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第157話 ヘルシラント事件

 新たに登用されたパスパとガイアーク。

 パスパは文官としての役割とともに、「神祇官」としての任務が与えられた。

 そしてガイアークについては、当面の役割として、わたしが不在にしている間の本拠地ヘルシラントの留守居役を務める事となった。



(ヘルシラントの留守居役……。ヘルシラントを、留守にしている……)

 一連のやりとりを聞いているうちに……わたしはふと考えが浮かんで、コアクトに言った。

「そういえば……今のうちに一度、ヘルシラントまで戻りたいのですが」

「ヘルシラントに一旦戻られるのですか?」

 コアクトが顔を上げて言った。

「ええ。この回廊での滞在も長引きそうですし、今のうちに少しだけヘルシラントに戻ろうかと思うのです」

「急にこの時期に戻られるとは……なにゆえでございますか?」

「西方のタヴェルト侯が直ちに攻めてくる様子もありませんし、北方に送った特使もまだ戻らない様です。今のうちにこのタイミングで一時ヘルシラントに戻り、臣民の皆に顔を見せて安心させてあげたいと考えているのです」

 わたしの言葉に、コアクトは訝しげな表情で言った。

「……本当は?」

「う……そ、その……」

 わたしは少しだけ言いよどんでから続けた。

「久しぶりに故郷の、ヘルシラントの食事をたべて、温泉に入りたいかな、と……」

「お食事もお湯も、この地までお運びいたしますが……?」

「やっぱり現地で食べたりお風呂に入ったりしたいな……と」

「……ヘルシラントに戻って、本当は何をされたいのですか?」

 コアクトがわたしを見上げて言う。わたしはうつむきながら続けた。

「あ、あのね、そ、それに……ヘルシラントの洞窟、わたしの寝室に置いてある本を、取りに行きたいかな、と……」

「……やはりそうでしたか」

 コアクトがため息をついた。


 今回の回廊攻略に向けた遠征に向けて、わたしの居室……ヘルシラントの洞窟にある書斎から、愛読書の一部、数冊程度は持ってきていた。

 しかし、回廊での在陣が長引いてきたことで、持ってきた本も読みきってしまった。この先も長丁場になりそうだし、一度戻り、書斎に置いている愛読書の数々を本格的に沢山持ち出して持って行きたい、書斎に置きっぱなしになっている本を持って行って遠征先でも読みたい。そうした気持ちがわたしの中で大きくなっていたのだった。


「りり様のお気持ちはわかります」

 コアクトは笑みを浮かべて言った。

「でも、居室に置かれている愛読書を取り寄せられたいくらいでしたら、手配して部下の者に届けさせますよ」

「だっ……ダメ!」

 わたしは思わず大きな声を出して言った。

「そっ、その……」

 少し俯いて、恥ずかしさを押さえながら続ける。

「ご本のいろんな所に栞を挟んでいるのを見られたら、恥ずかしいし……」

「ふふっ」

 わたしの言葉に、コアクトは思わず小さな笑い声を上げた。廷臣たちからも笑い声が上がる。

「それもお気持ちは判ります。確かに自分だけの秘密にしておきたいですからね」

「………っ」

 わたしは思わず下を向いてもじもじしてしまう。


 わたしが読んでいる愛読書の数々。

 読んでいる物語の中で、特に好きな箇所。読んでいてどきどきする箇所……「萌えどころ」に、わたしは何カ所もメモ付きの栞や付箋を挟んでいた。これらは、ヘルシラントの洞窟の最奥、わたしの部屋の本棚に入っている。誰にも……メイドのリーナにすら触らせない、わたしだけの聖域なのだ。

 これらの本を、栞を挟んでいる冊子を他人に見られたら……わたしの「萌えどころ」を、性癖を知られてしまう事になる。

 そんな恥ずかしいことは絶対に避けなければならない。普通の物語や小説でも勿論だし……特に恋愛小説で好きな場所が他人に知られてしまうなど、考えるだけでも顔が熱くなってくる。

 物語で好きな場所について、同じ同好者と自分から語り合うのであれば構わない。しかし勝手に他人に見られ、知られたり……ましてや暴露されたりと考えると……恥ずかしさで一杯になる。


「だ、だから、愛読書は自分自身で回収して、自分で持って行きたいのです……」

 赤面するのを感じながらそう言うと、コアクトは笑顔で答えた。

「その気持ち、私もわかりますよ。

 ……わかりました。

 そう言われてみると私も自分の本を取りに行きたくなりましたし……短期間だけヘルシラントまで戻りましょうか」

「! ありがとう、コアクト」


 わたしの弾んだ声を聞いて、廷臣たちからも笑い声が起こった。

「仕方ありませんなぁ」

「手配いたしましょう」

「本を取りに行くため一時帰郷する」など、普通の国ではありえないことかも知れないが……わたしが文学少女だという事もあり、廷臣の皆からは「そういうもの」だと認識されているのであった。


