自供と自信
何の前触れもなく、光峰様が天岐に変わったことで、俺は喉の奥で小動物が死んだのではないかと思うほどの変な声を出しそうになった。
光峰様の綺麗な顔が接近してくることも心臓に多大な影響を与えてくるのだが、この唐突な変化も違った意味で心臓に悪い。
夢の中なので、そのショックで死ぬことはないと思うのだが、目覚めてからも残るトラウマになりかねない。
今後、本を見たら天岐の顔を思い出し、二度と本を読むことができなくなったらどうするのだと抗議してやりたいが、この繋がりの一端に俺も関与していることは条件から分かっているので、抗議しようにもその相手がいない。
強いて言うなら、自分自身に急な変更を起こす行動を取るなと言うくらいだが、その行動が分からないからこそ、俺は驚いているわけで、この思考は堂々巡りにしかならない。
考えても分からないことは放棄することにして、今は恐らく白と判断した光峰様から、天岐に順調に変わったことを良かったと思うべきだろう。
この時間を無駄にすることはできない。天岐に逢ったら言わなければいけないことがある。
「君、光峰様が隠れていたことを知ってた?」
「知ってましたよ……光峰様?」
分かり切っていたことだが、改めて確認して、俺は天岐に憤りを覚えた。
光峰様の存在を知っていて無視したことはどうでもいい。あの光峰様の様子を理解していたら、俺も無視するかもしれないと思うから、そこは御相子だ。
ただ光峰様がその後に俺に絡むと分かっていながら、そのまま放置したことが気に食わない。
「人に押しつける真似をしやがって!」
俺が怒りのままに不満をぶちまけると、天岐は面白そうに小さく笑ってから、テーブルに肘を突き、組んだ手の上に顎を置きながら呟いた。
「ですが、話せて良かったでしょう?」
「……ん?」
天岐からの不意の質問に俺は眉を顰めた。
こいつは何を言っているのだ?その疑問と一緒にどうしようもない不安が奥底から湧いてくる。
あまり良い印象の生み出せない言葉だ。そう思っていたら、天岐が更に口を開く。
「話す必要がありませんでしたか?彼女と」
何か知っているのか!?咄嗟に口に出しかけた言葉を俺は慌てて飲み込んだ。ここが夢の中であると理解していなかったら、気持ちのままに言っていたかもしれない。
それほどまでに天岐の言葉をこちらの心を見透かしていた。
まさか、天岐が黒なのか?
俺がそう考え出し、何も言わなかったからか、天岐は更に話し始めた。
「何か探ろうとしていることは分かっていましたから。犬山さんの友人…お知り合いとかですよね?」
今、絶対に友人ではないな、と思って言い換えなかったか?
確かに友人ではない。犬山さんの友人とは言えない関係性だが、そこに一縷の可能性くらい残してもいいはずだ。
何故、完璧に否定した?
そう聞きたかったが、今はそれどころではなかった。
「どうして、そう思った?」
「分かりますよ。いつか、そういう人が現れてもおかしくはないと思っていましたから。目の前であの本を読んでいることに気づいた瞬間、これはその時が来たのかもしれないとすぐに悟りました」
「目の前でエロ本を読む奴が現れるかもしれないって思ってたのか?」
「そこじゃないですよ?そういう人が現れると分かっていたら、通報する準備くらいは整えておきますから」
危うく、図書館に警察官が潜み込み、その中でエロ本を読む可能性があったのか――と俺は考え、怯えながら天岐の言葉を反芻していた。
そういう人が現れてもおかしくはない。目の前でエロ本を読む人ではないとしたら、犬山さん絡みで探ってくる人物がいてもおかしくないという意味のはずだ。
エロ本がそこにどう繋がっているのか俺には分からないが、何か天岐の中では特殊な連想ゲームが行われたに違いない。
それは別に考えるとして、問題は天岐が犬山さんに関することで自分を探ってくる人物がいるかもしれないと思っていた点だ。
犬山さんに関することで人を探る必要があるとしたら、それは呪い以外にないはずだ。
つまり、今の言葉は自覚しているのかどうかは別として、天岐の自供と考えた方がいい。
犬山さんに呪いをかけたから、それに関して調べに来る人がいるはずだと思っていた。そういう意味のはずだ。
これは天岐が黒で確定か。俺はそう思いつつも、明確に自供の言葉が聞きたいと思い、天岐に聞いていた。
「どうして、来ると思ったんだ?」
「それはもちろん、仕掛けていましたから」
来た!呪いをかけたという証言だ!
