初恋2
初めて会ったときから、アリーシャはまっすぐに気持ちを伝えてくれた。
アリーシャから「大好き」と言われるたびに、俺も嬉しくて「ありがとう」と答えた。
それが当たり前で過ごしていた頃、誰だったか同年代の男子にからかわれたんだよな。
それからは急に恥ずかしくなって、「うん」としか答えられなくなった。
アリーシャは可愛い。
素直で優しくて明るくて。
一緒にいると元気をもらえる。
父さんの後を継ぐという重責も、アリーシャがいつも褒めてくれたから頑張れて、自信を持てるようになれた。
だけどアリーシャより先に社交界に出て、俺の世界は変わったんだ。
大人になったらアリーシャと結婚するのは当然だとばかりに思っていたが、本当にそれでいいのか疑問に感じ始めたのもこの頃だった。
社交界には楽しい遊びも魅力的な女性もたくさんいる。
それらに比べて領地は田舎で退屈、アリーシャは少々野暮ったくて幼い。
もちろん口には出さなかったけれど、父さんは俺の気持ちに気付いていたんだろう。
だからアリーシャとの婚約話が大人になった今でも出ないんだ。
きっとアリーシャも社交界にデビューすれば、俺への気持ちも消えるだろう。
いつか、あれは初恋だったなんて二人で笑い合える日が来るかもしれない。
そう考えていたのに、アリーシャは変わらなかった。
いや、その姿は大きく変わっていた。
野暮ったさは初々しさに変わり、無垢で繊細な美しさがある。
その姿のまま、無邪気に笑う。
そして、俺への好意を隠すことがまったくなかった。
そのため、友人にはからかわれ、魅力的な女性たちからは敬遠されるようになってしまった。
どうしたらアリーシャはわかってくれるのだろう。
二人の間にあるのは子どもの頃の友情で、アリーシャが抱いている気持ちも刷り込みのようなものだって。
何とか理解させるために遠ざけようとしても無駄だった。
やがて流れ始めた噂は、俺がアリーシャの気持ちを弄んでいるというもの。
全然違う。
アリーシャの父――公爵とは、社交場でたまに顔を合わせることがあったが、本音を言えば気まずかった。
全てを見透かすような公爵の目を見ることができない。
別に俺は噂と違ってアリーシャを弄んでいるわけではないのだから、責められる謂れはないはずだ。
それは公爵もわかってくれているだろうに。
そうだ!
「――閣下からもアリーシャに注意してくださいませんか?」
「何を注意するんだ?」
「アリーシャの言動です。今のままでは、アリーシャは恥をかいてしまいます」
「恥? 君を好きだと言うことが恥なのか?」
「そうではありません。ただ僕は……その、応えることができませんから」
「……たとえそうだとしても、アリーシャに私が何か言うことはないよ」
公爵家に訪ねていけば、アリーシャや周囲に誤解されることになる。
だからこそ、わざわざ公爵が出入りしている倶楽部に父を介して入れてもらったというのに。
どうして公爵はわかってくれないのだろう。
このままアリーシャが――娘が世間の噂の的になって笑われてもいいのだろうか。
父親として、アリーシャを守ってやるべきではないのか?
俺の苛立ちにはかまわず、公爵は大きく息を吐いて立ち上がった。
まだ話は終わっていないのに。
「閣下――」
「私は人の色恋沙汰に口を挟むつもりはないんだ。一度失敗しているからな」
「ですが、アリーシャはあなたの娘ではないですか!」
「大切な娘だから――家族だからこそだよ」
「そんな……」
「ケント、君こそアリーシャを大切に思うなら、はっきり言ってやることこそが優しさじゃないか?」
「僕はアリーシャを傷つけたくないんです」
「だから私にアリーシャを傷つけろ、と?」
「違っ――」
「違わないだろう? 君はずいぶんくだらない人間に成り下がってしまったな」
公爵の痛烈な言葉に反論することはできなかった。
沈黙する俺に、公爵は哀れみにも似た口調で続ける。
「人の心は儘ならないものだ。たとえ自分の心でさえ自由にはできないんだよ。だから、アリーシャの気持ちに応えられないからといって、責めるつもりはない。ただ、君が臆病な偽善者になってしまったことが残念だ」
俺が偽善者だって?
誰だって大切な人を傷つけたくないと思うのは当然だろう?
