間章 叙任(後編)
「こちらにおわすは、九国を統べる者、ペングウィン王家の主。そして大陸全ての支配者……。
ウーサー王に、あらせられるぞ」
「……………!」
コーシヴェルト卿の言葉に、タヴェルト侯は改めて前方に姿を現した玉座を見た。
玉座に座る者。そして両隣に立つ者たちに、彼はいずれも覚えがあった。
そしてこの場に映し出され、そして呼び寄せられた空間は、確かに……タヴェルト侯が、かつて一度だけ赴いた事のある王の宮廷に間違いない。
その時の記憶を思い出して、タヴェルト侯は身震いした。
玉座の左側に立つ人物。司祭服に身を包んだ男性は、大司祭ヘイロー。人間の世界では最強の僧侶、「七英雄」の一人にして、王家そして王国の教会勢力の頂点に立つ者である。
そして……玉座の右側に立つ人物を見て、タヴェルト侯は思わず寒気に身体を震わせた。
国王に仕える将軍。「七英雄」の一人。「軍神」ネアルコであった。
見かけは飄々とした雰囲気の中年男性であるが、卓越した軍略、そして戦における鬼神のごとき強さはまさしく「軍神」という二つ名でしか表せないものである。
かつて若き日、血気にはやり王家の領土に侵攻したタヴェルト侯の軍勢を、寡兵であるにも関わらず完膚なきまでに叩きのめしたのが彼であった。
ネアルコに捕らえられて連行され、この玉座の間に引き据えられたのが、タヴェルト侯にとって過去ただ一度の「王への謁見」であった。
完敗の衝撃。王とネアルコ将軍の恐ろしさ。この石畳に這いつくばり、震える声で謝罪と命乞いをした屈辱。若き日の苦い思い出が、まざまざと脳裏によみがえり、タヴェルト侯は身体を震わせた。
……………
「……タヴェルト侯、ドーゼウよ」
玉座に座る人影が声を発する。タヴェルトは背筋に震えが走り、身体を震わせた。
「そなたと顔を合わせるのは、暫く振りであるな。あれから元気にしておるか」
「は……はっ」
王の言葉に、震える声で答える。
(……怯えるな、畏れるな!)
タヴェルト侯は怯える自分を叱咤激励する様に心の中で叫んだ。
今の自分は、あの若き日の未熟な自分ではない。王軍に叩きのめされ、命乞いをした自分ではない。
自分はあの頃よりも遙かに実力を付けている。強大な存在。修羅場をくぐり「後ろの国」一国を実力で制した大諸侯だ。
今の勢力であれば、王家など恐るるに足りない。今や王家は爵位を得るために利用するためだけの存在にすぎない。
今の王たちに……ましてや、魔法で映した幻影に過ぎぬ者たちに気圧される事など、ありえない。
そう、思っていた筈なのに。
いざ実際に玉座を、居並ぶ者たちを前にしてしまうと、あの時のトラウマに、そして恐怖に威圧され、タヴェルト侯は身体を震わせ、俯いてしまうのであった。
「タヴェルト侯よ。この度そなたが望み、授けた『火の国の守護侯爵』の爵位。これが王家への忠勤によるものではなく、そなたの領土欲によるものである事……。勿論、予は判っておる」
玉座からウーサー王の荘厳な言葉が響く。
「……………」
タヴェルト侯は、何も言えずに俯いた。
「そなたの野望から欲したこの爵位を敢えて許したのは……。そなたの行動が我が王家の遠大なる計画と合致するからだ」
王の言葉に、タヴェルトは思わず顔を上げた。
「王家の……計画?」
掠れる声で王の言葉を復唱する。見上げた先で、ウーサー王が小さく頷くのが見えた。
「うむ……。そなたたちを使って、大陸の東部を、ゴブリン共から人類の……王国の手に、取り戻す計画だ」
