第146話 もう一つの太陽
「『ベルヌイ族』の族長の名は、リーリエ・ヤルート。
彼女……ベルヌイ族のハーン、リーリエは……。炎の力を操る『ゴブリリ』であるとの事です」
ユガ国司コランの言葉を聞いて、廷臣達は驚き絶句した。
少しの……しかし、かなり長く感じられた凍り付いた時間の後、廷臣たちは一斉にざわざわと発言しはじめる。
「ばかな! 我らがハーン……りり様以外に、『ゴブリリ』が存在するというのか!?」
「ありえない! 同じ時代に『ゴブリリ』が二人存在したなど、これまで無かった事です!」
「何かの間違いに決まっている!」
「求心力を増すため、『ゴブリリ』を騙っているのでは無いか!?」
廷臣たちの疑問の声に、コランは反論する。
「し……しかし、カチホ族の族長から確かな情報として知らされた内容でおじゃる! 『ゴブリリ』として炎の能力を使用したとの情報もあり、現に『豊かなる国』を統一してハーンの称号を名乗っている事などから、かなり確度が高い情報かと……」
「解せぬ。実は魔法が使えるだけの普通のゴブリンで、炎魔法を『スキル』に見せかけているのではないか?」
「しかし、『ゴブリリ』であれば、我ら一般のゴブリンとは外見が異なります。ハーンのお姿の様な、肌や髪の色、そしてお耳などまで偽る事ができるとは思えませぬ」
「いったいどういうことなんだ……」
狼狽の混じった疑問の声が、廷臣たちの間から発せられる。
その様子を前に、わたしはかつて、二つ目の能力『刻印』を授かった時、その理由を問うたわたしに「ゴブリンの神」が語った言葉を思い出していた。
『この時代は、過去に前例の無い事が起きている大変な時代です』
あの時は、少しだけ心の端に引っかかっただけの、この言葉。
何故「過去にない大変な時代」なのか、そして起きているという「前例の無い事」とは何なのか、判らなかった。
最近はなんとなく、現在進行している、人間の「王朝」によるゴブリンの世界への東征計画の事を指すのでは……と思っていたけれど、人間とゴブリン勢力の戦争は、大規模なものも含めて過去に何度も起きている。だから疑問に思ってはいた。
しかし。
あの言葉は実は、この事を……
同じ時代に「ゴブリリ」が複数存在する事を示していたのではないだろうか。
わたしの頭の中に、あの時の「ゴブリンの神」の言葉が改めて思い出される。
まだ、現時点では確定した情報ではないけれども。
わたしは何故だか、もう一人の「ゴブリリ」が存在するとの情報は、真実である。北方の土地を治めるリーリエという少女は、本当に「ゴブリリ」であるという確信を感じていた。
……………
わたしはそんな事を考えながら、廷臣たちに言葉を掛けた。
「皆の者、落ち着くのです」
そして、眼前で報告を行うコランに語りかけた。
「ユガ国司コランよ。そなたが聞いた『豊かなる国のハーン』について、リーリエという者の情報について、詳しく教えておくれ」
「……はっ、畏まりましてこじゃりまする」
わたしの言葉に、コランは平伏して……そして、頭を上げて、改めて語り始めた。
「麻呂が知らされました『豊かなる国のハーン』、リーリエの情報につきまして報告いたしまする」
……………
リーリエ・ヤルートは、王国歴581年、「豊かなる国」の部族「ベルヌイ族」に、部族長の娘として誕生した。わたしより一年年下だ。
父である部族長は、生まれた娘が「ゴブリリ」であった事に驚きつつも、近年の「ゴブリリ」に期待外れの「スキル」の者が続いた経緯もあり、誕生から10歳になるまで……「スキル」が発現する事が確認できるまで、その存在を秘匿して育てる事にした。
対外的には存在を秘匿されつつも、部族長である両親には愛され、大切にされて育てられていたらしい。充分な教育も受けていた様だ。まっすぐに育ち、部族の皆から愛され、慕われていたと言われている。
そして伝承の通り、10歳になった日に(わたしの様に一年遅れではなく)、彼女は「スキル」に目覚めた。
「ゴブリンの神」に授けられた「スキル」。詳細は不明であるが、強力な炎を生み出す能力であるという。
