心の研究
「安心していいよ、ケンジ。私はあっちの世界になんか興味はないよ」
俺の心を見透かしたように、兄貴が話を続けてきた。
……
魂の重さが21グラムというのは、一応昔の研究者が実験した結果なんだ。
ただし、資料によると研究者の実験を行った標本数が少なすぎるので科学的な根拠は薄いと言わざるを得ないけどね。
……
ケンイチロウは、ケンジとモモに語り続けた。
……
魂と言うから非科学的に聞こえるけど、実際の処自分を自分と認識して、他者と明確に区分する機能というか能力って、体のどの器官から発現するものか明確な答えは出ていないんだ。
自分と他者を区別するのは、脳だろう?と一般に考えられているけど、じゃあ脳のどの部分なんだ?
と言われると皆目見当がつかない。
確かに、体の機能は脳のどの部分が使用されているか?といった具体的な動作と脳組織の位置といった
演繹法的な答えは、多くの先人たちの実験で判明してきたんだ。
それに精神状態と脳活動部分に関しても、多くの有名な実験で明らかになって来たのは否定するつもりはない。実験に参加した研究者や被験者の方々には頭が下がる思いだ。
ただし、それらの研究や実験は『人間の心』が何処にあるのかを明確にしている訳ではないんだ。
とりあえず、仮定?この場合は前提かな?数学でいうところの公理っていうやつかな。
とにかく何にも考えずに、『他者と自分を区別する自分が、そこにある』という事が大前提なんだよ。
その過程に沿って、具体的な機能の話をしているだけで、いちばん大事な前提部分に関しては研究していないのが本当の処なんだ。
「我思う、故に我あり」だね。
こんな話を始めると、哲学のようになってしまうけど、心は何処にあるんだ?どうやって出来たものなんだ?って言うのは実は研究されていない。
某SF小説では、心は何とかキューブという具体的な結晶に宿るみたいな前提になっているけどね。
でも、実際問題として心自体を見た人はいないんだよ。
ここまでテクノロジーが進んでも、まだまだ内面部分はちっとも進んでないんだよね。研究者としては非常に歯がゆいばかりだけどね。
そんな中で、異端ではあるけれど、心のあり場所を探そうとしたこの実験は非常に面白い物ではある。
例えば、本当に『人が死んだ時に体とは別に心という物質があってその物質が体から離れていく』という仮定を用意して、その仮定に沿った実験を繰り返して有意な差が出たらどうだろう。
『物質構成自体はわからないが、少なくとも体とは別のものが体に寄生して死んだ瞬間に離れた』という仮定が、仮定でなくなるんだ。
そうすれば、次のステップとして、その体から離れる物質は何かを探す研究が始まる。
もしかしたら、その物質はこの空間を構成する物質ではなくて、通常の観測方法では認識出来ないかもしれない。
そうであれば、その物質を観測する装置を開発すればいい。
そして、その観測装置を使って体から離れる物質を研究して、それが心を構成するものであれば、初めて研究する学問が生まれて来るんじゃないかな?と思っているよ。