その言葉と共に、ウーサー王が立ち上がった。
ペングウィン王家を象徴する「飛ばぬ鳥」を示す王の服装に身を包んだ、ウーサー王。肩から上も「飛ばぬ鳥」の頭部を象った扮装で包まれているため、その表情を見る事はできない。
しかしその声色は荘重で、強い意志に満ちて空気を震わせた。
「かつて大陸全土を治めていた人類、そして我が王家……。だが、世は乱れ、大陸の東部にゴブリンの兇奴共が跋扈する状況となって久しい……。大陸の東部は、いつしか我ら人類の手から、離れてしまったのだ」
ウーサー王は、タヴェルト侯を見下ろしながら続けた。
「近年ではゴブリンの兇奴共は、ハーンを名乗り国を建て、あまつさえ『灰の街』をはじめとする人間の都市などはゴブリンの傘下に入り、ゴブリンのハーンに税や貢ぎ物を捧げて生きておる。実に嘆かわしい事だ。
跋扈するゴブリン兇奴共を打ち破り、大陸の東部を王国の……そして人類の手に取り戻す事が、予の願いである」
「お、恐れながら国王様……!」
タヴェルト侯は、震える声で、勇気を振り起こして言った。
「臣、わたくしタヴェルト侯が『火の国の守護侯爵』の称号をいただきました以上、必ずや『火の国』のゴブリン共を駆逐し、『灰の街』を王国の手に取り戻してご覧にいれまするっ!」
タヴェルト侯の言葉を、ウーサー王は冷たい目で見つめた。両隣に立つヘイロー大司祭、そしてネアルコ将軍も冷めた視線でタヴェルト侯の言葉を聞いている。
「改めて言うが、そなたの言葉が、本心からの王家への忠誠では無いこと。そなたの勢力拡大への領土欲や野望、そして『灰の街』の利権を得ようとの私欲によるものであることなどはわかっておる」
ウーサー王が冷たい口調で言った。そして続ける。
「……だが、予はそなたの野望を、王家の遠大なる計画に組み込む事としたのだ」
「そ……それはどういう事でございましょうか?」
思わぬ言葉に顔を上げたタヴェルト侯に、ウーサー王は告げた。
「そなたの『火の国』への出兵は認める。
だがそれは……王家の命令に従い、王家が命じた時に行うのだ」
「!?」
驚いた表情を浮かべたタヴェルト侯を見ながら、ウーサー王は続けて言った。
「今回、そなたと同時に、『築きの国』のノムト侯にも爵位を授けている。
……『豊かなる国の守護侯爵』の爵位をな」
「なんですと!!」
タヴェルト侯は驚きの声を上げた。
「築きの国」は、大陸の北部。「豊かなる国」の西隣に位置する地方である。人間の諸侯、「ノムト侯」が支配する領域だった。
タヴェルト侯にとって、ノムト侯は大陸の覇を競うライバルである。まさか同時にこの様な爵位が授けられていたとは……。
この叙任で、ノムト侯も名目上は「築きの国」「豊かなる国」の二カ国の国主を兼ねる事になる。その意味では、タヴェルト侯と同様の立場にあるのだった。
「そなたたち二諸侯は、予が命じた時期に同時に東方に攻め込み、大陸東部に跋扈するゴブリン兇奴共を撃滅せよ。
そなたは「火の国」に。そしてノムト侯は「豊かなる国」に同時に攻め込むのだ」
ウーサー王の言葉に、タヴェルト侯は玉座の後ろに掛けられている大陸の地図を見た。
大陸南部、タヴェルト侯の支配地「後ろの国」の東方には「火の国」が。
大陸北部、ノムト侯の支配地「築きの国」の東方には「豊かなる国」がある。
大陸の東部、「火の国」「豊かなる国」は共にゴブリンが割拠し、支配する国。これらに同時侵攻する事でゴブリン共を駆逐し、大陸の東部を人類の勢力下に取り戻そうというのである。
