第168話 十四代の乱(2)シブシ陥落
「国司様をはじめ、国司館の者たちを引き連れて、後方に撤退する。準備せよ」
シブシ宰相ケン・ランは、属官のチノベに命じた。
「承知いたしました。……いずこの地に撤退されますか?」
「……………」
チノベの言葉に、ケン・ランはしばし考え込んだ。
撤退先の候補は「隅の国」北部のいずこかの街となる。国司であるソダックはウス=コタの息子であり、マイクチェク族の出身である。東北方面、マイクチェク族の投下領としての拠点となっているクシマの街に撤退すれば、同地のマイクチェク族の者たちとの連携が期待できる。だが……。
「……最北まで、カラベの街まで撤退する」
考えた末、ケン・ランは違う結論……一気に国境沿いのカラベの街まで撤退すると告げた。
反乱軍の勢いは強く、途中の街に撤退しても追撃を受け、更なる被害を受けるだけだ。それに、クシマの街まで撤退したとしても、現地をマイクチェク族の軍勢が守っているわけではない。部族軍の主力はク=マ回廊に集結しており、現地には老人や女子供しかいない筈だ。この地に自分たちが赴けば賊軍の標的となって、逆に迷惑を掛ける可能性がある。
そして反乱軍は、この「隅の国」に留まらず、更に先……「火の国」にまで進出する危険性がある。もし反乱軍が本国「火の国」にまで雪崩れ込めば、本国が受ける混乱は計り知れないし、更には反乱軍がク=マ回廊の後方を突く可能性すら出てくる。つまり、同地でタヴェルト侯と戦っているハーンの軍勢が前後から挟撃される危険性が生じる事になる。どこかで進出を食い止めねばならない。
ここは国境沿いの拠点であるカラベまで撤退し、この地で踏みとどまるしか無いだろう。カラベを死守する事で、反乱軍のこれ以上の進出を阻止しなければならない。カラベは防御力も高いし、「火の国」とも近いので情勢次第では本国と連携して反乱軍に対抗する事も可能となる。
ケン・ランは改めて命じた。
「全軍を挙げてカラベの街に撤退する。直ちに準備せよ。国司館の者、各部族の者も全員集め、確実に避難するのだ」
「かしこまりました」
「撤退に際して、賊軍に利用されない様に、この館には火を放つ。その準備も頼む」
「ははっ!」
属官のチノベは頷き……そして少し考えてからケン・ランに尋ねた。
「あの、宰相様……」
「幽閉しておりますシブシ王の身柄は、いかがいたしますか?」
「……………」
チノベの問いに、ケン・ランは黙って胸に手を遣って考え込んだ。
……………
シブシ王イル・キームは、シブシ戦役の後、名目上は貴族の地位を与えられてシブシ王(族長)としての地位は確保されていたが、実情としては国司館に幽閉状態に置かれていた。
そして「余計な事をしない様に」、大尚書コアクトから薬酒ヒルによる「処置」を施されて廃人化され、何も言わず何もできぬ痴呆の状態で、国司館の一室に留められていたのである。
シブシの街が反乱軍の手に落ちようとしているこの状況で、彼の処遇をどうするのか。
「……………」
ケン・ランは……かつて彼の処遇について大尚書コアクトと話した時の事を思い出していた。
会話の中には……こうした状況に陥った時の対応についても含まれていた。
この街を待避するにあたり、イル・キームを同行させた場合、彼の身柄は少なくとも国境沿いであるカラベの街には移動する事になる。そうなれば本国「火の国」は目前である。
そうなった場合、ハーンの命で国司ソダックとともに、イル・キームの身柄も本国に……ハーンの元まで呼び戻される可能性がある。つまり、イル・キームがハーンと面会する可能性が出てくる。
……そうなれば、大尚書コアクトが独断で行ったイル・キームへの廃人化「処理」が明るみにでてしまう。
こうした「残酷な」対応を嫌うハーンの不興を被る事は必至であるし、知っていて従っていたケン・ランたちシブシ国司館の者たちも罰を被る可能性が高い。
しかし、彼を同行させず、このまま放置したままシブシの街を撤退した場合、イル・キームの身柄は反乱軍の手に落ちるであろう。
