事前準備、その2
「確かに、そうね。モモちゃんとユカちゃんの言う通りかも……、」
ユミ先生は、ポツリと独り言を言うと画面の前で一瞬考える。
「よし、今までのケンジ君の質量波形全てに、この高域フィルターを通してみましょう。それで、波形が歪んでいる状態を検索してみるわね」
カチャカチャ、カチャカチャ、カチャカチャ
えーと、このフォルダーのここに、波形ファイルが入っているから、そのファイルをリダイレクトで、高域フィルターに通して、その出力波形をさらにリダイレクトで新しいファイルに保存してと。
そのフィルター反映ファイルから、波形の歪を検出するプログラムを経由してと。よし、作ったスクリプトを、全ファイルに対して実行すれば……。
ユミ先生が、難しい呪文を口で唱えながら、目にも見えないスピードでキーボードを打ち続ける。
「スゲー!、ユミ先生」
ケンジが、ユミ先生のキーボードを打ち込むスピードに感動の声を上げる。
モモもユカも、ただ、ただ、唖然としてユミ先生のタイピングを見ているしかなかった。
「よーし! 出来たわよ、多分これでいけるわ」
ポン!
「これで全ての計算が終わるまで、少し時間があるから、お茶でも飲みましょ? 冷めちゃったから、紅茶入れなおすね」
――
「ユミ先生って、指さばき凄いですね! 俺感動しちゃいました」
ケンジがお茶を飲みながらボソリと呟いた。
「ホントー! ピアニスト見たい」
モモも憧れの目でユミさんを見る。
「イヤ、ピアニストみたいじゃなくて、本当のピアニストですよね? ユミ先生?」
ユカが意味ありげに聞いた。
「えへへ。もしかしてバレちゃったかな? バイトで演奏会荒らしをしてるんだ。この間の全国ピアノ・コンクールでも3位入賞、てへ」
ユミ先生が紅茶をすすりながら、おちゃらける。
「えー! それって、ピアノコンクール優勝を人生の目標にしている人を馬鹿にしてませんか?」
ユカが、チョット嫌みな意味で尋ねる。
「ユカちゃん。よく聞いてね。ピアノを弾く人は、ピアニストになるべきであって、コンテストの優勝ばかり考えているコンテスタントになっちゃ駄目なの」
ユミ先生は、ここで一呼吸おいて、さらに紅茶をすする。そして大事な話をするように声を潜めて三人をぎょろりと見渡してから話をつづける。
「私は、そういうコンテスタントを邪魔しつつ、コンテスト参加者の質を維持するためのサクラなのよ」
「えー! そんな人いるんですか?」
ケンジ、モモ、ユカの三人がほぼ同時に声をあげて驚く。
「毎回コンテストを観に来る常連さんは、多分気が付いているはずだわ。コンテストに常連参加の演奏家がいるのなんてね。権威のあるコンテストは、優秀な人に出て欲しいのよ。そのためには、コンテストに出れる基準を示す必要があるのね。まあ、マラソンで言うところのペースメーカーってヤツかしら」
ユミ先生は、目を閉じて、紅茶のカップを手に持ちながら静かにつぶやく。
「絶対に優勝は出来ないけど、その人がいないと成り立たない、みたいな役どころなのね」
絶対に優勝出来ない、という言葉の時に、ちょっと悲しそうな顔になる。
「へー、でもそれって本気になれば優勝出来る力を持っていると言うことですよね? 実力が無ければ、ペースメーカーにもなれませんものね」
モモが感心した様に聞いた。
「うーん、微妙かな。優勝する人は、技術面が優れている以上の物が有るのよね。私の場合は技術的に遜色無い、と言うだけかな……」
人差し指をあごに当てて、ちょっと首を傾けて、かわいいポーズをとるユミ先生。でも目は少し悲しそうだった。
「コンクールの審査員の力量ですよね……、技術以上のプレイヤー部分を見る事が出来る審査員達なら、そのコンクールは世界的に優れた物になるのでしょうね」
ユカも、真面目な口調で話しに入って来る。
「まあ、色々有るのよ、音楽の世界は……。それじゃあ、解析結果も出たみたいだから、皆んなで見てみましょう」
ユミ先生は、そっと紅茶をテーブルに置いて、パソコンの前に向かう。




