引津くん! 卑屈にならないで
引津新斗は高校二年生の男子である。小学生の頃は「ひきこもりのにーと」と呼ばれ、中学からは「卑屈の引津」と言われている、大いに自覚のある陰キャ。勿論、バレンタインデーなんて関係ない人生。
そんな引津と、引津を見守る悠木覚は地味な高校生活を今日も送っているのだ。
※藤乃 澄乃様主催『バレンタイン恋彩企画』参加作品です。
※ギャグです。
二月の連休前。
放課後も、スマホ片手に女子が騒がしい。
「うるっせえな」
引津がぽつり。
「ああ、ほらアレ、チョコの準備だろう」
「チョコ? チーズフォンデュの代わりにチョコフォンデュをしよう、とかいう、家庭科の宿題でもあったっけ?」
悠木覚は、引津新斗の発言に、今更ながら苦笑する。
「いや。
バレンタインデーでしょ。十四日」
「バレンタインデー? なにそれ、都市伝説?」
「そりゃあ、縁がなかったからな。俺もお前も」
外国人のように、大袈裟に両手を広げ、覚が言う。
すると、ムッとした顔で引津は言う。
「だいたいバレンタインデーなんてさ、三世紀頃に殉教した、聖ウァレンティヌスの記念日なんだろう? 騒ぐ日本人の歴史的及び宗教的認識を、問い詰めたいね、俺は」
無駄に詳しく知ってんじゃん、と覚は思う。
思うが口にはしない。
「引津、お前もさ、せめて髪型どうにかしたら、チョコの一個や二個、貰えるんじゃね?」
引津の前髪は、両目が完全に隠れる。
なんとなく、中二病臭さが満載な髪型だ。
鼻で笑って引津は言う。
「どうせ俺は、頭でっかち、髪ぼさぼさの陰キャですからっ!」
チョコの話は、地雷だったようだ。
面倒だが、付き合いの長い覚はめげない。
「部活、行くだろ?」
覚は、さりげなく意識をそらした。
二人とも、首都圏にある、公立高校の二年生である。
この高校、男女比は六対四で、男子が多い。
一対一対応でも、バレンタインにチョコを貰えない男子生徒は、それなりに存在する。
さらに言えば、貰えるヤツがガメるため、あぶれる男子生徒はわりと多い。
フツメンの覚も、元の顔貌はともかく、自己肯定感が極めて薄い引津も、当然あぶれポジである。
また、二人が所属する部も「数理研究会」という、地味なところなのだ。
三年生が引退している今、二年の部員は覚と引津。
そして一年生になぜか女子部員が二名いるのだが、両名とも真面目っていうか、喪女っぽいコ。
「せんぱーい! チョコあげますぅ」
みたいなノリは、無縁なのである。
二人が部室に向かうと、一足先に部室に入った喪女二人の「キャッキャウフフ」の声がする。
コンパスで輪郭を描いたような、塩見結衣と、まんまメガネっ娘の大城菜美恵である。
「生」とか「あげる!」とか、断片的に聞こえる単語に、十七歳の男子二人の顔は、ちょっと赤くなる。
「始めるど――」
入室とともに、引津が声をかけると、二人の女子はコクコクと頷く。
エサを待つ子犬のようだと覚は思う。
「それでは、発声練習!」
女子二人は声を揃えて返事する。
「はい! 三点一、四、一、五、九、二、六……」
「数理研究会」の発声練習とは、円周率の暗唱である。
入部当時、小数点以下二桁しか言えなかった彼女たちも、最近では十桁くらいまで言えるようになった。
ちなみに覚は二十桁、引津に至っては二百桁まで暗唱できる。
ただし、引津に聞いてはいけないことがある。
「円周率の暗唱? これ覚えて、何の役に立つんですか?」
もっともな疑問である。
しかし、引津の答えはこんなもんだ。
「どうせ! どうせ! 俺は円周率の暗記くらいしか出来ない、ハンパモンの陰キャだよっ!」
意味不明である。
「引津じゃなくて、卑屈だな」
中学の時の担任のセリフは、的を射ている。
そんな引津だが、後輩の面倒見はわりと良い。
テスト前など、二人に数学の問題を教えていたりする。
まあ。
数学だけだが。
円周率の暗唱が終わり、引津は黒板に向かって偏微分の問題を解き始めた。
高校の範囲を越えているので、引津の趣味としかいいようがない。
ましてや一年生が見ても聞いても、授業の役には立たないだろう。
心配になって覚が後輩らを見ると、メガネっ娘がキラキラしたおメメで引津を追っている。頬も薄っすらと、紅色になっとる!
