魔女と契約
「もしかめとか関係ありますか?」
「鈍いじゃなくて呪い。藁人形に釘を刺してやる奴があるでしょう?あれよ」
真面目な顔をする鴉羽さんの前で、ようやく怒りが落ちついてきたのか、荒い呼吸を落ちつかせようとしていた犬山さんの耳と尻尾が引っ込んだ。それは本当に一瞬のことで、出てくる瞬間を目撃しているから分かっていたことだが、着脱式とかではないようだ。本当に身体から生えているらしい。
しかし、その原因が呪いと言われて、すぐに呪いですか、そうですかと言えるほどに、俺は呪いを受け入れていなかった。
そもそも、呪いとか存在しないことのはずだ。そういうものが存在してしまったら、それこそ、警察で解決のできない殺人事件が多発することになる。未解決事件は多いかもしれないが、原因不明、死因不明の事件はそこまで多くないはずだ。少なくとも、俺はそう思いたい。
その願望をぶちまけるように、俺は呪いとか信じられない気持ちをそのままに伝えたが、鴉羽さんの返答は更に予想していないものだった。
「呪いと言っても、誰にでもできるものじゃないの。あれは魔術の一種だから」
「魔術?」
また新たなオカルトワードの登場に俺の頭は混乱した。呪いか魔術か、出してくるなら一つにして欲しいのだが、どこかの欲張りが一気に二つも突っ込んでしまったようだ。聞いている側として、ややこしくて堪らない。
「そう魔術。イメージ湧くかしら?いろいろと準備して、術式を組み立てて、それでようやく一つの魔術が発動できるの。呪いも一緒。ある条件をクリアして、それでようやく一つの呪いが発動できる」
「つまり、犬山さんを誰かが何かしらのことをして呪って、その結果、猫の耳と尻尾が生えるようになったと?」
「そういうこと」
眉唾ここに極まれり。俺は新手の詐欺に遭っているのかもしれないと考え始めていた。それでなければ、これほどまでに信じられない話を真面目にする理由が分からない。
そもそも、これだけ意味の分からない話をしてくる鴉羽さんは何者なのかと俺は思った。見た目の雰囲気からそうなのだが、ただの喫茶店の店主とは思えない。詐欺師であると言われた方が腑に落ちるくらいだ。
正直に聞いて、それで正直に詐欺師であると答えるとは思えないが、その辺りをハッキリさせるべきだと思って、俺は鴉羽さんに何者であるか聞いた。いや、この場合は聞いてしまったと言うべきかもしれない。
ここまでの流れから分かっていることのはずだった。鴉羽さんの返答が俺の予想していないものであることは、既に分かり切っていることだったのだから。
「私は魔術師よ。魔術の専門家」
そのように自信満々に言ってくる鴉羽さんに俺は言葉を詰まらせた。どこからどう指摘したらいいのか分からないのだが、取り敢えず、今の鴉羽さんの一言に対する返答は何となく、俺の中でまとまっている。
「それは何か納得しました」
魔術師って言われたら、もうそれにしか見えないくらいに、鴉羽さんの雰囲気はミステリアスだった。
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一度、冷静になって話をまとめてみるが、犬山さんは魔術の中の呪いにかかっており、驚いたら猫の耳と尻尾が出てしまう身体になってしまった。それを説明してくれた鴉羽さんは魔術師で、その魔術の専門家である。
ここまで聞いたら、俺が言わなければいけない言葉は一つしかない気がした。誰もが分かっていることだと思うが、これは指摘しなければいけない。
「呪いをかけて働かせるとか最低だと思いますよ」
「何だか誤解されているみたいだけど、私が呪ったわけじゃないわよ?」
「え?違うんですか?話の流れ的にてっきり」
「いや、それなら、目撃した貴方をさっさと始末して終わりよ。長々と説明しないわ」
「急に恐ろしいことを口走らないでください。ソファーを濡らしますよ?」
「そっちの方が恐ろしいじゃない」
しかし、鴉羽さんが呪いをかけていないとなると、今の話の流れが良く分からなくなってきた。犬山さんの耳と尻尾が現実的に考えられないことは確かであり、その説明が呪いだと言われたら、それを信じるしかないことも確かだが、それを俺に説明する理由が分からない。
何より、鴉羽さんが魔術の専門家なら、その呪いくらいは簡単に解けばいい。俺がそう思ったことを見透かしたように、鴉羽さんが口を開いた。
「彼女の呪いは簡単には解けないの」
「え?どういうことですか?」
「ちょっとした鍵がかかっている状態で、呪いをかけた人物が誰か分からないと、それを解くことができないようになっているの」
「呪いをかけた人物って?」
「分からないわ。あまりに候補が多すぎて」
「そんなに?」
俺は怒りが収まってから、次第に恥ずかしさが芽生えてきたのか、顔を赤く染めて恥じらっている乙女の姿を見た。眺めているだけで一時間や二時間は平気で立ちそうなくらいに可愛い美少女だが、その美少女を恨んでいる相手とは何者なのかと俺は思う。
「そんなに候補が多いの。誰が呪ったか分からない。だからね、その相手を探してくれる人が欲しかったの」
鴉羽さんのこの発言を聞いた時点で俺は嫌な予感がしていた。何となく、鴉羽さんが俺にここまでの説明をした理由が分かってきたので、俺は衝立の向こうの様子を見ようとした。出口が分からなければ逃げることもできない。
そう思っていたら、鴉羽さんが俺の前に手を伸ばしてきた。
「これ、飲んだわよね?」
そう言いながら、鴉羽さんは俺の前に置かれたコーヒーカップを手に取った。俺がさっき飲み干したコーヒーが入っていたカップだ。
「えーと…それが何か?代金なら、ちゃんと…」
「そうじゃなくてね」
鴉羽さんが手に持ったカップをテーブルの上に置き、それの下に敷いていた皿を持ち上げた。その裏側を俺に見せつけるように突き出してくる。
そこには見たことのない複雑な模様が描かれていた。
「何これ…?」
「魔術の発動のための術式。この上に入っていたコーヒーを飲んだら、その人に呪いがかかるようになっているの」
「呪い…?」
「今から一週間で死ぬ呪い」
「死…」
俺は顔から全ての血の気が引いていくのが分かった。もう既に遅いことだが、知らない場所で出されたコーヒーは飲むべきではないと今更ながらに思う。
「安心して。私はちゃんと解けるから」
「なら、お願いします!お金は払える限り払いますから!」
俺は恥じらいを捨てて、ソファーから飛び上がるように土下座をした。全力でお願いしたら、いくら魔女のような人でも、少しくらい心が動くはずだ。
「お金はいらないの。言ったでしょう?誰が彼女に呪いをかけたか分からないって」
しかし、鴉羽さんは正真正銘の魔女のようだった。顔を上げた俺に対して、綺麗な笑顔でそう言うだけで、それ以外の条件は飲みそうにもなかった。
「呪いをかけて働かせるとか最低だと思いますよ…?」
「かもね」
こうして、俺は魔女と猫耳メイドの奴隷となった。