第175話 回廊の戦い(6)動き出す事態
「マイクチェク族離脱」の報に、わたしは慌てて身を整えると、寝室から出て陣地を見下ろす櫓に上った。
「……………!」
そして、前線の陣地を見て息を呑んだ。
タヴェルト軍からの防衛ラインである最前線の陣地。その地で待機していた筈のマイクチェク族の兵達が、全て姿を消していた。
陣地の防衛ラインにはマイクチェク族だけではなく、オシマ族など他の部族の兵も配備されていたので、完全に前線の兵士がいなくなったわけではない。
しかし、前衛を固めていた屈強で大柄なマイクチェク兵達が一人もいなくなった事で、陣地を守る兵達は半減。最前線の防衛線は歯が抜けた様な状態となっていた。
「昨夜の深夜……マイクチェク族の全軍が突然陣地を放棄し、回廊の東へと移動し始めたとの事です」
昨夜の状況を確認したシュウ・ホークが報告した。
「他部族の兵達には制止しようとした者もいたのですが、『左谷蠡王様の命令だ』と聞く耳を持たなかったそうで……。ハーンのご指示によるものかと考えた兵も多く、止められなかったそうです」
「そうですか……」
わたしはため息をつきながら頷いた。
ウス=コタの意図は明白だ。
なかなか対策が決まらない状況に業を煮やして、このままでは「隅の国」で危機にある自部族の者たちを救えない、と判断し、救援のために独断で軍勢を動かしたのだろう。
「ハーンのご命令も無い状態で、無断で軍勢を率いて戦線を離脱……。左谷蠡王様への対応をいかがなさいますか」
シュウ・ホークがわたしの前に立って言った。
「この様な行動は、ハーンに対する反逆であるとも考えられます。この上は、ウス=コタ殿の王位を剥奪し、逆賊としてマイクチェク族を討伐……」
「……その様な事ができるわけがないでしょう」
わたしは鋭い声で言った。
シュウ・ホークが、わたしの心の内を知った上で敢えて「常識的な」「冷たい」進言をしている事は判っていた。その流れに乗るような形で言葉を続ける。
「左谷蠡王にこの様な行動を取らせてしまったのは……部族の者を案ずる気持ちを充分に汲むことができなかった朕に責任があります。彼だけを責めることはできません」
そして、シュウ・ホークとコアクトに振り返りながら続けた。
「……この上はせめて、現在の状況から取れる、最善の手段を取る事にしましょう」
……………
わたしは各部族の者たちを幕舎に召集し、マイクチェク族の離脱という状況を説明するとともに、状況を追認する形でウス=コタに『征東将軍』の称号を与えた。
そしてウス=コタの軍勢を追いかける形で勅使を派遣し、称号の授与を伝えさせるとともに、「隅の国」の反乱鎮圧を命じる勅を届けさせたのだった。
こうして、懸案であった「隅の国」の反乱に対する対処は、なし崩しの形で動き始める事となった。
しかし、マイクチェク族の離脱はやはり大事であり、回廊を守る我が軍に大きな影響を与える事となった。
前線を守る歩兵部隊が半減した状態。そして現地を守る兵士たちの混乱。
こうした様子について、相対するタヴェルト軍が気づかないわけがない。
この事件を機に、「回廊の戦い」は大きく動き出す事となるのであった。
……………
相対するタヴェルト軍の陣営。
「報告いたします。兇奴の軍勢において動きがありました。前日と比較して最前線を守る兵士達が大きく減っております」
執事ナーガワの報告に、タヴェルト侯ドーゼウはにやりと笑みを浮かべた。
「……どうだ。儂の言った通りになっただろう」
隣に控えている客将のセントに、自慢げに語りかける。
「確かに侯の言われた通りになりましたな。蛮族の兵は、どこに行ったのでしょうか」
「後方の……『隅の国』の反乱に耐えかねて、兵力をそちらに送るしかなくなったのだ」
地図を指し示しながら説明する。
「『隅の国』の連中を焚き付けて反乱を起こさせた時点で、最終的にこうなる事はわかっておった。読み通りだな」
元々は軍神ネアルコに授けられ、お膳立てをして貰った策である事を棚に上げて、自画自賛するタヴェルト侯。
「さすがは侯。夷を以て夷を制す……蛮族同士を相争わせる事で力を削ごうというわけですな。お見事でございます」
