ファミレスと打ち合わせ
三年前くらいのことだ。ネットのとある掲示板で、突如として選挙が行われた。
それが全国高校制服総選挙だ。
女子部門と男子部門に分かれ、それぞれカッコよさや可愛さなどを中心に最も良いと思った制服に一票だけ投票する権利が与えられ、どの高校の制服が最もカッコいいのか――あるいは可愛いのか――決めようというものだった。
それは局所的ではあったが、その掲示板の界隈では様々な討論が繰り広げられるほどに白熱し、数ヶ月後、開票の際には多くの犯罪者予備軍がサンプルとして掲載された制服姿の高校生に舌なめずりした物だ。
因みに、この際に掲載された写真の多くは盗撮された物だったらしく、後々主催者が逮捕されたことで、俺も知ることになった。
その制服総選挙の女子部門の上位三十位以内に入り、県内の高校の中では二位、公立高校に絞れば一位の記録を誇るほどに、制服の可愛い高校の前に俺はいた。
別に制服が見たかったから、その場所にやってきたとか、そういう邪な気持ちは全く――全くと言えば嘘になるかもしれないが、基本的にはない。
俺がこの高校の前にやってきたのは、昨日、犬山さんから呼び出されたからだ。犬山さんの通っている高校というのが、この高校のことらしい。知らないことに気づき、翌朝に慌てて問い合わせると、この高校の名前と地図が丁寧に送られてきた。
なので、俺は放課後を迎えるくらいの時間に、その高校の前まで自転車を走らせ、やってきたのだが、周囲の人々はそう思っていないらしく、さっきから鋭い視線が刺さりまくっていた。今日はバイトがないので、いつまでも犬山さんを待つことができるのだが、今すぐにでも帰りたい気分だ。
最悪の場合は通報されて逮捕――もしくは逮捕直前に至ったという悪い噂が立ち、バイトをクビになる可能性がある。
その前に帰るべきか、犬山さんを待つべきか。ハムレットか俺かというほどに頭を悩ませながら、俺は校門の前でビクビクと怯えていた。
そこに救世主が現れたようだった。校舎の方からこちらに、颯爽と歩いてくる犬山さんの姿を発見した瞬間、俺は救われた気持ちになっていた。
どれだけ通報される危険性に晒されても、帰ることなく耐え忍んだ俺を褒めてくれ。
そう心の中で強く願いながら、歩いてくる犬山さんを歓喜の表情で迎え入れると、犬山さんが開口一番、こう言ってきた。
「怪しいですね。通報しますよ」
「酷くない!?こっちは通報される危険性があっても、約束だからと待っていたんだよ!?」
「いや、だって、前科があるじゃないですか。校門の前で通り掛かる女子生徒のスカートの中を覗こうとかしてません?」
「してないよ!?第一、あれは覗いたわけじゃなくて、犬山さんが勝手に見せてきたの!」
「人を露出狂みたいに言わないでください!」
校門前で何をしているのだと言われたら、返す言葉がないのだが、逢って早々、俺と犬山さんは激しい口論に発展した。
俺は縞パンの礼もある上に、犬山さんの呪いを解かなければ死ぬ未来が待っているので、犬山さんとできれば仲良くしたいのだが、犬山さんには一方的に毛嫌いされている感じがする。何故かは考えても分からないのだが、大方思春期特有の気難しい頃合いなのだろう。
それよりも、その激しい舌戦の最中に放り込まれ、困惑した表情で犬山さんの隣に立っている女子生徒が俺は気になっていた。
三つ編み、眼鏡、校則通りに着こなされた制服と、今時珍しいくらいに委員長のテンプレートに当てはめられた生徒である。
その子の様子が流石に気になり、このまま犬山さんと言い争いを繰り広げていても困らせるだけかと、俺が少し心配になってきたところで、犬山さんも俺が見つける彼女の存在を思い出したようだ。
途端に呼吸を整え、それまでの争いがなかったように、犬山さんは隣の女子生徒に向かって、俺を紹介し始めた。
「この人が言っていた海原さん」
「ああ、覗き魔の」
「どういう教え方!?覗きなんてしてないよね!?」
「スカートの中を覗いてきましたから」
「君もしつこいね!」
いや、しつこいくらいに擦っているのはこちらも同じことなので、人のことを言える立場ではないが、それにしても根に持ち過ぎている気がする。
縞パンと崇め奉り、誇大に表現しているが、それはあくまでパンツであり、高々パンツが見られただけのことだ。犯罪行為だったら未だしも、偶然見えてしまったパンツを忘れられないくらいで犯罪者扱いされた溜まったものではない。
こちらも見たくて見たわけではない。偶然見えてしまっただけだ。そこに嫌らしい気持ちなど、見てしまったというほんの少しの罪悪感を除く大部分にしかない。一生忘れるつもりはないが、それだから何だと言うのだ。
これだから難しい年頃の女の子の相手は面倒なのだ。そう思いながら、俺は委員長に挨拶しようと片手を伸ばした。
「どうも初めまして。海原です、委員長」
「いえ、私は委員長ではありません」
意外だ。この風貌で委員長ではないとは。ならば、他の役職なのだろうか?
