を確認すると、
まあこれくらいは、と恋花はパチンと指を鳴らす。
それを合図に、どこからともなく半透明な影が現れ、それは徐々に色が付いたと思うと…
『お呼びで』
黒い犬の姿となった。
「“象物”
人の想像力から生まれたこの生物を、私たちはそう呼んでるわ」
「…は、はぁ」
「とか、いきなり言われても分からないわよね。妖怪とか、お化けとかだと思ってくれたら分かりやすいかしらね」
「な、なるほど」
「受け入れるまでに時間はかかるかもしれないけど、
今目の前で起こってるこれは夢じゃないから」
「で、できるだけ受け入れます」
「それを踏まえた上で…シロは“象物”ということも、今理解してほしい」
「はい、シロも…って、え?」
巻き終えた包帯をきりりと結ぶと、
なんてことないように恋花は言った。
シロ、あの少女もその“象物”であるのだと。
「シロは、妖怪…?」
「そう、妖怪なの。普通の女の子じゃなくね。
あの変な尻尾もそれなら納得できると思わない?」
「…人間じゃないってことですか」
「それは…私たちにも、よく分からないの」
「“私たち”っていうのは?」
「…」
「なんで急に黙るんですか」
「その、ごめんなさい。
あんまり知りすぎるとキミを危険に晒すかもだから。
ここまでにしておきましょう」
「えぇ…そんな危ない話なんです?」
「そうなの…それと、ごめんなさい。
そのことで1つ、私からキミに頼み事があるんだけど」
覚悟を決めたような表情で、恋花は三上を見つめた。
やはり罪悪の感情は窺えるが、それすら意に決めた顔で恋花は話す。
「シロを、私たちに渡して欲しいの」
「シロを…?」
「もちろんシロも、キミの安全も保証するわ。
キミをこれ以上“こちら側”に関わらせないため、
そして、シロを守るためにも、必要なことなの」
「それは…」
それは三上にも、シロにも良い提案に聞こえた。
未だシロのことは得体が知れない。
ならば、少しでも詳しい人に預けるべきだと、理屈では分かっていた。
それでも、今ここで、はいと答えればシロとはさよならだと、
そう考えると何だか納得できない何かがあった。
端的に言うと、
三上は翔真の忘れ形見であるシロを渡したくなかった。
「うーん…シロはここにいちゃダメなんですか」
「元々ここにいるべきではないの。私以外にもきっとシロを目当てに来る人間がいる。それはキミを殺すような輩だったりもするの。」
「オレがシロについて行くことは出来ないんですか?」
「…ダメよ。さっきも言ったけど、キミを危険に晒すことになる。“こちら側”の世界はキミが思っている以上に危険なの。私やキミみたいな歳の子が死ぬのだって珍しくない」
「死…!それは、まさか、翔真が死んだのも、そういう、ことですか?」
「あっ…!い、いや、そ、それは」
しまった、とでも言うような表情を一瞬作った。
恋花としては、この話はするつもりはなかったのだろうが、
三上はそれを見て何か言わずにはいられなかった。
三上は翔真の死を交通事故という形で聞いていた。
本当はそうでないとすれば…。
「答えられるのなら答えて欲しいんですけど、どうして翔真は死んだんですか」
「…ごめんなさい。話せないの」
「それにはやっぱり、シロが関わってる、とか」
「っ、ち、ちがう。」
「それは本当ですか…?」
「う…わ、私ね、言っちゃうけど、さっきまでキミを本気で殺そうとしてたの。キミが踏み入れようとしているのは、そんな人でなしが普通に生きてて許される世界なのよ…」
「ねぇ、翔真のことはキミにとって、命をかけてまで知りたいこと?」
三上は問われる。
命をかけてまで得る、単なる真実か、
真実を失って得る、単なる平穏な日常か。
『私ね。1人でずっと寂しかったの。翔真がいなくなって、ずっと1人だったから…』
やはり頭を過ぎるのは、少女の顔。
彼女のことはよく分からない。
まだ、自分の命をかける決断するには早すぎるかもしれない。
それでも、否、それだからこそだ。
「オレは」
「翔真に、何度も救ってもらったことがありました。でも、その恩返しをする前に、あいつは逝ってしまった」
「今オレがあいつのためにできることがあるとしたら、あいつの周りにいた人間を、少しでも幸せにすることだと思うんです」
「そのためなら、命をかけられるの?」
「はい、と今返事すれば、後悔があるかもしれないのは百も承知です。それでも、シロを独りにさせたくない、今のオレにあるのは、本当にそれだけなんです」
「…。」
「だから、オレは──────」
言い切るより先に三上の手は強く握られる。
顔を上げると、そこには恋花の決意の表情が見えていた。
少し驚く三上に構わず、恋花は強く宣誓する。
「分かったわ。
四季、キミのことは私が、絶対に守るから。
今後、何があっても、四季を傷つけようとするやつが現れたら、私はソイツを絶対に許さない」
「え…?あ、ありがとうございます」
「指一本、貴方に近づけさせないわ」
「それは、ちょっと大袈裟じゃないですか」
「そのくらいの気概ということよ。
私も翔真に救われた人間。それに、今日、キミに命を救われた人間でもあるから」
力強く語ると、恋花は傍にいた三上をそっと抱き寄せた。
三上は胸のあたりの柔らかい感触に戸惑って、あたふたしている。
「もう、決めたから。
四季とシロを一緒に連れていく。
これからシロを狙いに来る輩が来るはずよ。
だから、四季達をここよりずっとずっと安全なところに連れていくわ」
「ほ、本当ですか?ありがとうございます!う、空木さん!」
「恋花よ」
「え?」
「恋花って呼んで。それに、同い歳だからタメ口でいいわ」
恋花は応急処置を一通り終えると、
複雑な文字が綴られたお札を最後に貼り付けた。
お札に淡い光が灯ったのを確認し、すっくと立ち上がると、恋花は北の方を指さす。
「明日行きましょう。“箱庭”私たちの本拠地へ」
「はこ、にわ……?」
「私が四季の傍にいる限り、絶対に安全な場所よ。
もちろんシロも安全に暮らせる。
シロ、それに翔真のことも、キミは今よりもっと知れるわ」
騒ぎを聞きつけドタドタと駆け下りるシロの足音。
恋花の凛々しい表情が、西から指す午後の日光に照らされている。
季節は春の一歩手前。
まだ肌寒い気温と新しく芽吹き始める植物の姿が、三上の目には焼き付いていた。