俺はついに犯人を見つけた喜びに踊り出したい気分だった。
これで俺にかけられた死の呪いも解かれる。俺は大して意味のない人生をもう少し長く続けられる。
そこに大きな喜びがあるのかと聞かれると、俺は何とも答えづらいのだが、死にたいと思うほどに自分の生に執着がないわけでもない―――ないわけでもない。
ないのだろうか?不意に俺は正気に戻って、いらないことを考えそうになった。
ここは夢の中だ。自分の本心がつい露呈しそうになる。その気軽さが助けになる瞬間もあるのだろうが、見たくないものもあるはずだ。
俺は俺の気持ちに蓋をして、これ以上にいらないものを溢れ出さないように天岐を見た。
今は犬山さんに呪いをかけた相手を追及し、糾弾することが最適であり、そこに全力を注ぐべきだ。
「仕掛けたとか言って、それで犬山さんがどれだけ困ったと思ってるんだ!?」
俺は正義漢振って大袈裟に天岐に言ってのけた。
急に演劇が始まったような大袈裟さだが、天岐はそれを不思議に思うことも、その言葉に取り乱すこともなく、冷静に笑みを浮かべたまま、俺を見ている。
「何を言っているのですか?困る必要などないでしょう?気づいた時に僕を訪ねてくれば良かっただけですから」
「訪ねてきたら、素直に呪いを解いたと言うのか!?」
「呪い…?その表現が正しいかは分かりませんが、それくらいのことはしましたよ。いえ、違いますね。それが最初から目的でしたから」
呪いを解くことが目的?俺は天岐が何を言っているか分からなかったが、順調に自供し始めたことだけは分かったので、ここでその真意の全てを聞き出そうと思った。
犬山さんに呪いをかけた理由の全てが分かれば、その呪いを解いた後の対策までできるかもしれない。
恐らく、一度解いた呪いなら、再びかけられたとしても何とでもなるし、犯人が分かっていたら、新しい呪いでも対応できると考えて、鴉羽さんは犯人を見つけることだけを目的にしたと思うのだが、その先の理由のところまで分かるに越したことはないはずだ。
それを引き出せそうな状況なら、それをしない手はない。
「目的?」
「はい。犬山さんに僕と逢いたいと思わせる。それ自体が目的でした」
「そのために呪いをかけたのか?回りくどくない?」
犬山さんと逢うだけなら、別に呪いをかける必要はない。その時間を使って、犬山さんに逢いに行けばいいだけの話だ。
それをしない天岐は見た目や振る舞いに反して、馬鹿なのだろうか?
そう思った俺の疑問を聞き、天岐はゆっくりとかぶりを振った。
「逢いに来させるから、意味があるのではないですか。そうでないとつまらない」
ああ、確かにそういうことを言っていた――と俺は呆れながら思い出し、天岐の歪んだ性格を再認識した。
犬山さんから逢いに来させる。それだけのために呪いをかけることがあっても、天岐の性格を考えると不思議ではない。
その辺りは俺の想像の及ばないところなので、納得することしかできないか。というか、あまり必要以上に理解したくない気持ちも強いので、納得することにしよう。
「それで呪いをかけたのか?」
「呪い…まあ、そういう表現をすることもできるかもしれませんが、そこまで物騒な言い方をする必要がありますか?」
順調に自供していると思っていたら、唐突に天岐が不思議そうに聞いてきた。
まさか、ここに来て、はぐらかそうとしているのか?
