オカルトと詐欺
大きな動きが起きていたことを知ることになったとは言っても、それは夕方頃のことで、それまで俺はファミレスにいた。
昨晩、深夜まで働いていた俺だが、土曜日も昼からシフトが入っていたからだ。
金曜日の夜は地獄のような忙しさになることが多いのだが、それは週末の昼間も同じことで、俺は他に何かを考える余裕もなく、ひたすらに入ってくる伝票を捌くだけの時間を過ごしていた。
それで半日が潰れて、迎えた夕方頃になって、ようやく俺はスマホに届いた通知を発見した。
そこには姫渕さんの名前が表示されていた。
そこで俺はしばらく思案することになった。
はて?姫渕さんとは?
もちろん、姫渕さんのことを忘れたわけではない。姫渕さんという知り合いがいることは覚えている。
犬山さんの親友で、実は魔法使いだった姫渕さんだ。
俺の知っている姫渕さんはその姫渕さんしかいない。
しかし、その姫渕さんが俺の連絡先を知っているだろうか?
そう思ってから、俺は昨日のことを思い出した。姫渕さんと行った神社でのことだ。
その後、バイトがあった俺はすぐに帰ろうとしていたのだが、その時に姫渕さんに呼び止められて、犬山さんのことで調べるのなら、お互いの連絡先を知っている方が何かと便利だと言われ、連絡先を交換したのだった。
その後の地獄のような忙しさが脳を破壊し、俺はすっかり忘れていたと今更ながらに思う。
それで姫渕さんが連絡してきたのかと思ってから、俺は姫渕さんが何故連絡してきたのか、ようやく疑問に思った。
昨日の今日で連絡してくるということは、犬山さんの呪いに関して、何か進展があったのだろうか?もしかして、姫渕さんが独自に何かを調べていて、何かが分かったのだろうか?
そのように漠然と中身のないことを考えていたら、俺はもしかしたら、自分が助かるかもしれないという希望を懐き始めていた。
早速、姫渕さんからの連絡を確認してみようと思って、俺はスマホをタップする。
姫渕さんからの連絡は今日の昼頃に届いたもののようで、その内容は姫渕さんの性格をそのままに表したように簡潔な一文だった。
俺の頭の中で、その一文が姫渕さんの声で再生される。
同時に俺の頭は空っぽになった。
『莱花がいなくなりました』
「はあ…?」
思わず声を漏らしてから、俺は急いで姫渕さんに連絡していた。
状況は想定外の動き方をしているようだった。
▲▲ ▲▲ ▲▲
二度目にかけた電話に、ようやく姫渕さんが出た。
「もしもし?」
スマホの向こう側から、姫渕さんの少し荒れた声が聞こえてくる。
普段の冷静な姫渕さんからは考えられない荒い呼吸に、普段の俺なら興奮しているところかもしれないが、今はそれどころではなかった。
「犬山さんがいなくなったって、どういうこと?」
「そのままの意味です。莱花が家に帰ってません」
昨晩、姫渕さんは俺と逢ったこともあり、犬山さんに他に犯人候補を探そうと提案の連絡を送っていたそうだ。
犬山さんは覚えていないかもしれないが、姫渕さんは記憶を消した際に、その相手に対してある程度の記憶があったらしく、その人達を当たってみようと提案しようと思っていたらしい。
ただ、その連絡に対する返答は一切なく、そのままに今日の昼間を迎えたことから、不審に思った姫渕さんが家に連絡したそうだ。
そこで犬山さんが帰ってきていないことを知った。
「私の家に泊まると言って、外泊しているようなのですが、私の家には来ていないんです」
「それで、親御さんにはどう話したの?」
「もしかしたら、呪いが関係しているかもしれないので、何も話していません。巻き込むわけにはいきませんから」
「それで俺に連絡してきた理由は?」
「巻き込まれてください。そう頼もうと思って連絡しました」
普段の俺なら怒っていたところかもしれないが、今の俺はいろいろと気持ちが変わっていた。
姫渕さんの気持ちに触れたこともそうだが、何より、金曜日の夜と土曜日の昼間の忙しさを経験して、既に脳が破壊されている状態だった。
