毒舌と絶対零度
足利の急な人生相談は丸く収まったが、俺の本来の目的は全く終わっていないことに俺はちゃんと気づいていた。褒めてくれてもいい。足利を引き止めたことのついでに。
足利が犬山さんに呪いをかけたかどうかの見極め。それが今回の俺の目的だ。
ただ、ここまでの足利の悩みの内容から、呪いを意図的にかけた可能性はないと思う。今の長い相談の全てが虚言でない限りはそのはずだ。
そうなってくると、犬山さんに対して何かしようとした結果が呪いとして現れた可能性の方が高いので、そちらの可能性を潰すことにした。
この質問は話の流れもあって簡単だ。
「ところで、足利君はその好きな人のために何かした?」
「何か?例えば?」
「好きになってもらおうとか、後は幸せになって欲しいとか、そういう気持ちで何かしたのかなって」
「確かに…言われてみたら、僕は試合に誘う以外にほとんど何もできていませんでした」
足利は考え込むように俯いてしまい、俺は思っていた意図とは違う形で伝わってしまったかもしれないと思っていた。
それで何かが起きることはないので深く考える必要もないとは思うが、人に何かを伝えることは非常に難しいと改めて思う。
取り敢えず、何もしていないのなら、それが呪いに発展することもないだろう。
意図的に呪いをかけたわけでもなく、事故的に呪いがかかったわけでもない。
そうなってきたら、足利は白しかない。
これで犯人候補だった三人と接触できて、その本心を探ることに成功したが、俺はそれとは別の問題が発生していることにもちろん気づいていた。
候補者全員が白だった。そうなってくると、この中に犯人がいなかったと考える方が適切だ。
犯人は別にいるとしたら、それは犬山さんに告白し、振られた莫大な相手の全てを探る必要があることになって、その候補を探すことは非常に困難になる。
少なくとも、あと数日の俺の命の中では不可能だ。
これは詰んだ。もう終わった。
俺は考え込む足利の隣で考え込み、絶望に頭を抱えていた。
ここから何とか犯人を探すとしたら、犬山さんが忘れてしまった相手を順番に思い出してもらうしかない。ただ忘れている相手を本当に思い出すことができるのかと聞かれたら、それは怪しいところだ。
そもそも、いくら興味がないからと言って、相手の顔の一つも覚えていないのはどうかと思うと思いながら、俺はさっきの疑問をもう一度思い出した。
犬山さんは本当に足利を良く知らないのか?
試合に呼ぶ以外のことはほとんどしていなかったと言っていたが、それをしていたのなら、そこに接点があったことは間違いないはずだ。
それだけの接点があるのなら、多少は知っている相手になるはずで、同級生とは思えないほどに遠慮した言い方で足利の名前を呼ぶとは思えない。
そもそも、足利の走っている姿は見ていたそうなので、その人に試合に誘われたら、一度くらいは行ってみようとなりそうなものだ。
犬山さんの行動に疑問を懐いたが、犬山さんの本心を夢の中で探ることは難しい。それはさっき逢った時の反応から分かることだ。
今は犯人を探すことが先決だが、犬山さんのことも知らないで、その犯人を見つけられるのか聞かれたら、何とも言えないと答えるしかない。
ここは疑問を解消した方が良さそうだと俺は思ったが、犬山さんのことを犬山さん以外に知っている相手などいそうになかった。
そう思ってから、俺は思い出した。
俺は既に犬山さんの親友に逢っている。
もしかしたら、彼女だったら何か知っているかもしれない。
そう考えていたら、唐突に目の前から声が聞こえた。
「悩み事ですか?」
河川敷に足利と並んで座っているはずなので、そこには川しかないはずなのだが、その川が喋ったのかと思うほどの冷たい声に、俺は驚きから顔を上げる。
ただ流石に川が喋っているはずもなく、そこには俺がさっきまで思い浮かべていた相手が座っていた。
「莱花のことですか?」
現実と変わらない冷静な口調で、姫渕さんがそう聞いてきた。
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姫渕さんの登場と共に舞台はファミレスに移行していた。あの時と同じように俺は姫渕さんと向かい合って座っている。
あの時との違いと言えば、姫渕さんの隣に犬山さんがいないことと、遠くから白い目を向けていた愛川さんの姿がないことくらいだ。
ファミレスは俺と姫渕さんの貸し切り状態になっている。
流石に何度目かの場面転換となると、不意に姫渕さんが登場しても、驚くことはなかった。次はそういう展開か、くらいにしか思わない。
「どうして、そう思ったの?」
姫渕さんの冷静さに釣られるように、俺は姫渕さんに聞いていた。
俯いていたから悩み事だと思ったとしても、それが犬山さん絡みだと分かる要素はなかったはずだ。
「海原さんは悩みのない人生を送っていそうですから、悩むことがあるとしたら、莱花に関することくらいだと」
「今さり気なく、ディスった?」
お前の人生に悩みなどあるはずがないと言われた気がしたのだが、姫渕さんはかぶりを振ったので恐らく気のせいだろう。そう思うことにしよう。
「呪いをかけた人物が誰か分からないとか、そういうことですか?」
「うん。まあ、それもあるけど、ちょっと不思議に思ったんだよね。犬山さんのこと」
「莱花を不思議に?それは莱花ですから、不思議に思うことくらい、たくさんありますよ」