能力を無事に発現した事を受けて、リーリエは父親から譲位され「ベルヌイ族」族長の座に就いた。そして表舞台にその姿を現すこととなったのである。
族長としてリーリエを推戴して以降、「豊かなる国」の諸勢力の一つに過ぎなかった「ベルヌイ族」は、急速な勢力拡大を開始した。
彼女自身が持っていた魅力や指導力、そして「ゴブリリ」としての名声などもあり、外交交渉によりベルヌイ族の傘下に入る部族も多かった。
そして、他部族の争いにおいては、彼女の強力な「炎の能力」が威力を発揮したらしい。それに加えて彼女に従う部族の者たちの尽力などもあり、戦いにおいては圧倒的な強さを見せて連戦連勝であったという。
こうして急速に勢力を拡大したリーリエ率いるベルヌイ族であったが、「豊かなる国」統一を目指すにあたり最大のライバル・障害となったのが、同じく大きな勢力を持っていた「ユフィン族」という部族であった。
長年の対立関係にあり、ほぼ同格の勢力を持つユフィン族を軍事力で降すのは、容易ではない。
しかし、リーリエは外交交渉によりユフィン族を傘下に収め、統合する事に成功した。
彼女は婚姻政策によりユフィン族を統合した。彼女自身がユフィン族の王子と婚約する事で、平和裏に彼らを傘下に収める事に成功したのである。
こうして、最大の対抗勢力であったユフィン族を統合したリーリエ率いるベルヌイ族は、「豊かなる国」の中で抜きん出た最大勢力となった。
その先はもはや「豊かなる国」で、ベルヌイ族に対抗できる勢力は存在しなかった。
残された小勢力を次々と容易に降し、ついにベルヌイ族は「豊かなる国」を統一。
一国の支配者となったリーリエは、諸部族から推戴されて「豊かなる国のハーン」に即位。「イラ・アブーチ・ハーン」というハーンの称号を名乗るに至ったのであった。
統一された「豊かなる国」は、国外へも勢力拡大の動きを開始している。人間勢力である西方の「築きの国」への進出を図るとともに、南方のカチホ族へも圧力を掛け、彼らを半ば従属関係に近い状態に置いているという。
……………
「……………」
「……………」
コランの口から聞かされた報告に、集まった皆は呆然として言葉が出ない状態だった。
北方の「豊かなる国」に存在した、もう一人の「ゴブリリ」、リーリエ。
そして彼女がハーンとして束ねている、北方の強大な勢力。
これまで想像すらしていなかった新たな情報に、どの様に対応すべきなのか、混乱して考えがまとまらない状態なのだった。
それは、事前に情報を知らされていたわたしたちも同様だった。
改めて話を聞かされて、わたしは隣に立っているコアクトと、深刻な表情を浮かべて顔を見合わせた。
わたしたち二人の頭の中で不安の種となっていたのは……彼女が、リーリエが名乗っているハーンとしての称号だった。
ゴブリンの古語が理解できるわたしとコアクトには、その称号の意味するところがわかる。
「イラ・アブーチ・ハーン」という称号。
それは……ゴブリンの古語で「大地を掠奪する者」という意味である。
大地を掠奪する者、イラ・アブーチ・ハーン。
この様な称号を名乗っているリーリエ・ヤルートとは、どの様な人物なのか。
平和的なイメージが全く感じられない称号を名乗っている、「豊かなる国」のハーン、リーリエ。
彼女と、そして彼女の国と、友好関係を結べる余地などは存在するのか? そして、彼女の国は我が国に対して、そして対外的にはどの様に振る舞うのであろうか。
既に西方や南方への勢力拡大に動き始めている、リーリエが治める国。我が国にどの様な対応を取ることになるのだろうか。
少なくとも、今後の関係について、明るいイメージを抱く事はできない。
わたしたちの脳裏には、ココチュが残した預言が……改めてずっしりとした現実感を持って、響き続けるのだった。
『北方に強大なゴブリリのハーンが現れ、南の地へと攻めてくる。南の地は、ゴブリリの力により、炎に包まれるだろう』
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