「そうでしたか…図書委員ですか?」
「いえ、違います。部活とか委員会とかは習い事が忙しいので入っていません」
「ああ、そっちのタイプですか」
「タイプ…?」
なるほど。家が厳しいタイプの女の子かと納得し、俺はうんうんと頷いた。
因みに伸ばした片手は握手の意味だったが、一切握られる様子がなく、鞄を両手でがっちりと掴んでいたので、そっと元に戻した。
「あれ?ていうか、どうして、犬山さん以外の子が?」
「その辺りを説明するので場所を変えませんか?」
犬山さんが辺りを見回しながら言ったことで、俺は俺達三人が大衆の目に晒されている事実にようやく気づくことができた。
確かに、この場所でプライベートな話はするべきではないと納得し、俺は止めてあった自転車のハンドルを握った。流石にここで乗るほどに空気が読めていない男ではない。
「どこでもいいですか?」
「ああ、うん。この辺りはあんまり分からないし」
「なら、近くのファミレスに行きましょう」
「それでいいよ」
この時は気楽にそう答えて、俺は犬山さんとその友人らしき少女の案内で場所を移すことになるのだが、この時の俺はあんまり分からないと答えた俺の少しは分かっている部分をしっかりと思い出すべきだった。
それを後悔することになるのは、犬山さん達の案内で目的のファミレスの前に到着した時だった。
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ファミレスの店内は比較的空いていた。時間帯的にそろそろ忙しくなるだろう頃合いで、その波が来る前に店にやってこられた形だろう。
ここから、しばらくは学校終わりの学生が駆け込み、時間が遅くなってくると家族連れが、この近くの店はここにしかないのか、とこちら側が錯覚する勢いで雪崩れ込んでくる。
だから、何の考えもなく、テーブル席につけたのは運が良かったと思いながら、俺は席に案内してくれた店員に苦笑いを浮かべ、犬山さん達と席についた。店員のネームプレートには見慣れた愛川の文字が書かれている。
ここまで来たら、言わずもがな分かっていることだとは思うのだが、犬山さんの言っていた近くのファミレスとはまさかの俺のバイトしているファミレスだった。
いや、それなら、どうしてこれまでに逢ったことがないのかと思うかもしれないが、そもそも、俺はキッチンであり、来ている客の顔など一人も知らない。ファミレスに行ったことのある人なら分かるはずだ。キッチンで働いている店員の顔など、一度も見たことがないだろう。
仮にそこで猿が働いていても、客は料理の中に不自然に入っている毛を注意するだけで、猿を店で働かすなとは言ってこない。極論だ。
だから、俺は自分の働いているファミレスと、犬山さんの通っている高校の位置など考えることもしなかった。
カウンタードアの向こうから、愛川さんがこちらの様子を怪訝そうに見ている。制服姿の女子高生を侍らせる俺に、明らかに疑いを持っている目だ。
流石に店に泥を塗るとは思えないから、通報されることこそないとは思うが、変な噂が立って働きづらくならないかと俺は不安に思った。
「あの」
「えっ!?何!?」
テーブルを挟んで向かい側。犬山さんと並ぶ形で座った委員長タイプの少女に声をかけられ、俺は無駄に焦ってしまった。この姿を見て、更に怪しいと思われたことだろう。返す言葉も最早ない。
「いえ、名乗っていなかったかもしれないと思いまして」
「ああ、確かに」
さっきから、少女の呼び方を特定できていなかったが、単純に名前を聞くことを忘れていた。
はて、こちらは名乗った記憶があるのだが、どうして委員長は名乗らなかったのだろうか?理由が思い出せない。
「私は姫渕優子と言います。一姫二太郎の姫に、長渕剛の渕、それから…優秀の優に、子供銀行の子です」
一瞬、自己紹介の途中で表情を曇らせた気がしたが、姫渕さんの自己紹介は正直、それ以外にも気になる要素が多くて、それどころではなかった。