……そうなれば反乱軍の格好の「神輿」となり、「シブシ族再興」という大義名分に、強力な正当性を与えてしまうことになる。それだけではない。イル・キームに行った廃人化の「処置」も明るみに出て、「シブシ再興軍」が正義である、そしてリリ・ハン国が残虐な行為を行う悪である、との名分や宣伝材料を与える事になるだろう。こうした事を喧伝された場合のダメージは計り知れない。
勿論、絶対にそんな事は避けねばならない。
「……………」
ケン・ランは黙って考えを巡らせた。
その様に考えると、現在の状況下でイル・キームに対して行うべき対応は、元々、ひとつしかないのであった。
かつて大尚書コアクトに問うたときに、彼女から示唆された内容も同じであったし……そしてそもそも、「カラベ事件」の際に父ランル・ランをイル・キームに殺害されている彼にとって、結局のところ、心情的にもこの選択肢以外は考えられないのであった。
「……………。チノベよ。今から命じる事を、間違い無く行うのだ」
ケン・ランは硬い表情で、チノベに命じた。
……………
王国歴596年(トゥリ・ハイラ・ハーンの4年)鳥の月(5月)24日。
ケン・ラン率いるシブシ国司軍一行は、国司館に火を放つと、暴徒やシブシ族の住民たちの包囲を突破して、シブシの街を脱出した。
シブシ国司館は、かつてのシブシ族の王宮である。かつて三百年間「隅の国」を支配したシブシ王による、無駄に贅をこらした豪華な宮殿。
そんな宮殿が大きく火柱と煙を上げる様子を尻目に、撤退した国司軍は、赤子である国司ソダックを、そして国司館の者や避難して来た各部族の者を保護しつつ全速で北方に撤退。翌日夜には「隅の国」北方の拠点、カラベに無事に到着した。
そして、この地で態勢を整え、「ク=マ回廊」に布陣するハーンに状況報告を行い、反撃の機を伺う事となったのである。
……………
今回の反乱でシブシを撤退する事となった、左谷蠡王ウス=コタの息子、シブシ国司であるソダックは、後に成長した未来において、日焼けした濃い肌色から「黒王子」と呼ばれ、その比類無き活躍から「無敗の名将」として歴史に名を残す存在となる。
そんな彼にとって、名目上はシブシ国司という責任者の立場で行われた「シブシの街からの敗走」について、これを「敗北」として扱うのかは、後世において歴史学上の大きな争点となるのだった。
黒王子ソダックは、真の意味で「無敗の名将」であるのか? 実際にはこの時に「敗北」しているのではないのか?
後世の歴史学者や戦史好きの者たちは「名目上でも大将だったのだから、敗北としてカウントすべき派」と「赤子だったので戦闘の指揮を取っていないからノーカウント派」に二分され、それぞれの立場からの主張や不毛な言い争いが際限なく繰り返され、いつまでも決着が着かない歴史の争点として、後世まで語り継がれる事となったのである。
……………
そして、暫く後。
「ク=マ回廊」に布陣するハーンの元に、シブシ反乱軍進撃の情報、そしてシブシの街が陥落した報告がもたらされた。
シブシの街を撤退し、「隅の国」北部の拠点カラベの街まで撤退したシブシ宰相ケン・ランからの報告である。
それと同時に……「たまたま、このタイミングで」シブシ国王イル・キームが死去したとの報告が行われた。
報告によれば、「餅を喉に詰まらせて」死亡したとの事であった。
「……こんなタイミングで亡くなるなんて、偶然ですわね。しかし、餅が喉に詰まったのならば、致し方ないのではないでしょうか」
大尚書コアクトは、特に表情を変えずに、ハーンに告げた。
「……そうですな。偶然なタイミングですが、餅が喉に詰まったなら、仕方ないのではないでしょうか。餅は危ないですからな」
何かを察したショウ・ホークも横から進言する。
……ちなみに「餅が喉に詰まって死んだ」という死因自体は、嘘ではなく事実であった。
「……………」
ハーンであるリリは、彼女たちの言葉に怪訝な表情を浮かべながらも。
「……そうですか。それなら仕方ないですね」
やがて、小さく頷いた。
現在攻めてきているタヴェルト侯への対応、そして反乱軍によるシブシ陥落という重大事を前に、実権を持たぬシブシ王の運命などに捕らわれている余裕など無かったのである。
こうして、旧シブシ国王イル・キームは歴史から姿を消し、彼の死は、些事として取り扱われた。
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