「うん…うん?うーん?うん?」
今度は犬山さんに矛先が向いた気がしたのだが、人のことをとやかく言う趣味はないので、そこには触れないでおこう。
それに気にすることなく、テーブルに置かれていたコーヒーカップを口に運ぶ姫渕さんを見ていたら、俺の気のせいである気もしてくる。
そう聞こうとしていたから、そう聞こえてしまっただけで、姫渕さんは特に変わったことは言っていなかった。そういうことだと思ってみる。
「姫渕さんって犬山さんの親友なんだよね?」
「そうですね。それなりの付き合いになりました」
「犬山さんって、物凄く冷たい子?」
「冷たい?体温の話ですか?」
「ううん、性格の話。体温の話とか普通しないかな」
姫渕さんは顎に手を当てて、思い返すように視線を逸らしていた。
そこまで考えないと分からないことなのだろうか、と俺は思ったが、ちゃんと答えてくれようとしている証拠だと、俺は前向きに捉えようとする。
「私と比べると、温かい性格だと思いますよ」
それはそう。絶対零度の姫渕さんと比べたら、仮に犬山さんがマイナスだとしても温かいよ、それは。
とても深く考え込んだ末の答えとは思えない答えに、俺は心の中で盛大なツッコミを噛ました。
夢の中でありながら、心の中でツッコむとは何かと自分で思ったが、流石に声に出すほどに無神経ではなかった。
「いや、犬山さん単体の評価をして欲しいかなって。比較とかじゃなく」
俺が何とか別の答えを求めようとそう言ってみると、今度は姫渕さんがじっと俺の顔を見つめてきた。
さっきとは違う明らかに考えている様子ではない対応だが、この視線の意味は何かと思っていたら、唐突に蔑みの目を向けてくる。
「海原さんへの対応は正当だと思いますよ?」
「そこにクレームを出したいわけじゃないから」
あと絶対に正当ではない!犬山さんの対応はあまりに冷たすぎる!
何だよ?ちょっと縞パン見たくらいじゃないか?それくらいで何だと言うのだ!?
そう思っていたら、姫渕さんが溜め息をついた。
「まあ、冗談はここまでにしましょう。海原さんは何に気づいて、夢の中の私から何を聞き出したいんですか?」
「あれ?気づいてたの?」
「眠る前に話していましたから」
そういえばそうだったと、最初に逢った犬山さんとの会話を思い出して、俺は思った。
それなら、本当に最初に犬山さんと逢った報告をするのも一興かと考えるが、流石に貴重な時間を潰してまですることではないと思ったので、その報告は後ですることにする。
それよりも、今は懐いた疑問を口に出すことが先決だと俺は思った。
「犬山さんがいろいろな人を振っているみたいだけど、仮に振ったことはいいとして、本当にそれを覚えていないの?彼女は自分のことを好きになってくれた相手の顔を一切覚えないくらいに冷たい性格をしているの?」
「それは…あまりに数が多くて、覚えられないだけでは?」
「じゃあ、足利のことはどう?彼は告白する前に何度か試合に誘ったそうだけど、犬山さんは一度も来なかった上に、同級生である足利をあまり知らない人と言っていた」
「それは…」
姫渕さんはそこで言葉を止めて、俺から視線を逸らしながら、コーヒーカップを口に運んだ。
それは――からどのような言葉が続くのか気になるのだが、姫渕さんはなかなかに言ってくれようとしない。
「何かあるの?犬山さんに秘密とか?」
姫渕さんの言葉を促すために俺が聞くと、姫渕さんは迷ったようにコーヒーカップをテーブルの上に戻し、それから聞いてきた。
「海原さんは魔術というオカルトをどれだけ信じていますか?」
「え?いや、実際に夢の中で姫渕さんとかと話しているくらいだし、普通にあるのかなくらいは思ってるよ。仕組みとか分からないけど、何か家電使うくらいの感覚で使ってるね」
「それはつまり、普通は信じられない力が実在していると思えているということでよろしいですか?」
「うん、まあ、よろしいです」
姫渕さんからの謎の質問に俺は首を傾げた。
それまでの話から質問の内容が繋がっていないように思えるのだが、姫渕さんは一人で納得している。
「どういう意味?」
「明日…という表現だと曖昧ですね。夢の中ですから。目が覚めた後、その日の夕方頃に私の通う高校前に来られますか?そこで説明します」
目が覚めた日は夜にバイトのシフトが入っているが、その前に高校前に行くことくらいは余裕だ。
何せ、あの高校からバイト先のファミレスは非常に近い。夢の中だが、その場所で話している現状からも、それは良く思い出せる。
「分かったけど、ここだとダメなの?」
「ここでは夢と現実の区別がつきませんから」
それは夢の中なのだから、当たり前のことだろうと思ったが、姫渕さんは冗談を言っている風でもなかったので、特に何も言えなかった。
姫渕さんとの会話はどこまでが本気で、どこまでが冗談なのか理解しづらいところがある。
もう少し表情に変化を出してくれたら分かるのだが、と思っていたら、コーヒーカップを口に運び、その中に入っていた何かを飲み干した姫渕さんが急に振り返った。
俺に背を向ける形で、ファミレスの入口の方面を見ているのだが、そこには特に何もない。
「そろそろ、時間のようですね」
「え?」
どこでそれが分かるのかと俺が思った瞬間、視界が一気に暗くなり、俺の全身は重くなった。
何が起きたのか考えることもなく、俺はいつの間にか、重く落ちていた瞼を開いていく。
どうやら、タイムリミット――朝が来たようだ。