取り敢えず、一通りの説明を聞いた上での感想を一つ言うとしたら――
「長渕剛が好きなの?」
「いえ、全く」
多分、俺が間違えた。それはハッキリと分かった。
「えっと…一応、もう一度、名乗っておくと、俺は海原星大です。海原は…多分、分かると思うからいいか。星大は星が大きいって書きます」
文字通り、星のように大きく育って欲しいという願いから両親がつけた名前ではあるのだが、その名前は苗字との組み合わせが少し悪かった。俺の渾名はこれまで一貫して、一つの物しかつけられていない。
「苗字と下の名前の一文字目を合わせると、海星になりますね」
「ああ、うん…気づいた…?」
途端に暗くなった俺の様子に気づき、姫渕さんは軽く頷くだけで、それ以上は言ってこなかった。大方察しのいい子ではある。
海星。小学生の頃に辞書か何かを見た一人の生徒につけられてから、俺の渾名の定番となったものだが、その渾名はあまり良い繋がりを作らなかった。
何を言っているのかと思った人は試しに辞書で、『ひとで』を調べてみるといい。その言葉から始まる言葉は他に何があるのか調べたら、すぐに何があったのか分かるはずだ。
詳細は話さない。思い出したくないことは思い出さない主義だ。
「それで姫渕さんはどうしてここに?」
呪いのことを知っているのかと直接的に聞くことは、流石にリスクが大きいかと判断し、俺は敢えて婉曲に聞いてみることにした。
だが、その配慮は不必要だったようだ。
「私も協力しているんです。莱花の呪いを解くために」
「あっ、知ってるんだ」
「ええ、親友ですから」
全体的に冷めた印象だったので、姫渕さんの口から躊躇いなく、親友という言葉が出たことに少し驚いたが、それ以上に親友であることと呪いを教えられたことが関係しているのかと俺は思った。
仮に俺が呪われたとして、俺に親友と呼べるだけの相手がいたとして、そいつに呪いのことを教えるかと聞かれたら、恐らく、親友だからこそ、不必要な不和をなくしたいと思って、話さないかもしれない。
しかし、この場合の親友は話すかどうかの話ではなかったようだ。姫渕さんが隣の犬山さんに目を向けながら言葉を続けた。
「流石に見てしまいますよ。あの耳と尻尾は」
「ああ、そうか」
驚いた拍子に飛び出る猫の耳と尻尾。それは言うまでもなく、近くにいる人ほど目撃する可能性が高いものであり、姫渕さんはそうだったらしい。
目撃されたら説明するしかなく、説明されたら受け入れるしかない。特に親友という間柄なら、そういうものだろう。俺にはいないから、いまいちピンと来ないが。
「それで姫渕さんも呪いを解くために協力してるんだ?」
「まあ、はい…そういうことです」
少し歯切れが悪い印象はあったが、美しき友愛に俺は感銘を受けることこそなかったが、なるほどと納得した。それで姫渕さんがこの場に現れた理由が分かった。
しかし、それは正直、どうでもいいことであり、この場合に最も大切な情報が分かっていないままだった。
「ところで呪いをかけた相手はどうやって見つけるつもりなの?姫渕さんもいるってことは協力して探すの?」
それが今回の主目的であり、犬山さんと約束した理由だ。それを聞かないと、わざわざ通報されるリスクを冒してまで、犬山さんの高校前にやってきた意味がなくなる。
そう思いながら質問したのだが、正直なところ、頷かれたらどうしようかと俺は考えていた。
犬山さんは事前に手段がないわけではないと言っていた。その手段が明確に見つかる可能性のある手段ならいいのだが、俺と姫渕さんが協力したら、それで見つかる可能性が高まるとか思っているなら、それはお門違いにも程がある。
それは手段がないと言うべきであり、俺は死んだも同然の死体に成り下がるわけだ。本当に終活を始めないといけないかもしれない。
しかし、その不安を取り除いてくれるように、姫渕さんが俺の前でかぶりを振ってくれた。
「いいえ、それで見つかるとは思っていません」
