図書館と投稿雑誌
二人目の候補者は犬山さんの高校の先輩。その高校の生徒会長らしかった。
天岐秀令という名の彼は、その名の示す通りに眉目秀麗であるらしく、その点は足利と同じだが、質実剛健と表現できる実直な足利と違い、かなり癖のある性格をしているらしい。
「真正面から海原さんが当たっても、適当に躱されてお終いでしょう。相手から話してくれるように仕向けるべきです」
姫渕さんのアドバイスはそう言うものだった。
それと姫渕さんから得た情報を参考に、俺は犬山さんの高校の授業が終わり、放課後を迎えたタイミングを狙って、高校近くにある図書館にやってきていた。
姫渕さん曰く、天岐はここで毎日三十分、読書をしているらしい。
どうして、そのようなことをしているのか俺は疑問に思ったが、聞くに子供の頃からの習慣らしく、図書館の本全てを読み終わるまではやめないそうだ。
そんなことは不可能だろうと思ったが、実際はやめることができずに既に二週目に突入しているらしいと姫渕さんに教えられ、俺は天岐も足利と同じように異常であると思った。
その天岐の気を引く方法だが、天岐の前でこれ見よがしに読書しても、図書館の中の本なら気を引けるとは思えない。何せ、天岐は全て読んでいるのだから、気になる本があるはずもない。
それなら、外部から本を持ち込まないといけないのだが、天岐の趣味嗜好は分からないので、そこは俺の勘に頼るしかない。
眉目秀麗な生徒会長。性格は癖があるそうなのだが、外面は足利と同じように良いようだ。実際に性格は良さそうな足利と違い、天岐はそれを作っている節があるそうだが、初対面の俺に言葉の暴力を振るってくる心配はないらしい。
その辺りは犬山さんにも見習って欲しいところだが、それは別として天岐の気を引くために、と思っている途中に気がついた。
天岐も犬山さんに告白し、足利と同じように玉砕したということは、その中身は紛れもない男であるということになる。
男であるなら、俺と同じであり、俺が高校生の時に興味を示したものに天岐も興味を示すはずだ。
これしかないと思い、俺は図書館に一冊の本を持ち込み、姫渕さんから見せられた画像の男を探した。
幸いにも、と言うべきなのか、心配してあげるべきなのか、図書館の中は人がおらず、一人しかテーブルにいなかったので、天岐は探す必要もなく見つかった。
その前に座り、俺は天岐に見せつけるように持ち込んだ本を読み始める。
これに食いつけ。心の中で祈りながら、俺はその瞬間を待った。
そして、それは想定よりも、すぐに訪れた。
「あの~」
不意に前方から声が聞こえ、俺は本から顔を上げた。見ると、天岐が俺を困惑した顔で見ている。お手本のような苦笑だ。
本を読み始めてから、まだ一分経とうかという頃のことで、俺はやはり天岐も男だったと内心ほくそ笑んでいた。
「えっと…何をお読みになっているんですか?」
「見て分かりませんか?素人投稿雑誌です」
ちょっと複雑に言ってみたが、要するにエロ本だ。表紙はまんまだから、説明不要で分かるはずだ。
「いえ、詳細を聞いているのではなく、公共の場でそのような本を読まないでください」
「大丈夫。君と俺しかいないから」
「いや、大丈夫じゃないですよ?その発言だと僕まで読むみたいじゃないですか?」
「えっ…?」
「読まないの?っていう顔で見ないでください」
まさか、天岐はエロ本に興味がなかったのか。俺は発覚した驚愕の事実に気を失いそうだった。
男子高校生たるもの、一日の内、二十時間くらいはエロについて考えているはずだ。食事とトイレの時間以外は眠っている間も頭をエロで染めているはずだ。
それがそうではない男子高校生が実在したというのか!?
いや、俺は信じない。天岐もきっとエロに興味があるのだが、恥ずかしくて興味のないフリをしているだけのはずだ。
そう思って、エロ本をそっと差し出してみた。
「読む?みたいにこっちに置かないでください。読みませんよ?」
「いやいや、遠慮しなくていいから。ここには君と俺しかいないから」
「そういう問題ではなく…それに二人ではありませんよ」
「え?」
天岐に指摘され、図書館の中を見回してみるが、俺と天岐以外に人は見当たらない。本来は図書館にいるはずの司書の姿も見えない。
「いや、いなくない?司書もいないよ?」
「この時間は僕しかいないので、裏で休憩中ですよ。それ以外にもう一人いるので、そういうものは閉まってください。そうしないと通報しますよ」
もう一人と言われても、周囲には人影が一切ないのだが、天岐には何が見えているのだろうかと怯えながら、俺はそっとエロ本を仕舞った。
流石に通報されることは――みたいな話は散々やってきたので割愛する。
と言うか、俺って通報されそうになり過ぎじゃない?そんなに怪しい?普通に生きているだけなのに?
どこに通報される理由があるのだ!教えてくれ給え!
