第143話 飛び込んで来た知らせ
再び時は戻り、トゥリ・ハイラ・ハーンの4年(王国歴596年)の年初。
年賀行事など、年明けの一連の行事を終了させた直後。
リリ・ハン国の首都ヘルシラントから、トゥリ・ハイラ・ハーンとハーン率いる近衛軍団の軍勢が、「ハーンの街道」を通り、北方に向けて移動を開始していた。
軍勢の先頭では、ハーンを象徴する馬印が掲げられている。
この先、イプ=スキ族、マイクチェク族、オシマ族から抽出された軍勢も合流する予定である。
集結した各部族の軍勢は、「ク=マの回廊」に集結する予定となっている。
人間の軍勢による東方遠征に備えるため、防衛のための要衝「ク=マの回廊」に割拠する山賊団「吾亦紅」を降して回廊を奪取する。
回廊の確保に向けて、いよいよリリ・ハン国の軍勢が動き出したのだった。
……………
出発初日の夕刻には、ハーンの軍勢はイプ=スキに到着した。
ここでイプ=スキ族の軍勢が合流する。
軍事行動中ということで略式ながら、右賢王サカが主宰してイプ=スキ族によるハーン来訪を感謝する歓待が行われ、ハーンの一行は一息ついたのであった。
……………
「ハーンに申し上げます。マイクチェク族、オシマ族も軍勢の動員を順調に進めており、集結地である『ク=マの回廊』入口に移動を開始したとのことです。我らの行軍が予定通りであれば、数日以内には『ク=マの回廊』にわが国の全軍が集結、攻略に向けた軍勢を展開できる予定です」
「ありがとう」
イプ=スキ郊外に設営された幕舎で、文官長シュウ・ホークの報告を受けてわたしは頷いた。
この分だと、予定通りに「ク=マの回廊」前に各部族の軍勢が集結できそうだ。
実際に「ク=マの回廊」を軍事的に制圧できるのか。この地を占拠している山賊団「吾亦紅」の軍事能力はどの程度なのかが今後の問題となる。
できれば戦闘にまでは至らず、軍勢で圧力を掛ける事で山賊団「吾亦紅」が降伏、帰順してくれれば良いのだが……。「灰の街」を通じた接触なども行って貰っているが、今ひとつ反応が乏しいので、何とも言えない。
やはり最終的な方針を決めるためにも、わたし自身の目で現地の状況を見極める必要があるだろう。
「人間側勢力の……タヴェルト侯の動きに変化はありませんか?」
「現在のところ、動きはないとの事です。しかし軍事行動開始は近いと考えられますので、警戒が必要です」
わたしの問いに、コアクトが答える。
「そうですか……」
わたしは頷き、改めて地図を眺めた。
……………
人間が治める地域である「後ろの国」には、情報収集のためにゴブリンの密偵を入れる事ができない。
わたしたちが住むゴブリンの住民が多い「火の国」とは異なり、この地に住む者は人間がほとんどであり、ゴブリンは珍しい存在。そして彼らにとってゴブリンはこれから討伐する敵である。そのため、密偵としてゴブリンが入り込んで情報収集を行う事ができない……というより、ゴブリンが見つかればその場で捕らえられ、殺されかねないと言った状況であった。
そのため「後ろの国」の情報収集については、行動しても怪しまれない、人間の……主に「灰の街」からの情報提供に頼っている状況であった。
わが国への表だった軍事的協力は控えている「灰の街」であるが、その裏、表に出ない形……こうした情報収集などについては、積極的に助力してくれている。そのため、人間側勢力、「後ろの国」の情勢についても比較的最新で精度の高い情報を入手する事ができていた。
その「灰の街」からもたらされた情報で、昨年末に「タヴェルト侯の軍勢に動きが見られる」という情報が流れて来た時は、一時我が国全体が厳戒態勢となり、各部族への緊急召集なども行われた。
しかしその後、タヴェルト侯の軍勢が(我が国に向けた東ではなく)王都がある西に向かったという情報が確認された事で、警戒態勢は解除されていた。
ただ、西方に向かった理由は、ウーサー王による遠征軍への閲兵が行われたためらしい。ゴブリン討伐の方針は変わらないわけだし、遠征軍の準備はほぼ終えている事になる。閲兵を終えて帰還し、再び軍勢の編成が行われれば、いつ軍事行動が発動してもおかしくない。「灰の街」の情報によれば、直ちに出兵が行われる兆候は見られないとの事であるが、「その時」が着実に迫っている事は間違いない。
我が国としては、侵攻が行われる前に軍事的な防御拠点として「ク=マの回廊」を確保しておきたいところだった。
……………
「それにしても、『灰の街』が情報を提供してくれて、本当にありがたいですな」
シュウ・ホークが言う。その言葉に、わたしも頷いた。
「軍事的協力は控えつつも、裏では手助けしてくれて、ありがたいですね」
そう言いながら、わたしは「灰の街」から届いていた親書を思い出して取り出した。
「『灰の街』は各部族への武具の提供……販売も行ってくれている様ですね。ルインバース議長から、『多数の武具装備を購入してくれた事に感謝』する旨の親書が届いていましたよ」
「そうなのですか?」
コアクトの言葉に、わたしは頷いた。