セントは感嘆の表情を浮かべて、タヴェルト侯に問いかけた。
「ともあれこれでゴブリンどもの陣地も手薄になりましたな。ここから一気に我が軍が攻勢を仕掛けて押しつぶす、というわけですな」
続くセントの言葉に、タヴェルト侯は即答せず、天井を見上げながらうーんと考え込んだ。
「……確かノムト侯から送られた『魔導砲台』がこの地に届いていたな」
横にいる執事、ナーガワに問い明ける。ナーガワは頷いて答えた。
「はっ。昨日にヒーゴからの輸送が到着。昨夜のうちに前線の前方に出城の形で陣地を設営し、砲台の設置も完了しております」
「よろしい」
タヴェルト侯は頷き、楽しそうにセントに語りかけた。
「恐らく兇奴共は、この状況を挽回するために、無理矢理にでも攻勢を仕掛けてくる筈。勝利をより確実にするためにも、我が軍から攻勢を掛ける前に、まずはそれを叩き潰すとしようぞ」
そして、幕舎の窓から前方の陣地を。そこに設置された砲台を見ながら続ける。
「折角ノムト侯から贈られた『魔導砲台』があるのだ。その威力を見せて貰うとしよう。ノムト侯ご自慢の魔導技術の兵器が、ゴブリン共を薙ぎ倒す様子を見物しようではないか。そしてその後に、一気に攻勢を掛けて回廊を奪取するのだ」
そう言って、器に注いだ酒を喉に流し込むのであった。
……………
「ご報告申し上げます!」
我がリリ・ハン国の幕舎に、伝令兵が見張りからの報告を届けに来た。
「タヴェルト軍の陣営に動きあり! 攻勢に出るための動きではないかと考えられます!」
その言葉に、諸将たちが一斉にざわめく。
「やはり……!」
タヴェルト軍は、やはり我が軍がマイクチェク勢の離脱で手薄になった状況を見逃していなかった。この機会に攻勢を仕掛けて、一気にこの戦いの趨勢を決しようというのであろうか。
「ハーン、まだ混乱が収まっていないこの状況で、攻勢を仕掛けられるのは危険です」
サカ君が……右賢王が進み出て言った。
「ここは敵軍を牽制するためにも、機先を制して敵軍に先制攻撃し、一撃を与えるべきだと考えます。どうか我らイプ=スキ騎兵に出撃をお命じください!」
「確かに……前線の兵の混乱を収めて再編成を行うまで、ある程度時間を稼ぐ必要がありますな……」
「しかし、現在の状況で攻勢に出るのは危険では!?」
諸将たちがあれこれと議論を交わす中、伝令兵が新たな報告を届けて来た。
「報告! 昨夜のうちに、タヴェルト軍陣地の前方に、新たに出城の形で前衛陣地が増設されております! そして……」
床机に置かれた地図を指し示しながら続ける。
「何やら奇妙な物体が置かれております。棒の突き出た大きな銀色の筒のような物で……人間の兵士達が設置作業の様な行動を行っております」
「何だ? それは……」
よくわからない物体を発見との報告に、一同が当惑の声を上げる。
コアクトが進み出て言った。
「正体はわかりませんが、こうした状況で持ち出してくる以上、何らかの兵器である可能性が高いです。警戒が必要かと」
わたしは頷き……記憶を辿りながら言った。
「以前読んだ本……古王朝時代について書かれた本で、似たような記述を見た覚えがあります。もしかすると、古王朝時代の流れをくむ兵器なのかもしれません」
もしそうであれば……その正体次第では我が軍に深刻な被害を及ぼす可能性がある。……このまま放置するわけにはいかない。
「その謎の兵器が稼働を開始する前に……破壊すべきなのかもしれません」
「そうであれば……ここはやはり一旦攻勢に出て、敵の陣地を攻撃、その兵器を破壊する必要がありますな」
サラクの言葉に、皆が小さく頷く。
我が国の軍勢。そしてタヴェルト軍の軍勢がにらみ合い、膠着状態が続いていた、この「回廊の戦い」。
しかし、マイクチェク族の離脱。そしてタヴェルト軍が新陣地を設営し、謎の兵器を設置した事で俄に状況は動き始めた。
両軍が動き始め、本格的な軍事的衝突へと事態は動き始める。
歴史に残る「回廊の戦い」は新たな局面を迎えようとしているのであった。
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