流石にそれは無理があるだろうと俺は半ば呆れながら、天岐の逃げ道をしっかりと潰す。
「物騒って…呪いは呪いだろう?何を言ってるんだ?」
「いや、そちらこそ、何を言っているのですか?ただ僕のことが気になるように仕掛けただけじゃないですか?」
「……はあ?」
あれ?おかしい。天岐と話が噛み合わなくなってきた。
明らかに変わった話の流れに俺が不穏さを感じていると、不思議そうな表情のまま、止めを刺すように天岐が聞いてきた。
「犬山さんは僕のことが気になってきて、それで僕のことを調べるように頼んだんですよね?」
「気になってきて…?」
「僕という存在を意識し始めたのでしょう?」
迸る自信を隠すことなく、天岐が少し嬉しそうにそう言ってきた。
天岐の告白の台詞は既に犬山さんから聞いている。それと目の前にある自信満々をそのまま表現した顔を頭の中で並べて、俺は絶叫したくなった。
どこから、その自信が湧いてくるのだ!
それを言い出さなかったのは、あまりにショックな現実に俺は目を背けたかったからだ。
それこそ、ここが夢であるように、今の発言も夢であればいいのに、と本気で考えるほどだ。
「一度、話をまとめてもいいか?」
「はい、どうぞ」
「君は犬山さんに告白した」
「はい」
「そこで振られてしまったが、犬山さんはその告白の台詞から君のことがどうしても気になり、俺に調べるように依頼した」
「そうでしょう」
「それで君とここで接触した。そう君は思った」
「間違いでも?」
間違いしかない!どこから何をどう訂正したらいいのか分からないほどに、全てが間違いだ!
せっかく犯人が見つかったと思ったのに、これでは天岐が犯人であるかどうかも分からない。
さっきまでは外堀を埋めてから、呪いに繋がりそうなところを探るべきだと思っていたが、あれだけ呪いという言葉を口にした後なら、もう関係ない。
ここは直接的に質問してハッキリさせようと思い、俺はずばり聞いてみた。
「呪いとか信じる?」
「どうして、急にオカルトを持ち出すんですか?」
終わった。完全に終わった。俺の人生はここで終わりだ。もう呪いで死ぬ運命しかない。俺は絶望から椅子に倒れ込むように凭れかかった。
これで天岐が犯人ではなかったのなら、もう犯人とか見つかるとは思えない。
これ以上、犯人を探しても見つからないのなら、いっそのこと、このまま夢の中にいる状態で死んでしまいたい。その方がいろいろと楽そうだ。
そう思った瞬間だった。椅子に凭れかかろうとした身体の動きのまま、俺は図書館の床に転がるように倒れ込んでいた。
椅子を斜めに浮かして遊んでいたら、そのまま転びそうになる感覚を思い出し、俺は咄嗟にテーブルを掴もうと手を伸ばした。
しかし、そこにあったはずのテーブルは消え、気づいたら、座っていたはずの椅子もなくなっている。
あれ?と思った時には、俺の身体は完全に倒れ込み、図書館の床――ではなく、水の中に沈んでいた。
急に訪れた息苦しさに、俺は慌てて両手を動かし、水中に壁があることを確認する。
その壁に手を伸ばし、身体がぶつかったことで、それが壁ではなく、地面であることを理解して、俺はすぐに立ち上がった。
今度は何だと半ば苛立ちながら、立ち上がった俺は顔を上げ、その場所を確認しようとする。
そこは分かり切っていたことだが、さっきまでの図書館ではなく、どこかの川のようだ。
これはどこの川だろうかと考えようとした直後、俺の頭上からその答えを教えるように声が降ってきた。
「大丈夫ですか!?」
そう言いながら、慌てた様子で覗き込んできたのは足利だった。