「これから戦いが予想されるので、各部族ともに、武具の調達を行ってくれている様ですね。我が国の防衛のために各部族が努力してくれている……ありがたいです。そして武具販売の形で協力してくれる『灰の街』もありがたいですね」
「左様でございますな」
シュウ・ホークが頷く。
「この親書によると、マイクチェク族が特に大量の武具を購入してくれているという事で、名指しで特記してお礼の言葉が記されていますね」
わたしは親書を見ながら言った。
「親書の内容によれば、確かに突出してマイクチェク族の購入量、購入額が大きいですね。……これだけ大量の武具購入を行うほど、資金を持っていたのですね」
「本当ですな」
シュウ・ホークも不思議そうな表情で頷いた。
「思っていたよりもマイクチェク族は資金が潤沢だったのですな。それとも、何か臨時収入でもあったのでしょうか……?」
「そ、それはわかりませんが……」
コアクトが何故か少し狼狽した様な口調で言った。
「マイクチェク族の領地は『ク=マの回廊』出口に近接しています。今後予想される戦いに最も近いと言える状況です。それだけに、戦いに備え、ハーンのお役に立つべく、多少無理をしてでも武具を調達しているのではないかと思います」
「なるほど……」
わたしは頷いた。
「でも、それにしても購入量が多いですね。そんなに買えるだけの資金がどこから……」
「そ、そう言えばりり様! 『灰の街』からは最近ミスリルの輸入も盛んになっているのですよ!」
突然気がついたかの様に、コアクトが大きな声で言った。
「そうなのですか?」
「はい!」
コアクトが笑顔で頷いた。
「りり様の冠、そしてハーンの玉座の後ろに飾られている『聖騎士サイモンの鎧』は共にミスリル製です。それ故ミスリルの虹白銀の輝きは、ハーンを示す象徴であるともいえます。ハーンにあやかろうと、そしてその虹色の白銀に輝く美しさから、最近はミスリル製の装飾品を購入して身につける女性が多いのですよ」
そう言われてコアクトを見てみると、確かにミスリル製の髪飾りを差していた。コアクトの赤髪に、虹白銀に輝く髪飾りが映えている。
「綺麗ですね、似合っていますよ」
「ありがとうございます!」
コアクトは笑顔で頷いて続けた。
「それに、魔法を防ぐミスリルという事で、文字通り『魔除け』の意味もあるのですよ。この髪飾り程度の大きさだと、完全に魔法攻撃を無効化する事はできませんが、頭に付けているという事で、『呪い避け』と言いますか、精神の状態異常系の魔法などから身を守る事ができます」
「なるほど……」
わたしは頷いた。普通の生活をしていれば、あまり呪いや精神異常系の魔法が掛けられる様な状況は考えにくいけど、ある種の保険としては良いのかもしれない。
そしてそうした効果はともかく、虹色にきらきらと輝くミスリルの装飾品が美しいのは確かなのだった。改めて見回すと、この場に居並ぶ女官たちの多くも、ミスリル製の装飾品を身につけている様だった。
周囲を見回していたわたしは、ふと自分のすぐ後ろに控えているリーナを見て言った。
「あれ? リーナはつけていないの?」
わたしの問いに、子供時代からわたしのメイドを務めてくれているリーナが答えた。
「そうですね。私はりり様の身の回りをお世話させていただいていますので……あまりアクセサリ類を身につけるのも良くないと思っています。金属を身につけていて、りり様のお身体に当たってお怪我などさせてしまっては申し訳ありませんし……」
そう答えるリーナはほとんどお洒落な装飾品などを身につけておらず、メイド服の他は髪に差している簪だけが、唯一の女性らしい装飾品なのだった。
「……いつもありがとうね、リーナ」
わたしの言葉に、リーナは静かな笑みを浮かべて、小さく頷いた。
……………
その様な会話をしていた時だった。
突然、慌ただしく一人の伝令官が幕舎に入ってきて告げた。
「申し上げます。先ほど、ユガ国司様から火急の飛文が届きました」
そう言って、丸められた紙片をコアクトに手渡す。
文烏の足に取り付けられた通信筒から取り出された、何か通信文が書かれた紙片だ。おそらくはユガ国司コランが緊急で伝えたい事があって送って来たものだろう。
「内容はなんでしょうか?」
「ユガ国司どのは、北方の『カチホ族』への帰順交渉を行っておりました。その首尾に関する報告かもしれませんね」
そう言いながら、コアクトが紙片を広げた。わたしも後ろから覗き込んだ。
「どれどれ、内容は……」
紙片を広げたコアクトが……内容を流し見した途端、凍り付いた。
「……………!!」
「? どうしたのですか?」
後ろから覗き込んだわたしも……書かれている内容を見て、理解した途端、驚きのあまり固まってしまった。
「!!!!! まさか……そんなことが……!?」
ユガ国司コランから緊急で送られて来た報告。
その内容は、わたしたちの認識を。そして我が国のこれからの進むべき方向性を、大きく揺さぶる事となるのだった。
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