「なら、どうするの?手段はある的な自信満々な一言を犬山さんから貰ってるんだけど?」
「そんな自信満々に言ってませんよね?」
「実はもう犯人についての見当はついているんです」
「へっ?」
犯人について見当がついている。俺の理解力が人よりも劣っていなければ、容疑者は突き止めているという意味であり、一人とは絞り込めていないとしても、数人の中に犯人がいることは分かっているという意味のはずだ。
つまり、探偵役を務める誰かが「この中に犯人がいる」と宣言し、そこから推理で真犯人を特定するくらいの状態には入っているということだ。
それなら、まだ俺にも希望があるかもしれない。処分しようと考えていたアダルトグッズはもう少し保管しておこう。
そんなことを考える俺の前に、姫渕さんが自分のスマホを置いた。
「犯人候補自体は三人まで絞れているんです」
「どうやって、そこまで分かったの?」
「莱花に恨みのある人…恨みのありそうな人を考えた時に、可能性の高い人がその三人でした」
「逆に三人もいるの?」
「自分から恨みを買っているわけではないのですが、彼女は見ての通り、とても可愛いので」
姫渕さんがそれまでの淡々としたトーンを崩すことなく、そう平然と言ってのけると、隣で犬山さんが赤面した。それを見た俺が一瞬の躊躇いもなく、姫渕さんに同意するように頷く。
「分かる」
「二人して私を殺したいんですか?」
「別に事実の確認だから。そんな変な風に思わないでよ」
「そうよ。それは事実だから。だから、貴女はいつも告白されるのでしょう?」
姫渕さんの指摘に犬山さんは恥ずかしそうに項垂れた。
その姿を見ながら、俺は鴉羽さんが言っていたことを思い出していた。
「そんなに候補が多いの。誰が呪ったのか分からない」
あれはつまり、それだけの男子が告白し、玉砕したという意味だったのかと今更ながらに納得した。
「その告白した相手がこの三人だったってことか」
「いえ、それは少し違います。莱花に告白した相手はもっとたくさんいましたが、それを見つけることはできませんでした」
「え…?何…?急に怖い話…?」
まさか、犬山さんのことを好きな誰かが歪んだ愛情を示し、ライバルとなり得る人物を殺して回ったのだろうか、と俺は想像してしまったが、流石にそういう話ではなかった。
「いえ、単純に莱花が覚えてないんです。多くて」
「……怖い話じゃん」
告白した相手から認知されていないとか、非モテの権化をやっている俺からすると、恐怖以外の何物でもない。
せめて、認識はして欲しい。それくらいの細やかな願いすらも許されない生徒達に俺は心の中で合掌した。
「ですが、覚えられていないような相手は呪いをかける技術などないと思いましたので、その相手を除外し、その可能性の高い人に絞りました」
姫渕さんがテーブルの上に置いたスマホを弄り、画面に映し出された画像を見せてきた。
「そうして出てきた候補が二人。そこに私の思う候補を一人加えて、三人まで絞られました」
「それなら、後は確認するだけなんだよね?俺、いる?」
「ええ、もちろん。だって、私も莱花も顔が知られていますから。直接聞きに行って、それで素直に話してくれるとは思いません」
要するに、俺は最後に探りを入れる役として、誰にも知られていない都合のいい人物になればいいのか。
社会の表から外れた働くニートとして、モブの役割を果たすこと以上に最適なこともないだろう。言っていて悲しくなってくるが、それも非情な現実だ。
「分かった。その相手が犬山さんに呪いをかけたかどうか聞き出せばいいんだな。よし、やろう」
「いえ、そこまで話すとは思えないので、呪いを知っているかどうかだけ聞いてください」
「そこまで話すとは思えないって、それはあれだよね?知らない人にそういう話はしないって意味だよね?」
「…………はい、もちろん」
姫渕さんの含みを持った間の殺傷能力はあまりに高く、二年間の堕落した生活で麻痺していなければ、俺の心も殺されるところだった。