「そ……その様なお考えが……」
掠れる声で見上げたタヴェルト侯に向かって、ウーサー王が告げた。
「大陸東部のゴブリン兇奴を駆逐し、数百年ぶりに大陸東部を我ら人類の、我が王国の手に取り戻す、崇高なる計画である。
そなたたち二諸侯は王命によって大陸東部に出陣し、ハーンなどと僭称しているゴブリンどもを滅ぼし、東方の地を勝ち取って予に捧げるのだ。
よもや、異論などはあるまいな? タヴェルト侯ドーゼウよ」
玉座からウーサー王が。そしてその両隣で大司祭ヘイローと「軍神」ネアルコが睥睨した。
張り詰めた空気と、びりびりとした威圧感が周囲を包む。タヴェルト侯は声を震わせながら答えた。
「ご、ございませぬ……。王命に従い、東方のゴブリン共を討伐いたします」
タヴェルト侯の言葉に、ウーサー王は小さく頷いた。
「それで良い。東方への大遠征は、来年を予定しておる。
それまでの間に全力を尽くし、国を傾けて兵を集め、全軍で『火の国』を討伐するのだ」
「……はっ」
「軍を集めるのは勿論、内政を整えるとともに、『火の国』への、そして東方のゴブリン共への準備工作など、万全に準備を整えよ。
そして……もし命令通りに出兵せぬ場合は」
ウーサー王はタヴェルト侯を見下ろして言った。
「逆賊として、ここにいるネアルコに討伐させる事になる。二心など持たぬようにな」
「はっ……も、勿論にござりまする!」
かつて叩きのめされてトラウマになっているネアルコ将軍の名に、そして「討伐」の言葉に、タヴェルト侯は身体を震わせながら跪礼した。
「それで良い」
ウーサー王が満足げに頷いた。
「出兵の時期などは、追って改めて勅使を派遣して指示する。
それまでの間、国内で兵を養い、万全の準備を整えるが良い」
王の言葉に、タヴェルト侯は改めて拝礼した。
ウーサー王が改めて立ち上がり、タヴェルト侯を見下ろして言った。
「そなた達二諸侯の力で、見事東方のゴブリン共を駆逐し、予に大陸東部を捧げて勤王の心を示すのだ。
そなたたちの活躍を楽しみにしておるぞ」
その言葉とともに、再び周囲が深い霧に包まれる。
前方に広がる王家の謁見の間も。玉座も。玉座に座る王と両隣に立つ二人も。見る間に霧に包まれていく。
「!!」
タヴェルト侯は驚いて霧に包まれた周囲を見渡した。
周囲は霧に包まれて何も見えない。
「こ、これは……?」
タヴェルト侯が霧の中に目を凝らして見回したそのとき。
どこからか、ぶわりと強い風が吹き込んできた。
吹きすさぶ風に、霧が巻き上げられ、吹き飛ばされていく。
次第に霧が晴れ、再び周囲の風景が見え始めた。
「!!」
タヴェルト侯は驚いて目の前の光景を見る。
そこは、先ほどまでの「王家の謁見の間」ではなく、元の場所……タヴェルト侯の居城、タヴェルト城の謁見の間に戻っていた。
王家の玉座も、王達の姿もそこには無い。
目の前には、少し前と同じく、勅使のボーモン卿と、飛ばぬ鳥の彫像、「王家の庭」を手に持ったコーシヴェルト卿の姿があった。
……………
「これにて、ウーサー王陛下の謁見は終了である」
「王家の庭」を手に持ったコーシヴェルト卿が言った。
「タヴェルト侯よ。王命に従い、来たるべき『火の国』出兵に備えるのだ。出陣の時期は、追って指示があるであろう」
隣に立った、ボーモン卿が告げる。
「承知いたしました」
頭を下げて答えるタヴェルト侯ドーゼウは、そのままの姿勢で身体を震わせていた。
(……忌々しい!)