俺がアリーシャを振るよりも、父親である公爵から注意してくれたほうがいいに決まってる。
娘は父親の命令に逆らえないのだから。
苛々しながら酒を飲んでもちっとも美味しくなかった。
友人たちとの会話も馬鹿げていて、蠱惑的な未亡人にも惹かれない。
もやもやした気分のまま、翌日の夜会に出席すれば、アリーシャがにこにこしながら近づいてくる。
またか。
やはり公爵はアリーシャに注意してくれなかったんだな。
それなら俺がはっきり言えばいいんだろう?
はっきり……言おうと思ったが、結局はいつものようにダンスの誘いを受けてしまった。
だが、どうにか伝えなければ……。
「なあ、アリーシャ。そろそろ、こういうのはやめないか?」
「こういうの?」
「俺とダンスを踊るまで他のやつらからの申し込みを断ったり、俺が出席する夜会を調べたりすることだよ」
「知ってたの?」
「そりゃな。でも俺は急に欠席することだってある。それなのに、アリーシャは俺が現れるまでずっとダンスを踊らないつもりか? 不毛だよ」
「そんなことないわ」
「……もっと他の男と踊ったり、話したり、デートしたり……俺以外のやつのことを知るべきだ」
「必要ないもの」
どうしてここまで言ってもわからないんだ。
くそ!
「あのなあ……。じゃあ、正直に言うよ」
「何?」
「俺はもうアリーシャとは踊らない。だから、俺を待つことはやめてくれ」
「からかってるの?」
「本気だよ」
もうこれ以上は言わせないでほしい。
そう思いながらアリーシャを見れば、いつもは笑顔で輝いているはずの目に涙が溜まっていた。
泣かせるつもりはなかったんだ。
だから俺は……。
居たたまれなくなって、ちょうど曲が終わったのをいいことに、母親の公爵夫人のいる場所へ送り届けると、さっさとその場を離れた。
アリーシャの顔を見ることがもうできなくて、まだ泣いていたのかどうかはわからない。
だがこれでアリーシャも理解してくれたはずだ。
そのはずだった。
それなのに、アリーシャは懲りずに俺をダンスに誘ってくる。
そのため、使用人に告げていた予定を変更して、出席するはずの夜会を欠席することも多くなった。
代わりに倶楽部や別の夜会に顔を出す。
俺の立場なら、招待状などなくてもどの夜会でも歓迎された。
そこで友人や魅力的な女性たちと楽しんでいるつもりだった。
しかし、なぜか急に世界が色褪せたようでつまらない。
最近では、アリーシャが話しかけてくることも少なくなった。
喜ぶべきなのに、心が重く苦しいのはきっと罪悪感のせいだ。
俺もそろそろ適当に結婚してはどうだろうか?
そう考えて結婚相手に相応しい令嬢たちをダンスやデートに誘ってみたりもした。
それでも心は晴れない。
きっとアリーシャがいつまでも一人でいるせいなのだ。
アリーシャにまたあの明るい笑顔が浮かべば、俺の罪悪感もなくなるに違いない。
そう思っていた。それで間違いないと。
ある日、噂を聞いた。
俺に振られたと笑いものになっていたアリーシャが結婚するらしい、と。
ハリスン・ウォルターという男が相手らしいが、聞いたことはない。
ただ公爵夫人お墨付きの人物であることから、アリーシャの相手として認められているそうだ。
そいつは一度だけ見たことがある。
アリーシャが久しぶりに楽しそうに笑って踊っていた相手だろう。
昔と変わらない笑顔を浮かべているアリーシャを見て、ほっとするよりも苦しくなって、すぐに目を逸らしてしまったあの時のダンス相手。
「――よかったな、ケント。これでようやくお役御免ってところか?」
「そうだよなあ。子守りは大変だってよく愚痴っていたもんな」
子守りだなんて愚痴っていたのは、三年も前のことだ。
そんなことを今持ち出してほしくはなかったが、言っていたのは事実なので反論ができない。
「にしても、彼女の何が不満だったのか、俺には理解できないな。美人だし、明るいし、何より金持ちだ」
「それな。妻としては申し分ないだろ? 彼女には妻として家のことを任せとけば、あとは愛人を持つなり好きに遊べばよかったんだから」
「彼女が結婚するなら逆もありじゃないか? 夫に飽きた頃に愛人になってもらえばいい」
今までアリーシャを話題にされることは不快ではあったが、悪気はないのだろうと我慢してきた。
だが、今度ばかりは許せなかった。
アリーシャは本当に優しく純真で、不誠実に向き合うべきじゃないんだ。
それを愛人などと!
