第174話 回廊の戦い(5)離脱
「隅の国」における反乱軍北上の報が入ってから数日が過ぎた。
その間、刻々と入ってくる情報に、回廊に布陣している各部族は動揺を隠せなかった。
各方面では反乱軍が北上している報告が次々と入ってくる。
「隅の国」北部に投下領を持つ諸侯たちは、住民たちを北方に避難させ、守備兵力が残存しているカラベの街まで何とかたどり着ける様に、伝令などを手配する対応に追われていた。
イプ=スキ族については現地の根拠地であるノヤの街にある程度守備兵が残されているので、この街に住民達を集めて籠城する形で対応するそうだ。
しかし、その他の部族たちは抵抗できるだけの兵力も、籠城できる根拠地も無い。反乱軍が迫っているだけでなく、現地のシブシ族が暴徒と化している状況では、北方に向けてただ逃げるしかないのであった。
そして……「隅の国」から入ってくる情報に関して、ある意味最も深刻であるのが……反乱軍が真っ先に兵を差し向けた筈の、クシマの街からの情報が一切入ってこない事であった。
それはつまり、現地がもはや情報を発信できる状況では無くなっている事を意味する。
クシマの街に非戦闘員の住民たちを疎開させているマイクチェク族の動揺は、極めて大きなものがあった。
タヴェルト軍に備えて前線に配置させている各部族の兵達も動揺している。そして特に、最前線を守っているマイクチェク族の者たちの動揺が激しい。
現地に疎開している女性や老人、子供たちは自分たちの家族である。自らの家族が危機にある中で、兵士達が動揺するのは無理もない事であった。
……………
月が変わり、トゥリ・ハイラ・ハーンの4年(王国歴596年)、水の月(6月)1日。
左谷蠡王ウス=コタが、思い詰めた表情で、慌ただしく幕舎へと駆け込んで来た。
「ハーンにお願いがございます!」
大柄な身体を揺らしてどすどすと入ってきたウス=コタは、わたしの前に跪くと、大声で叫ぶ様に言った。
「どうか、わたくしを征討将軍にお任じになり、我がマイクチェク族に『隅の国』の反乱鎮圧をお命じくださいませ!!!!!」
その発言に、居並ぶ廷臣たちはどよめき、困惑の声を上げた。
「そ……それは……、『隅の国』の反乱鎮圧のために、マイクチェク族の軍勢を差し向けたい、という事ですか?」
わたしの問いに、ウス=コタは力強く頷いた。
「左様でございます! 我がマイクチェク族に出撃をお命じくだされば、反乱軍など瞬く間に蹴散らし、シブシを奪回し、賊の首魁ショウウンやシブシ王を僭称する者どもの首を取って参ります!」
確信に満ちた口調で胸を叩くウス=コタ。
しかし、周囲の廷臣たちは当惑の声を上げた。
「し、しかしそれは、この回廊の陣地を守るマイクチェク兵を離脱させるということでは!?」
廷臣たちの声に、ウス=コタは頷いた。
「賊軍がこれ以上北上を続ければ、『隅の国』全土は賊の手に落ちまする! 投下領の住民たちが脅かされている状態を座視できません! それに……万一カラベの街が抜かれれば、賊軍の更なる北上、そして『火の国』への侵入を許す事になりますぞ!」
その言葉に、廷臣たちはごくりと唾を飲んだ。
賊軍が本国「火の国」に雪崩れ込めば、各部族の本拠地が蹂躙される事になる。それだけではない。このク=マ回廊への補給線が絶たれるだけでなく、情勢次第ではこの地でタヴェルト軍と反乱軍に挟み撃ちにされる可能性すら出てくるのであった。
「それに……!」
ウス=コタが絞り出す様な声で言った。
「反乱軍が進軍している先、クシマの街には、我が部族の老幼たちが数多く疎開しております! 直ちに救援に赴かねば、皆の安全が……生命が危うい状態です!