そう心の中で絶叫しながら、エロ本の入ったビニール袋を椅子の脇に置いた。
「しまったけど、本当に興味ないの?君、見るからに高校生だよね?高校生男子って言ったら、頭の中が煩悩に塗れて、蛆が湧くくらいに頭が使い物にならなくなる年齢だよ?」
「どの世界の常識ですか?」
この世界の辞書や教科書に書かれているくらいの常識だと思っていたのだが、それは天岐の世界とは違ったようだ。
俺の住んでいるこの現代社会とは違う領域で、違うルールの下に生活しているのなら、俺では天岐から話を聞き出すことが難しいかもしれない。
そう思ってから、俺は忘れていたことを思い出した。
天岐にエロ本を進めることではなく、天岐から話を聞き出すことが目的だった。
そう考えると、この会話が可能になった状況は十分に目的を達成できたと言える。後は呪いに関する話を引き出すだけだ。
ただ問題はそこが難しいところであって、そのために俺はどうしようかと迷う必要があった。
取り敢えず、沈黙が空間を支配したら窒息するので、そうならないように酸素補給も兼ねて、適当な話題を振ることにする。
「好きなジャンルとかないの?」
「それはどのジャンルの話ですか?本の話ですか?」
「うん、そう。本の話だよ」
俺はそう言いながら、脇に置いたビニール袋をチラリと見た。その視線に気づいた天岐が冷めた目を向けてくる。
「高校生に向ける質問ではありませんね」
「真面目だな。ちょっとくらい興味があるだろう?」
「言っておきますが、紙媒体か映像媒体かは問わず、そういう物に興味はありません」
そう断言する天岐を見て、俺は本当に目の前の人間が高校生であるのか、男子であるのか、疑いを持ち始めていた。
何より、犬山さんに告白して振られたそうなのだが、その告白を成功させて、何を求めていたというのか疑問だ。
「全く興味がないの?好きな人ができても、そういうことをしたいと思わないの?」
「何を勘違いしているのですか?僕は好きな相手以外の行為に興味はないと言っているのですよ」
そういう物に興味はない。そういうことではなく、そういう物。つまりはそういうことだ。
天岐は対象が自分の好きな人である前提があって、そこに対して、ようやく食指が動くということらしい。
それは何と表現するべきか。一種のそういう嗜好のような気もする変わった特徴だ。
「そもそも、そういう物に出ている女性の大半は望んで、そういう状況になっていますが、自ら望む者に与えて何が面白いんですか?そういうのは、望まない相手に望ませるからこそ面白いのでは?」
さも当たり前のように言ってきた天岐の顔を見て、俺は少しずつ天岐の歪みが露呈し始めたことを実感していた。
既に何となく、嫌な予感がしているのだが、そこを覗くことも与えられた役目なので、俺は立ち止まることなく、天岐の露呈しそうな部分を引っ張ってみる。
「えーと…つまり、嫌がっている相手を好きにするのが好きだと?」
「嫌がりそうな相手に求めさせることが面白いんですよ。最初から求めてくる相手はつまらない」
天岐の発言を聞きながら、俺は試しに犬山さんのことを思い浮かべてみた。
転んだ拍子に縞パンを目撃され、それをうっかり漏らした俺のこめかみに回し蹴りを噛ますくらいに、犬山さんにはそういう免疫がない。
それは他のことにもそうであるはずで、そういう時にどのような反応を取るかは普段の会話から簡単に想像できることだ。
それを参考に今の天岐の発言を考えると、天岐が犬山さんに告白した理由は何となく想像がつく。
「もしかして、自分の言うことを聞かなさそうな子を好きになる?」
「と言うよりも、そういう子にしか興味がありません」
これは何と言うか、非常に矛盾した表現になるのだが、綺麗にまっすぐと歪んだ性格をしている。一片の曇りなく汚れている。敢えて他に語るまでもない。
この歪み加減を考えると、犬山さんに猫の耳や尻尾を生やし、それを面白がるか、それを利用することくらいは考えそうだと俺は思った。
これと言った証拠があるわけではないので、明確に黒とは言えないが、白とは思えないくらいにグレーだ。
天岐も足利と一緒で、可能性だけで考えると、確かに十分にあり得そうだと俺は思った。
さて、ではここから、更に突き詰めて、天岐が黒であるかどうかの判断を下そうと俺が考えた瞬間、その思考を読み取られたように天岐が本を閉じた。
「あれ?どうしたの?」
「もう読書の時間が終わったので帰ります。それにゆっくりと本を読める状況でもありませんので」
ゆっくりと本を読める状況ではなくなったとは一体何があったのだと俺は思ったが、それを聞き出す前に天岐はさっさと荷物をまとめて、その場から立ち去ってしまった。
これから重要なことを聞き出そうとしたのに、それを聞き出す前に問題の相手が消えてしまい、俺は盛大に戸惑ってしまう。
足利に続いて、これまた保留しかない。
時間がないというのに、一向に犯人が突き止められそうにないと嘆きながら、俺も図書館から出ようと思って立ち上がったのだが、そこで不意に腕を掴まれ、元の席に座るように押しつけられた。
一体、誰だと思った俺が振り返り、腕を掴んできた人物の顔を見ようとした瞬間、さっきまで天岐が座っていた席に一人の人物が座る。
それは精巧に作られた人形のように顔の整った美少女で、姫渕さんに見せられた画像の三枚目に映っていた最後の候補者だった。