「取りに戻りたい本って、最近の流行りでは、サキャ・ラーマの『恋を思う物語』ですかね。あれは良いですね」

 コアクトの言葉に、わたしは思わず頷いていた。

「そ、そうなのよ。『恋を思う物語』、あれはいいよね。素敵よね。恋に恋する少女の切ない気持ちがとても良くてドキドキするよね。わたし、好きな場所がいくつもあるの。だから遠征先にも持って行きたいと思って……」

 ついつい気持ちが高ぶってしまって、上ずった声で早口で喋ってしまう。

「あっ……」

 夢中で喋っていた事に気づき、はっとして口を押さえたわたし。廷臣達から明るい笑い声が上がった。

「確かにあの物語は、少女の初々しい心が描写されていていいですよね~ りり様が夢中になられる気持ちもわかりますよ」

 コアクトがにこにこしながら言った。

「著者のサキャ・ラーマという者、ペンネームで正体は謎みたいなのですが、何者なのですかね。やっぱり恋愛経験豊富な素敵な女性なのですかね」

「フヒヒ……」

 いきなり変な笑い声が起きたので、皆の目が一斉の廷臣たちの後方に向いた。

「はっ! はわわわもも申し訳ございませぬ……!」

 あわててその場に平伏したのは、今回取り立てられたばかりの神祇官、パスパだった。

「急にどうしたのです」

「そそそその、わたくしも物語などを、か……読みます故、お気持ちがわかりますので、つい……」

「そうですか。貴方も文学が好きなのですね。またいずれお話などしましょう」

 わたしが呼びかけると、パスパは

「きょきょ恐悦至極に存じまする……」

 と、地面に顔を擦り付けんばかりに平伏した。

 その様子を見ながら、わたしはコアクトたちに声を掛けたのだった。

「それでは、手数をかけますが、ヘルシラントへの一時帰還について、手配をお願いしますね」



 ……………



 こうして、状況が逼迫していないこのタイミングを狙っての、ヘルシラントへの一時帰還が実施された。

 わたしやコアクトを初めとする限られた少人数と護衛を付加した一行で、早馬を仕立ててヘルシラントまで移動した。


 ヘルシラントでの滞在は到着日も含めて2日間。

 わたしはヘルシラントの住民たちに顔を見せ、皆と会食したりと公的な行事もこなしつつ、故郷ヘルシラントで、短い休暇の様なものを満喫した。

 わたしの好物……ヘルシラント付近の港で取れたばかりの新鮮な魚の膾や「漬け」、叩きを味わう。魚の揚げ物や黒豚の料理、そして香り高い枯節の吸い物も久しぶりで、故郷に戻ってきた実感がしみじみと感じられる。現地で取れた赤芒果も甘くて美味しい。

 夕方には洞窟の近くにあるヘルシラント温泉まで足を伸ばし、湯船に浸かり、砂風呂で暖まりながら夕焼けを眺め、翌朝は朝風呂も楽しんだ。

 そして日の出には洞窟があるヘルシラント山の頂上から朝日を眺め、山の上から景色を楽しんだ。

 ヘルシラント山頂に広がる穂草、北方に見える「火の国」の景色、そして南方に広がる、どこまでも続く海の景色を満喫した。

 そして……就寝前には寝室に寝転がり、書斎から持って行く本を整理したり、大好きな本を読んだりと……心ゆくまで、久しぶりに本に包まれる時間を愉しんだのだった。



 こうして短いながらもたっぷりと楽しんだ帰郷、そして休暇を終え……

 わたしたちは(書斎から持って行く本を山積みした荷車を追加して)再び北方へ出立。西方からの侵攻に備える地である「ク=マの回廊」へと戻っていった。

 こうして、わたしたちのヘルシラントへの一時帰還については、特に問題無く、滞りなく終了した。



 事件が起きたのは……その直後の事だった。



 ……………



「ヘルシラントが襲撃されたですって!?」

 「ク=マの回廊」に帰還した直後、追いかける様に届いた急報に、わたしは驚きの声を上げた。


 わたし達が一時滞在を終えて、ヘルシラントを後にした翌日。

 ヘルシラントにおいて、我が国始まって以来の、前代未聞の事件「ヘルシラント襲撃事件」が発生したのだった。



 その日の夕刻。

 突然、武装した十名程度の人間たちが、ヘルシラントの洞窟に侵入した。

 覆面で顔を覆い、素性も不明である彼らは洞窟に突入すると、まっすぐに最奥……ハーンの部屋に向けて疾走した。

 油断していた途中の守備兵達。そして運悪く途中で鉢合わせてしまった住民たちを斬りながら奥に向けて突入した侵入者たちは……ついには洞窟の最奥、ハーンの部屋に。つまり、玉座が置かれている「謁見の間」、そしてその奥にはわたしの寝室がある場所まで侵入を果たしたのだ。