友人を――友人だと思っていたやつらを殴ったことに後悔はない。
ちょっとしたケンカになってしまったが、俺を正気に戻すには十分だった。
この三年間、魅力的な大人の世界だと思っていたものは幼稚な遊びでしかなかったのだ。
顔を腫らして家に帰れば、ばったり父さんと会ってしまった。
「ずいぶん楽しんだようだな」
「ああ。楽しかった。でももう十分だよ」
「そうか」
にやりと笑う父さんは肯定も否定もしない。
たぶん父さんも昔経験したことなのだろう。
「……父さんはなぜ再婚しなかったんですか?」
「再婚の話はあったぞ。正直なところ、お前たちには母親が必要だと思ったしな」
「じゃあ、なぜ?」
「私は今でもお前たちの母さんを愛している。お互い都合のいい結婚――再婚だとは思ったが、彼女はちゃんと愛されるべきだと思ったんだ」
「その相手って、ひょっとして……」
「正解だよ。ケントの考えている人物も、私たちの選択も」
「……そんなに愛は必要ですか? みんな愛だの恋だの結婚には求めていないでしょう?」
「それは人それぞれだな。私たちに愛は必要だったんだよ。だがまあ、ケントがどう考えようとかまわないさ」
父さんは「ちゃんと冷やせよ」と言い残して去っていった。
そんな父さんの言葉を頭の中で反芻しながら部屋へと向かう。
どうせならかまってくれれば――公爵と干渉して、アリーシャと婚約させてくれていれば、こんなふうにあれこれ悩まずに済んだのかもしれない。
そう考えたとき、従僕に氷を腫れた頬に当てられ、その冷たさと痛みに我に返った。
(俺はどれだけ甘ちゃんなんだ?)
公爵に以前言われた言葉がよみがえる。
――臆病な偽善者。
本当にくだらない人間になってしまっていることに愕然とした。
そもそも初めから、立派でも何でもなかったのだ。
アリーシャから純粋でまっすぐな好意を向けられても、満足するだけで何も返していない。
馬鹿な遊びに夢中になって、自分で手に入れたわけでもない身分にちやほやされていい気になって、アリーシャの存在を疎ましく思うほど傲慢になっていた。
しかも、自分で解決しようともせず、アリーシャのためと言い訳をし、悪者になりたくなくて公爵に頼り、結局は曖昧な言葉で遠ざけようとしただけ。
「かっこ悪い……」
「これくらいの傷は大したことありませんよ」
思わず漏れ出た弱音に、勘違いした従僕が慰めてくれる。
そんな価値も俺にはないんだがな。
こんな傷はアリーシャを傷つけたことに比べれば本当にたいしたことない。
どうすればいいんだろう?
そもそも俺はどうしたい?
「……なあ、ずっとその子のことが頭から離れないって何だろうな」
「それは恋ですね」
「恋?」
「はい。ひょっとして、このお怪我はその方のためですか?」
「……ああ」
「では、ケント様の初恋が成就されるよう、私は願っております」
「なぜ初恋だとわかる?」
「そのようにお悩みになっておられるのが初めてですので」
やけくそで口にした問いに、従僕はあっさり答えた。
治療を終えた従僕は、驚く俺に微笑みながら励ましの言葉を残して下がっていく。
だが俺の頭はまだ「恋」という言葉を処理しきれないでいた。
これが恋? 初恋? 今さら?
そこではっと気付く。
今さらも何も、俺はいつもアリーシャのことばかり考えていた。
アリーシャがどう思うか、どう言い訳しようか、どうしたら離れてくれるのか。
もう一度アリーシャに会って、きちんと話をしたい。
そう思ったのに、なぜかアリーシャと会うことはできなかった。
屋敷を訪れれば出かけていると言われ、残り少ない夜会も出席していないのか会えない。
だがようやく、アリーシャの家に仕える者から、出席予定の夜会を聞き出すことができた。
以前はアリーシャがよく使っていた方法だ。
そして今シーズン最後の華やかな夜会で、アリーシャを見つけることができた。
しかし、アリーシャの隣には例の男がいる。
昔と変わらない明るい笑顔がその男に向けられていることに無性に腹が立った。
今までその笑顔を向けられていたのは俺なのに。
この醜い感情――嫉妬を抑え、アリーシャを見つめながらチャンスを待った。
ずっと、子守りだ何だと愚痴っていたが、あれは自慢と優越感だったんだ。
心のどこかでアリーシャは俺以外を好きにならない、と。
あんなにいつも好きだと、大好きだと伝えてくれていたのだから。
自分の本当の気持ちにさえ気付いてなかったなんて、どれだけ愚かだったのだろう。
公爵がおっしゃっていたことは正しかった。
自分の心さえ自由にはできないのだから、人の――アリーシャの心をもう一度取り戻すことはできないかもしれない。
だが……。
「アリーシャ。今度はいつうちに来る予定なんだ?」
「……いいえ。行かないわ」
「来ないって? でも父さんも楽しみにしてるはずだ。毎年来てるんだから」
ようやくあの男が離れた隙に、アリーシャに話しかける。
気軽に、何でもないことのように、世間話だ。
だが失敗した。動揺が出てしまっているのが自分でもわかる。
「おじ様にはもう伝えているわ。また来シーズン会えることを楽しみにしてくださるって」
「本当に?」
「ええ。……たぶん、この先お邪魔することはないと思うわ。ほら、お互い結婚したら……色々とあるでしょう?」
「本当に結婚するのか?」
「え、ええ……」
このシーズンが終わったら、アリーシャはあいつと結婚するなんて、ただの噂だと思っていた。
俺が馬鹿なことを言ってから、まだ二か月も経っていないのに?