どうかハーンにおかれましては、臣が、そして我らマイクチェク族の兵が救援に赴く事をお許しいただきたく存じます!!」
「……………」
ウス=コタの懇願に、わたしは玉座から立ち上がったまま、即答できずにいた。
居並ぶ群臣たちも、ウス=コタに共感しながらも頷く事はできずに困惑した表情を浮かべている。
「……左谷蠡王様。現在の状況でこの陣地からマイクチェク兵を引き抜く事には、大きなリスクが伴います」
少しの間を置いて、わたしの左前に立っているシュウ・ホークが、淡々と言った。
「眼前のタヴェルト軍の侵攻を押さえるためには、最前線である防衛陣地を左谷蠡王様と精強なマイクチェク兵が防衛する事が不可欠です」
床机に置かれている戦場の地図を指し示しながら言った。
「もし兵を引き抜けば、防御陣地の戦力は大きく弱体化し、タヴェルト軍の攻撃を守りきれない恐れがあります。そうなれば、戦線は崩壊。タヴェルト軍に敗れ、我が国は存亡の危機を迎える事となります。
……厳しい様ですが、この状況で他方面に軍勢を抽出するなど、ありえないことです」
わたしはちらりとシュウ・ホークを見た。
群臣達、皆が同じ意見を持っているが、口に出す事が躊躇われる雰囲気。
そうした中で、敢えて嫌われ役を買ってでも「常識的な」意見を発言した事が、彼の口調からは感じられた。
「『隅の国』の状況を案じるお気持ちはわかりますが、まずはこの回廊を防衛する事が最も重要です。『隅の国』は国司軍の堅守を信じて、我らは回廊を防衛し、タヴェルト軍を撃退し、撤退させてから、救援に赴くのが現実的な考え方です」
「……………っ。それでは、それでは、いつになるかわからぬ……!」
ウス=コタが俯きながら言った。
「今こうしている間にも、賊軍はクシマの街に迫っています!
我が子たちが……そして我が部族の者たちが、我が兵の家族たちが危機にあるのです!」
そして、こちらを見上げながら絞り出す様に言った。
「ハーンにお願い申し上げまする!
どうか、……どうか『隅の国』に、クシマの街に救援軍を出す事をお許し下さいませ……!」
「……………」
必死の形相でこちらを見上げるウス=コタ。しかしこの地の状況を考えると、わたしはその懇願に素直に頷く事はできなかった。
わたしの気持ちをくみ取ってか、横に立っているコアクトが告げた。
「……ウス=コタ殿。お気持ちはわかりますが、今、回廊の守りを削る事はできません。
まずは回廊を堅守し、一日も早くタヴェルト軍を撃退する事を最優先に考えられよ」
「それでは……それでは、間に合わぬ……!」
憤慨する様な、泣いている様な震える声を上げ、ウス=コタは立ち上がるとこちらに一礼し、マイクチェク族の将達とともに乱暴な足音を立てて幕舎から出て行く。
その後ろ姿を、わたしたちは複雑な表情で見つめていた。
「隅の国」における反乱の情勢は深刻だ。疎開した住民達に危機が迫っているウス=コタとマイクチェク族の者たちの思いはわかる。置かれた状況に差はあれど、他の部族たちも隅の国の状況が心配な状況は同じである。家族たちが、部族の者が危機に晒されている彼らの心配は、痛い程わかる。
しかし、現在の両軍が睨み合っている状況で、主力とも言えるマイクチェク族の軍勢を転進させるわけにはいかない。彼らには申し訳ないが、まずはこの地を守り切り、タヴェルト軍の侵攻を阻止しなければならない。
だから、タヴェルト軍が諦めて撤退を始めるか、もしくは彼らとの交戦で「この地を守り切れる」事が確実になるレベルの決定的な勝利を挙げる事ができるまでは、ここから軍勢を動かす事はできないのだ。
だが……「隅の国」の情勢はじわじわと、着実にそして深刻に我が軍の士気に影響し始めている。
この情勢に直ちに対応できる手段が思い浮かばず、……わたしは、そして廷臣達皆は、頭を悩ませるのであった。
……………
「左谷蠡王をはじめ、皆が『隅の国』の情勢を案じる気持ちはわかります。何とか早急に情勢を変える……タヴェルト軍に対して決定的な勝利を挙げる方法はありませんか」
わたしは廷臣たちに呼びかけたが、皆は一様に難しそうな表情を浮かべた。
「現在の陣地を堅守して守りを固め、攻撃してくるタヴェルト軍を撃退する、または諦めて撤退するのを待つ、というのが我が国の基本的な戦略です。タヴェルト軍が仕掛けてこない以上、なかなか短期間で決定的な勝利を挙げる事は難しいです」
コアクトが地図を見ながら言った。シュウ・ホークが続けて説明する。
「もし短期間で勝つために我が軍から攻勢に出る場合、この守りを捨てる事を意味します。現在の状況とは逆に、敵が守る陣地に攻撃を仕掛ける事になりますが、確実に勝てるかは保証できませんし、もし大きな打撃を受けて敗退した場合、戦線が崩壊して『この回廊で侵攻を阻止する』という戦略が崩壊する事となります」