 さすがにその頃になると皆も非常事態に気づいて侵入者の捜索が行われ、最終的には「ハーンの部屋」において戦闘となり、侵入者たちは全員守備兵たちに斬り殺された。しかし、その際にも守備兵たちに犠牲者が出てしまっている。


 そして、緊急事態発生を受けて、ヘルシラントの洞窟とその周辺で、大規模な捜索が行われた。

 その際に……「ヘルシラント温泉」の更衣室の裏手に、武装した怪しい人間たちが潜んでいるのが発見された。彼らも顔は頭巾に覆われており、素性は全く不明であった。

 ゴブリン兵たちに追われた彼らは、そのまま海岸の崖から海に飛び込み……そのまま行方不明となった。

 夜を徹し、そして翌朝になっても捜索が行われたが、逃亡した人間たちは発見できなかった。そしてその代わりに……海岸から侵入に使ったのであろうか、それとも逃亡用か。小さな木舟が発見されたのであった。



 「ハーンの部屋」は、言うまでも無く、ヘルシラント滞在中にはわたしが居住している場所である。つまり、前日にわたしが滞在し、就寝していたわけだ。

 そしてヘルシラント温泉はわたしが足繁く通う(今回の帰郷時にも入浴した)場所であり、入浴の前には今回の更衣室は必ず利用する場所である。


 つまり、今回の事件は……何者かが人間の武装集団を率いて、ハーンであるこのわたしを暗殺しようと引き起こされたものである事は、間違いなかった。


 そして問題なのは、今回の襲撃者たちが「謁見の間」まで到達しているという事。そして、更衣のために最も無防備となる更衣室にまで潜まれているという事だった。

 ハーンであるわたし自身は、前日に出発済みであるために難を逃れている。

 しかし、もしヘルシラント滞在中にこの事件が発生していれば、襲撃が成功して暗殺されていてもおかしくない危険な状況であった。


 勿論、「ハーンであるわたしが不在だから、警備が緩くなっていた」という面はある。しかしいずれにしても、ハーンの暗殺が可能なところまで賊の侵入を許したというのは、警備上の由々しき、重大な問題なのだった。


 そして今回、首都ヘルシラントの警備に対して、責任がある人物は……。




 ……………



「ガイ! あなた、何てことをしてくれたのです!!」

 「ク=マの回廊」のハーンの幕舎。謁見の間にて、コアクトが平伏しているヘルシラント警備の責任者……留守居役のガイアークに叱責の声を上げた。

「あなた、前話で初登場したばかりでしょう! 登場してまだ2話目なのに、早々にこんな特大のやらかし、許されると思っているの!?」

「……そ、その……」

「賊に易々と侵入を許し、ハーンの部屋まで侵入されるとは何事です!

 ヘルシラントの謁見の間が、玉座が、そしてハーンのお部屋が土足で踏み躙られ、血で穢れたのです! どうやって責任を取るつもりなのです!」

「うっ、うう……」

 俯いているガイアークに、コアクトが叱責を続ける。

「そして今回犠牲となり、被害を受けた者たちにどう償うつもりです! あなたがしっかりと備えなかったために犠牲が出たのですよ!」

「で、でもこんな襲撃があるなんて予想できないし……」

「そんな言い訳が通用すると思っているのですか! そもそも、洞窟に易々と侵入されたのみならず、ハーンのお部屋にまで侵入されているのはどういう事ですか!

 入口の門番はどうしたのです! 最終通路の扉は常に閉めておき、常時守備兵を配置する事になっていたでしょう!

 それに、ハーンが行幸される場所には警備兵を置くのも常識です!」

「だって姉ちゃん。そ、その、ハーンも出発された事だし、そこまで厳しくしなくても別にいいかなと思って……」

「ガイ……あ、あんたね……自分の責任を何だと思ってるの!」

 責任感の無いガイアークの返事に、コアクトが激怒して部屋中に響く大声を出す。


「ま、まあ……お、落ち着いて、ね、コアクト」

 あまりのコアクトの剣幕に、わたしは思わず仲裁する様に声を挟んだのだった。

 読んでいただいて、ありがとうございました!

・面白そう!

・次回も楽しみ!

・更新、頑張れ!

 と思ってくださった方は、どうか画面下の『☆☆☆☆☆』からポイントを入れていただけると嬉しいです!(ブックマークも大歓迎です!)


 今後も、作品を書き続ける強力な燃料となります!

 なにとぞ、ご協力のほど、よろしくお願いします!

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[一言] >「あなた、前話で初登場したばかりでしょう! 登場してまだ2話目なのに、早々にこんな特大のやらかし、許されると思っているの!?」 うーん、メタいメタい
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