いや、まだ間に合うはずだ。
「……アリーシャ、明日訪問してもいいか?」
「え……いえ。ごめんなさい。明日にはハリスの領地に向けて出発するの。あ、でもお父様は数日遅れて出発する予定だから、お父様に用事があるなら――」
「いや。……大丈夫だ」
「そう? もしよければ遊びに来る? ハリスに頼めば――」
「必要ない!」
「ケント?」
「ごめん。その……とにかく楽しんで」
「ええ、ありがとう」
あの男の領地になど足を踏み入れたくなくて、つい強い口調になってしまった。
冷静になれと自分に言い聞かせ、適当なことを口にする。
どうすればいい? どうすれば止められる?
「私、もう行かないと。ハリスが待ってるから。さよなら、ケント」
「アリーシャ、待ってくれ!」
「ご、ごめんなさい」
焦って考えがまとまらないうちに、アリーシャは行ってしまった。まるで逃げるように。
だがそれも当然だろう。
俺は何度もアリーシャを傷つけてきたのだから。
それなのに俺は自分が傷つくことを恐れて、たったひと言を口にすることもできなかった。
ただ「好きだ」と言えばよかったのに。
拒絶されることが怖かったんだ。
本当に俺は臆病者だな。
「――いや、これで諦めるなよ」
何度も何度もアリーシャは俺に好きだと伝えてくれたのに、俺は一度も伝えていない。
これで終わらせるなんて、臆病者以上の卑怯者だ。
迷惑がられるのはわかっている。
それでも一度くらいは好きだと伝えよう。
違う。伝えたいんだ。
急いで会場を出ようとするアリーシャを追いかけた。
その隣にあのウォルターとかいう男がいることに嫉妬が募る。
「アリーシャ!」
人波に揉まれてなかなか追い付けずにいた俺は、たまらず叫んだ。
足を止め振り返ったアリーシャの目は驚きに丸くなっていた。
ああ、やっぱりアリーシャは可愛いな。――じゃなくて!
「結婚しないでくれ!」
「――え?」
「好きなんだ! もう遅いのはわかってる! でもアリーシャのことが好きなんだ!」
自分でも、何を言っているんだって思う。
だけど、今伝えないと絶対に後悔する。
だからアリーシャ、盛大に俺を振ってくれ。
何事かと皆が見ているこの中で、俺に恥をかかせればいいんだ。
「……からかってるの?」
「本気だよ」
いつかと同じような会話。
それなのにまったく正反対のことを俺は求めている。
あのときは俺が愚かで勇気がなかったからアリーシャを傷つけた。
今の俺は、我が儘でアリーシャを困らせている。
「言葉にするのは初めてだけど、俺はアリーシャが好きだ。ずっと好きだった」
気付いたのが遅すぎたけどな。
でも、アリーシャを見ていると、まだ間に合うんじゃないかと思えてくる。
「アリーシャ……」
「とりあえず、場所を変えてはどうですか?」
俺とアリーシャの間に割り込んだのはウォルターだった。
いや、俺が割り込んだのか。
「そうね。ここでは目立ちすぎるものね」
「公爵夫人……」
笑顔の公爵夫人――アリーシャの母君に声をかけられて、ここがどこだか思い出した。
舞踏会場のこんなに注目を浴びる中では、確かにアリーシャも嫌だろう。
しぶしぶウォルターの後をついて、急ぎ用意された部屋へと入る。
「さて、二人が話をする前に、きちんと紹介したほうがいいわね」
四人の中で初めに口を開いたのは明るい笑顔の公爵夫人だった。
どうやらこの状況を楽しんでいるらしい。
「ケント、彼は夫の甥のハリスン・ウォルター卿よ。ハリス、彼は紹介するまでもないと思うけれど、噂のケント・エリクソン卿」
「ハリスン……。ハリス・ストックトンか!」
「ええ。会うのは二度目ですね」
ハリスが不機嫌に答えたのは仕方ない。
俺は彼の大切な従姉を傷つけてきたのだから。
公爵夫人が紹介したとおり、俺の残念な噂はよく知っているのだろう。
「ハリスは今度こちらの大学に入学するから、下見もかねて遊びにきていたのよ」
「ああ、それで……。だが、どうして偽名を?」
「偽っていたわけではありません。一部を名乗っていただけです。名前だけで寄ってくる他人は面倒くさいので」
「確かに……」
俺はそれで自惚れて自分を見失っていた。
学生時代から遊び惚けていた俺と違って、ハリスは本当に立派なんだな。
「それで? 今さらアリーシャに愛の告白なんかして、どうしようっていうんです?」
「それは……」
「ちょっと、ハリス。それは私たちが口を挟む問題ではないわ。二人のことは自分たちに任せるようにって、夫からも強く言われているの。だからほら、少しだけ席を外してあげましょう」
「しかし――」
「ほらほら」
ハリスを強引に連れ出した公爵夫人は、ドアをしっかり開けて出ていった。
それでも二人きりにするのは問題だろう?