「その様な極めて大きなリスクを冒す事はできないため……やはり当面は、現在の守備体制を維持して、『タヴェルト軍が諦めて撤退する』か『タヴェルト軍の攻撃を撃退し、大ダメージを与える』のいずれかを達成されるのを目指すのが、当面の方針です」
サラクが進み出て説明し、横に立っているサカ君も……そしてわたし自身も頷いた。
やはりここにいる全員の認識は変わらず、一致している。
要するに現在は動かずに「待つ」しかないという事だ。逆に、こちらから動く事は敗北の、そして戦線崩壊の危険性を増す事になってしまう。
それはつまり、現時点では「隅の国」の情勢を事実上放置せざるを得ないという結論であったが……それが現実なのだった。
とはいえ「隅の国」の情勢は深刻だし、ウス=コタやマイクチェクの者たちの心境も痛い程分かる。できれば何とかしてやりたいところだが……。
「何とかここから攻勢に出て、早急にタヴェルト軍に対して画期的な勝利を挙げる方法はないでしょうか」
「……………」
わたしは改めて、皆に呼びかけてみるが、皆の反応は鈍かった。
わたしはふと、開発中である新兵器の事を思い出して聞いてみた。
「新兵器の『雷撃箭』と『テツハウ弾』の配備状況はどうですか。実戦に投入すれば、攻勢に出ても勝利できる可能性はないですか」
わたしの言葉に、サカ君が進み出て回答した。
「それらの新兵器はともに、材料である魔法封や火薬の調達が困難であり、量産は難しい状況です。この陣地にもある程度持ち込んではいますが、弾数は少ないので、大規模な戦闘に継続して投入できる程ではありません」
「なにか一つの戦いに集中的に投入してしまうと、残弾を使い切ると考えられます。それゆえに、何らかの『ここぞという場面』で使うしかありません。強引な攻勢で使用するのはいかがなものかと考えます」
「そうですか……」
わたしはため息をつきながら頷いた。
サカ君の回答……新兵器の弾数不足についても、実際のところ、わたし自身も把握している事だった。
高い威力が期待できる新兵器であるが、大量生産が難しい。
この先の未来、いつの日か全軍に大量に配備できる様な時代がくれば、戦争の形すら変えるのかもしれないが、現時点では一場面で使われる花火の様なものに過ぎないのであった。
「とはいえ、『隅の国』の情勢を考えれば、何とか状況を打開したいのも確かです。
……タヴェルト軍を挑発して、無理な攻撃を仕掛けさせるなどの策はないものですか?」
「ハーンのお言葉通り、何らかの挑発手段について考えてみます。しかしタヴェルト軍が挑発に乗って動いてくれるのかは何とも言えませんな……」
……やはりなかなか、決定的には現状を打開する方策は見つからない。
結局皆が悩みながらも良い策は出ないまま、この日の会議は終了して解散となったのだった。
……………
しかし、膠着するかに見えた情勢は、予想だにしない形で動き出す事となるのであった。
……………
翌朝。
本陣内の幕舎で目を覚ましたわたしは、リーナが持って来た温かい濡れタオルで顔を拭き、渇いた喉を潤すために注がれた水を口にしていた。
この水は右賢王投下領から献上された名水で、「隅の国」のイプ=スキ族領地である「ノヤの街」付近で湧き出す「宝物の泉水」と呼ばれるものだった。
(このまま反乱が収まらなかった場合、この美味しい水も飲めなくなるのかな……)
わたしはぼんやりとそんな事を考えながら、水を口に運んでいた。
その時だった。
「た……大変でございます!りり様!!」
大声を上げながら、コアクトが寝室へと飛び込んで来た。
「大尚書様。ハーンのご寝室には何者も入ってはならないと定められて……」
「それどころではないのです!!!!!」
リーナの言葉を遮ってコアクトが叫ぶ。彼女がこんなに狼狽した態度を取るのは珍しい事だった。
彼女の態度を見るに、何かが起きたのかもしれない。しかし、こういう時にこそ落ち着かねばならない。
わたしは皿に盛られた木の実に手を伸ばしながら、静かに訊ねた。
「落ち着いてコアクト。教えて頂戴。何があったの? タヴェルト軍に動きでもあった?」
「そうではありません。……我が軍の方です!」
コアクトはぶんぶんと首を横に振り、荒れた息のままで続けた。
「昨夜、左谷蠡王ウス=コタ様を初めとするマイクチェク族の軍勢、全軍が無断で本営を離脱! 東方の『隅の国』に向けて移動を開始いたしました!」
「!?」
「マイクチェク族の軍勢は昨夜のうちに密かに回廊を離脱。マイクチェク勢が抜けた我が軍の前衛はほぼ半減している状態です!!」
「えっ……えええ~~っ!!!! ……んがぐぐ」
驚きのあまり、わたしは思わず口にしていた木の実を喉に詰まらせ、咳き込んでしまったのだった。
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