王たちの前で萎縮してしまった自分に自己嫌悪しながら。そして王の命令の言葉を反芻しながら舌打ちする。
自分の更なる勢力拡大のために、王家の権威を利用する筈だったのに。
王家の方は逆に、自分たちを東方のゴブリン討伐の手駒に使おうというのだ。
こちらが王家を利用する筈だったのに。逆に王家に利用されている。必死に勢力を拡大させて実力で王家を上回り、王家から事実上独立した勢力であると自負していたのに。王家からは手下の一人、単なる駒の一つとしか見られていない。実に忌々しい。
そして、王たちの前で萎縮してしまい、実際にそんな立場を受け入れてしまった自分が忌々しい。タヴェルト侯は自己嫌悪に身体を震わせた。
(……だが)
頭を垂れながら、タヴェルト侯ドーゼウはにやりと笑った。
王の命令とは言え、王が命じた内容……東方への出兵、「火の国」そして「灰の街」の征服事業は、元々タヴェルト侯自身が行おうとしていた事だ。
見方を変えれば、今回のウーサー王の行動は、タヴェルト侯の「火の国」遠征を最も有利な形でお膳立てしてくれているとも言える。
北方のノムト侯と同時に攻め込む事で、ゴブリン勢力は南北から同時に攻撃される事になる。
「築きの国」を領有するノムト侯は、魔法技術に優れた強国だ。援護射撃としては充分すぎる戦力を持っている。「豊かなる国」のゴブリン勢力の力量は判らないが、生半可な戦力では太刀打ちできない。
現在のゴブリン勢力が相互にどの様な関係を結んでいるのかはわからないが、南北から同時攻撃されるため、少なくとも一致団結してどちらかを迎撃する事はできなくなる。少なくとも「火の国」のゴブリン政権が、「豊かなる国」のゴブリンと連合軍を組んでタヴェルト侯の軍に立ちはだかることはできない筈だ。それぞれが単独で戦う事になるだろう。
後は南北の両諸侯が、相手となるゴブリン共を打ち破るだけ……。勿論、タヴェルト侯には「火の国」のゴブリンに勝つ自信があった。
ハーンを僭称する「火の国」のゴブリン兇奴を撃滅し、「灰の街」を支配下に収め、「火の国」全土を征服する。
その先の征服は大陸北東を攻めるノムト侯との切り取り競争になるが、ノムト侯が「豊かなる国」制圧に手間取る様であれば、タヴェルト侯が先んじて「火の国」よりも更に先……「隅の国」や「日登りの国」を征服する事もできるだろう。その先の立ち回り次第では、北方の「豊かなる国」までも併呑する……つまり、大陸東部全域を支配下に収める事になる。
この出兵は、確かにペングウィン王家の、ウーサー王の命令によって行われる。
しかし、実際に兵を動かすのはタヴェルト侯自身。そして征服地を得るのも、征服の果実を得るのも、タヴェルト侯自身なのだ。
征服によって「火の国」を。そしてその先の征服地を得れば、タヴェルト侯は更に強大な勢力に成長する事になる。
そうなれば……今度こそ、王家を遙かに凌ぐ勢力を有する事になるのだ。
もしかすれば王家の狙いは、大きな勢力を持つ二諸侯をゴブリン勢力にぶつける事で消耗疲弊させ、勢力の衰退を狙っているのかもしれない。
しかしタヴェルト侯は、「火の国」の征服ごときで「疲弊」するつもりなど毛頭なかった。元々計画していた「火の国」遠征。これまでに培った戦力をもってすれば、「火の国」のゴブリンなど、そして「灰の街」の兵などは鎧袖一触できると自負していた。
(……ウーサー王よ、そして「軍神」ネアルコよ、見ておれ。儂は貴方達の思惑を超え、そして王家を超えてみせる)
タヴェルト侯ドーゼウは、勅使たちを見、上を見上げながら小さく呟いた。
そして、東の方角を見上げる。
(「火の国」のゴブリンども、我が軍の力を以て叩き潰してやる。我が軍に踏み潰され、赤い轍となるがいい。
貴様らの滅ぶ様が、我が野望を満たすための糧となるのだ)
タヴェルト侯は、小さく笑みを浮かべながら呟いた。
読んでいただいて、ありがとうございました!
・面白そう!
・次回も楽しみ!
・更新、頑張れ!
と思ってくださった方は、どうか画面下の『☆☆☆☆☆』からポイントを入れていただけると嬉しいです!(ブックマークも大歓迎です!)
今後も、作品を書き続ける強力な燃料となります!
なにとぞ、ご協力のほど、よろしくお願いします!