今なら死地にでも飛び込める自信がある。それほどまでに俺はハイになっていた。
「分かった。どこかで待ち合わせしよう」
「それでしたら、一つ最適な場所があります」
そうして、姫渕さんが提案してきた場所は、姫渕さんから考えると意外な場所だった。
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「初めまして」
姫渕さんが俺の前でゆっくりと頭を下げた。
もちろん、姫渕さんと俺は初めて逢ったわけではない上に、これは俺に向けられた挨拶ではない。
姫渕さんの視線の先にはカウンター席があり、その向こう側からカウンターに肘を突く形で、妖しげに鴉羽さんが笑っていた。
「初めまして。莱花ちゃんのお友達よね?」
「はい。親友です」
そのように挨拶を交わす二人だが、その雰囲気はとても和気藹々としたものではなかった。
姫渕さんは言っていた。魔術はオカルトだ、と。
その魔術を使って魔術師を名乗っている鴉羽さんと、姫渕さんが仲良くできる未来が俺には見えない。
そう思っていたら、挨拶を済ませた姫渕さんが早速と言わんばかりに聞き始める。
「莱花は来ていませんか?」
「え?姫渕さん?」
「来てないわよ、残念なことに」
「そうですか。本当に残念です」
その言葉だけ聞いていたら、二人の意見は合っているように思えるのだが、二人の間に漂う雰囲気はとても険悪なもので、俺は息が詰まる思いだった。
酸素ボンベが欲しい。それか犬山さんを連れてきて欲しい。
そう思ったが、そもそも犬山さんがいなくなったから、この状況になっているわけで、その願いが叶うはずもない。
「あの~、鴉羽さんは何か聞いていないですか?犬山さんがどこに行くとか、誰と逢うとか、そういう話を」
「私は全く聞いてないわよ。そもそも、昨日は顔を出さなかったから、莱花ちゃん」
「昨日の時点で、ここに来なかったんですか?」
鴉羽さんの言ったことに、姫渕さんが想像以上に食いついていた。
その勢いに流石の鴉羽さんも驚いたようだ。目を丸くしながら、上体を少し逸らしている。
「ええ、そうよ。昨日は逢ってないわ」
「それがどうしたの?」
「いえ、莱花は昨日もバイトに行くと言っていたんです。それが来なかったとなると」
その前に姿を消す理由が起きた。
この喫茶店に来る前となると、それが絡んでくる場所は限られてくる。
「学校…?」
俺はそう呟きながら、自然と姫渕さんが候補として挙げた三人の顔を思い出していた。
「まさか、呪いをかけた犯人が犬山さんを誘拐した?」
「あらら、そんなことになってるの?」
「いや、なってるかどうか分からないですけど…ていうか、暢気ですね」
「だって、私が何かしなくても、解決くらいその子ができるでしょう?魔法なんていう詐欺紛いの力を使うそうだから」
そう言いながら、鴉羽さんが姫渕さんを指差して、姫渕さんは眉を顰めていた。
「あれ?鴉羽さんも知ってたんですか?」
「そういう詐欺集団があることは」
その一言を聞いて、俺はようやく理解した。
魔法使いが一方的に魔術師を嫌っているのではなく、この二つは単純に仲が悪いそうだ。
お互いの力を認めていない。それぞれオカルトや詐欺と言い張っている。
どちらも不可思議な力という面では同じだとしか思えないのだが、当人達からすると、その違いも大切なのだろう。
本当にくだらない。
そう思いながら、俺は取り敢えず、学校で犬山さんに何があったのか知る必要があると考えていた。
それを知るためにどうしようかと思っていたら、唐突に姫渕さんが俺の手を握ってきた。
その大胆な行動に俺がドキッとしていると、姫渕さんはそのまま手を引いて、喫茶店を出てしまう。
「行きますよ」
「え?どこに?」
「知っている可能性が高い人に逢いに行きます」
そう言いながら、姫渕さんがどんどんと歩いていく中、俺は握られた姫渕さんの手の柔らかさを忘れないように、その手を軽く握り返していた。
これだけで数日は生きられるかもしれない。そう思えるほどの感触だった。