早くアリーシャを解放しなければ。
「……どうしてそんな意地悪を言うの?」
「意地悪?」
部屋に入ってからひと言も話さなかったアリーシャが、二人きりになった途端に口を開いた。
だけど、その質問は意味がわからない。
「今までずっと、私のことを迷惑がっていたじゃない。それなのに急にあんなことを言うなんて……。お友達と賭けでもした?」
「違う! 違うよ、アリーシャ。信じられないのはわかる。でも意地悪なんて、賭けなんてするわけがないだろう!?」
思わず近寄ろうとした俺を、アリーシャが睨みつける。
もうあの明るい笑顔はなくて、自分がどれほど大切なものを失ってしまったか、改めて思い知らされた。
「じゃあ、どうして?」
「アリーシャが好きだから。気付くのに時間はかかってしまったけど、俺はアリーシャが大好きだ。だから……」
「だから?」
「伝えたかったんだ。迷惑なのはわかっていても……。こんな気持ちさえ今になってわかるなんて、馬鹿だよな。ごめん」
俺の謝罪を最後に、沈黙が落ちる。
これ以上は一緒にいられないと思ったとき、アリーシャがゆっくり近づいてきた。
「どうして謝るの? どうして迷惑だと思うの?」
「それは……たくさん傷つけたから」
「うん。本当に傷ついたわ」
「ごめん」
「だけど……これからも、私が『大好き』って言うのを許してくれるなら、許してあげる」
目の前に立ったアリーシャは、俺を見上げてにっこり笑った。
あの笑顔――俺の気持ちまで明るくなる笑顔だ。
「アリーシャ――」
「そろそろプロポーズはすんだかしら?」
「まだよ、お母様」
「では、それはまた今度にしてくれる? 明日は早いんだから、もう帰らないと」
俺の言葉を遮ったのは公爵夫人で、答えたのはアリーシャだった。
そうだ。
ハリスとは従姉弟同士なのだから、あの結婚の噂は嘘で、ということはまだ間に合うってことだ。
「ハリス、俺もストックトンへ遊びに行ってもいいか?」
俺が問いかけると、公爵夫人の後から部屋に入ってきたハリスはちょっと驚いたように眉を上げた。
それからにやりと笑う。
「アリーシャがかまわないならどうぞ。プロポーズに最適な場所も教えるよ」
「いや、それはいいよ。プロポーズはうちでするから。アリーシャ、また遊びに来てくれるだろう?」
「それなら、喜んで」
最高だ。
アリーシャが領地に遊びにきてくれることが、これほど嬉しいなんて思いもしなかった。
先ほどまでの絶望が嘘みたいだ。
「アリーシャは本当に優しいよな」
アリーシャの昔から変わらない優しさと明るさが大好きだ。
その気持ちをもっと言葉にしようとすると、アリーシャが振り向いて笑った。
「だって、初恋が実ったんだもの。誰だって優しくなるわ」
「それなら、俺の初恋も実ったってことだな」
俺の気持ちは遠回りしてしまったけれど、正解にたどり着いて本当によかった。
安易に婚約なんてお膳立てしないでくれた父さんたちのおかげだ。
何より、アリーシャが俺をずっと好きでいてくれたからだ。
これからは絶対にアリーシャを傷つけたりなんてしない。
それに、気持ちを恥ずかしがらずに伝えていこう。
「アリーシャ、大好きだよ」