マジか!!
真顔になった覚の袖を、丸顔の結衣が引っ張った。
『マジです』
結衣の口がそう動いた。
長く引津とつるんでいるので、大抵のことには驚かなくなっていた覚だったが、心底ビックリした。
そこで帰りに、引津には内緒で、二人をファーストフードに誘い、状況を確認することにしたのだった。
◇◇◇
「助けてもらったんです」
シェークを飲みながら、メガネっ娘の菜美恵が言った。
「助けてって、引津に? ええ? いつ? 何処で?」
それは昨年のこと。
ちょうど今頃だそうだ。
場所は、高校近くの公園だった。
「あたし、ああ、結衣もだけど、入試の願書を出しに来て、公園の側を通ったら、ネコが鳴いてて……」
公園で、ネコにいたずらする男子生徒が三名いた。
菜美恵は思わず、我を忘れてネコを助けようとした。
「止めてください!」
すると、見るからにガラの悪そうな連中に、からまれてしまったのだ。
「そんな時でした。魔物とか、巨人とかを退治しそうな、引津先輩が現れたのは!」
聞いている覚が恥ずかしくなるような、菜美恵の話だった。
そりゃあ引津の風貌は、長い前髪に三白眼だから、主人公より人気の出る、アニメのキャラっぽいと言えなくもない。
「そして、私をかばうように、不良っぽい三人に立ち向かったんです!」
「け、ケンカでも、したの?」
菜美恵は微笑みながら首を横に振る。
「もっと、スゴかったです」
三人の男子の前に立ちふさがった引津は、いきなり言った。
『俺を倒したければ、円周率を言ってみろ!』
三人は、キョトンとして顔を見合わせる。
『言えないのなら、俺が言う!』
そして三点以下の数字を、デカい声で延々と言い続けたという。
聞かされた男子らは、小数点以下二十桁を越える前に、引津の前から走り去ったのだった。
「だから、高校に入ったら、絶対、引津先輩について行こうって決めてました!」
どこからツッコんでいいのか、覚には分からなかった。
分からなかったので、曖昧な笑顔で誤魔化して、菜美恵に訊いた。
「ええと、それで、(なんだっけ? ああ、そうだ)チョコ、渡すの? 引津に」
キャアアという小さな悲鳴。
真っ赤な顔のメガネっ娘。
小声で菜美恵は答える。
「はい」
「そっか、頑張ってね。喜ぶよアイツ。きっと」
覚は思った。
女子からチョコでももらったら、少しは引津の卑屈さが、治るんじゃないか、と。
◇◇◇
そして十四日の放課後を迎えた。
部活は休みの曜日だったが、引津は菜美恵に呼ばれて部室に行った。
覚が教室で待っていると、口元が緩んだ引津が戻ってきた。
手には、フライパンみたいな大きさの包みを抱えている。
「何の用事だった?」
覚があえて聞くと、引津はバリバリと包みを破る。
「なんだ、その。ぎ、義理だ。義理チョコ。後輩くんが気を使ったみたいだな、うん」
包みの中には、大きな円形のチョコと、その上にフードペンで描いたのだろうか、数字がたくさん載っていた。
「食うか?」
引津がチョコを割ろうとしたので、慌てて覚は止めた。
「それ、チョコの上の数字、円周率だろ? きっと手づくりだから、お前ひとりで味わって、食ってやれよ」
「え、ああ、そうか。……あ、七桁目、間違ってる」
覚のニヤニヤ顔を見て、引津は横を向く。
「ど、どうせ、俺なんて、義理チョコしかもらえない、陰キャ…………
ま、いっか」
付き合いきれなくなった覚は、先に帰ることにした。
引津の自己評価が高まるのは良いことだ。
ただ自分より先に、引津がリア充生活を送るとしたら、それだけはどうにも、納得いかない。
「ま、いっか。それでも」
靴箱を開けた覚の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
ピンク色の小箱が、鎮座していたのだ。
『義理じゃないですよ! 先輩。
結衣より』
覚はスキップしながら昇降口を出る。
校庭の梅の花が、小さく開きかけていた。
了
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