バイトとコミュニケーション
家から自転車で約八分。幹線道路と幹線道路を繋ぐように住宅街を横切る道路の中間地点。いくつかの飲食店が立ち並ぶ中に一軒のファミレスがある。
全国に千店舗以上ある有名チェーン店で、その名前を聞いたことがない人は等しく、日本国外からやってきた人間であると分かる現代版踏み絵の役割を果たす知名度のファミレスだ。
そのファミレスが俺のバイト先だった。キッチンで完全マニュアル通りの調理を担当している。
犬山さんの縞パンを目撃し、鴉羽さんに呪われ、犬山さんにかけられた呪いを解く手伝いをする羽目になったのだが、その状況をいまいち消化できないまま、俺はバイトに来ることになってしまった。
せっかくコンビニで買ったお菓子や炭酸飲料も飲む暇はなく、急いで帰った自分の部屋に放置してある。今頃、炭酸飲料は常温だ。
「どうしたの?」
混乱し切った頭の整理に時間がかかり、黙々と入ってきたオーダーを処理する機械になっていたからか、同じくキッチンで働く白瑞さんがそう声をかけてきた。
俺より一つ年上の大学生で、バイト先の先輩に当たる人なのだが、高校を卒業したばかりの闇落ちした俺にも、気にすることなく話しかけてくれるほどに優しく、店全体で見ても数少ない同性ということもあって、俺もそれなりに慕っていた。
ただ一つだけ気に入らないのが、その優しい性格に加え、顔も俳優やモデルと見間違うほどのイケメンということから、かなりモテるというところだ。
非モテの権化と言われて三千年。女の子にモテる人生を味わったことのない俺からすると、どれだけ尊敬しようが、どれだけ慕っていようが、白瑞さんが妬みの対象から外れることは未来永劫にしてない。
その白瑞さんにどうしたのかと聞かれて、素直に呪いのことを話そうかと一瞬思った俺だったが、流石に残っていた冷静さがそれはやめておけと言ってきた。
白瑞さんのことだから――何をおかしなことを言っているのだ、精神病院に連れていかなくてはならない――みたいな感じで俺を病人扱いすることはないだろうが、呪いをかけた相手を説得すると言って、鴉羽さんのところに乗り込むことくらいはしそうだ。
それが良い結果を齎すか、悪い結果を齎すか分からない以上、下手に白瑞さんに話すべきではないだろう。それなりに行動力のある善人ほどに厄介な者がいないことも確かなのだから。
「まあ、いろいろあって…」
そのいろいろを説明することはできないが――というような含みのある言い方をしていたら、ふと白瑞さんから以前、聞いたことを思い出した。
「そういえば、白瑞さんって高校生に弟がいるって言ってましたよね?」
「ああ、うん。いるよ」
「どんな風に接しているんですか?というか、高校生とどうやって接するべきなんですか?」
「え?急にどうしたの?」
流石に驚いた様子で聞かれたので、俺は素直に女子高生と親しくなる必要ができてしまったのだが、女子高生と親しくなれる気がしないと話すことにした。
もちろん、呪いのことを言ったら、話がややこしくなると思ったので、その辺りのことは一切口に出していない。
「えーと…取り敢えず、女子高生は犯罪だと思うから、変な付き合いはやめた方がいいよ」
いや、そういう話ではない――と一瞬思った上に、そう言おうとしたが、ここは白瑞さんとちゃんと争うべきなのではないかと思い直した。
「いえ、白瑞さん。冷静に考えてみてください。女子高生の多くは十六歳以上の女性です。そして、俺はもう二十歳です。分かりますか?どちらも結婚できる年齢です。つまり、その付き合いが仮に成立しても、それが結婚を前提にした付き合いなら、犯罪になることはないはずです」
「いや、まあ、そうかもしれないけど…結婚とか考えているの?」
「全く考えていません!」
しまった!墓穴を掘ってしまった!
そう思った時には既に白瑞さんの冷ややかな視線が俺に突き刺さっていた。優しさからか浮かべている苦笑も心を抉ってくる。
「いや、待ってください。そもそも、高校三年生なら、年齢的には二歳くらいの差です。それくらいの差なら、別におかしな関係でもないでしょう?高校在学中にも生まれるくらいの差ですよ」
「その子は高校三年生なの?」
「いえ、二年生って言ってました」
またしてもしまった!白瑞さんの巧妙な罠に引っ掛かってしまった!
白瑞さんの口元から渇いた笑い声が漏れ出していた。苦笑も何とか苦笑の体を保とうとしているが、表情的にはほとんど笑えていない。ただの苦い顔だ。
「いや、待ってください。このタイミングで言っても信じられないかもしれませんが、そもそも、俺は恋愛相談じゃありませんよ。そういうくんずほぐれつの関係ではなく、俺がしたいのは単純に女子高生とのコミュニケーションが難しいという話です」
「くんずほぐれつ…?」
「それは置いといてください。最近の高校生とのコミュニケーションはどうやって取るべきなんですか?」
俺は犬山さんの顔を思い浮かべてみたが、正直なところ、ここから犬山さんに呪いをかけた相手を見つけるための必要最低限のコミュニケーションが取れるとは思えなかった。
一方的な命令を俺が受け、それを叶えるために必死に動き、失敗したら回し蹴りが飛んでくる。その未来が妥当だ。
もしくは俺側のコミュニケーションが問題なのだろうかと思ってみるが、俺のパーフェクトコミュニケーションに問題は見られない。
「高校生は何か、いろいろと気難しいじゃないですか」
俺は心の底から感じたことを口にした。白瑞さんは尚も苦笑を浮かべていたが、その一言には同意してくれるようだ。
「まあ、確かにね。高校生は年頃的にか、いろいろと気難しいと思うよ。僕も弟と最近はあまり話せていないしね」
「昔は良く話してたんですか?」
「昔はね。一緒の習い事もしてたし、かなり仲が良かったよ。いつから、こうなったのか」
俺の悩み事を聞いてもらおうとしたら、いつの間にか、白瑞さんの悩み事相談に変わっていた。もちろん、その回答者は俺しかいないので、その悩みが解決することは一生ない。
「ああ、でも、LINEとかなら、普通に話してくれるよ。画面越しだったら話せるみたいな、そういうのがあるのかもね」
「画面越し…」
言われて、俺は強制的に犬山さんと連絡先を交換したことを思い出した。バイトがあると言って、俺が店を出る直前のことだ。
その時は特に何も思わなかったが、冷静に考えてみると、あれだけの美少女の連絡先を手に入れられたことは凄いことなのではないだろうか。
そう考えたら、コミュニケーションが取れるのかどうかという問題は、とても小さなことのように思えてきた。
「白瑞さんってモテますよね?」
「急に話題が変わったね。高校生とのコミュニケーション問題はどこに行ったの?」
「いや、その話題を継続中なんですけど」
連絡先を知っているということは、いつでも自由に連絡ができるということであり、それだけの回数の連絡ができるということは、それだけチャンスも多いということだ。
つまりはこれを知っておく必要がある。
「女子高生と付き合うにはどうしたらいいと思いますか?」
「えっと…くんずほぐれつは犯罪だから諦めた方がいいよ」
因みに、くんずほぐれつは喧嘩を表すために使われる言葉なので、今回のように淫語――もとい、隠語での使い方はやめた方がいい。
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白瑞さんからモテるテクニックを聞き出す前に、フロアチーフの愛川さんがキッチンに怒鳴り込んできた。何を仕事中に雑談しているのだという理不尽なクレームだ。
見た目こそ美人だが、その性格は狂犬のように凶暴で、三十歳を目前に控えても結婚する様子はなく、このまま結婚することなく生涯を終えるのではないだろうかと、密かに俺に噂されていた愛川さんだが、昨年めでたく結婚し、これで性格も丸くなるはずだと思っていたら、日に日に尖っていっていた。
別角度からの噂なのだが、結婚した相手が愛川さんに愛想を尽かし、別に愛人を作っているとか何とか。真偽のほどは分からないが、ありそうだとは俺も思う。
その愛川(旧姓)さんに怒られ、俺と白瑞さんは理不尽に仕事をさせられることになり、そのままモテるテクニックを聞く暇なく、バイトを終えることになった。
もう少しで日付を跨ぐという時間だ。俺は自転車に乗って、片道八分の帰路を走り始めた。
その時になって、俺は犬山さんに呪いをかけた相手をどうやって探せばいいのか、全く分かっていないことに気づいた。探せと言われたが、闇雲に探しても見つかるはずがない。何かしらの手段が必要なはずだ。
そう思うのだが、その手段が全く分からない。このままだとタイムリミットがやってくる。つまりは俺の死が迫っている。
どうしようと焦った俺は家に到着し、自分の部屋に転がり込んだ直後、助けを求めるように犬山さんに連絡していた。
『急募呪いをかけた奴の見つけ方』
その一文だけを送ると、その数十秒後に返信が来る。
『こんな時間に何ですか?あと意味が分からないです』
『いや、呪いをかけた奴ってどうやって見つけるの?』
『さあ?』
『さあって何!?このままだと俺死ぬよ!?君のために死んじゃうよ!?』
『ちょっと告白風に言うのやめてください。安心してください。それに関して、全く手段がないわけじゃないので』
それは死を覚悟した俺からしたら、正しく朗報だった。ちゃんと手段が用意されている上での呪いだったのかと思ったら、鴉羽さんの行為がツンデレのように思えてくる。
『その手段って!?』
『明日説明するので、私の通っている学校の前に来てください。怪しいからって通報されないでくださいね』
『大丈夫!制服着ていくから!』
『通報します』
犬山さんからの理不尽な一言に俺が愕然としていると、数秒後に『おやすみなさい』の一文が送られ、強制的に会話終了になった。
何はともあれ、これで死ぬこともなくなった。安心して、ゆっくり眠れると思い、俺は布団の中で横になる。
ゆっくりと瞼を閉じて、もう意識がなくなるという直前のことだった。俺は夢の中に落ちていきながら思った。
犬山さんの通っている学校ってどこ?