子供たちへ。
「で。これが親父が遺したものか」
「うん」
テーブルの上には、施設の職員さんからもらった箱が置かれている。
まず兄夫妻、弟夫妻、そして私の5人で相談した結果になるが、この家は兄が引き取ることになった。
税金もあるが、子供持ちの家族としては魅力的な家になるし、兄の職場までの通勤時間はさほどに変化しないらしい。
それに、この辺は兄にとって思い出が詰まった場所で、いつかはこっちに引っ越すつもりだったとか言ってた。
残りの物については、弟と私で山分けということになった。
家の中を調べたところ、父はとある銀行口座に結構な金額を残していたらしい。
と言うよりは、父も忘れていたのだろう。なぜならそれはこの家を最初処分するつもりでいろいろ探っていた際に出てきた通帳によるものだからだ。
兄は家。残る私と弟が、口座の金を半々という形で話に決着がついたのだ。
最初は兄が得しているようにも思えたが、私の手元には数百万が転がってくることになるのだから文句をいうつもりもなかった。
それに、自分ではなく兄か弟にが家を引き取って欲しいって言う気持ちもあったのかもしれない。
「しっかし、これ何入ってるんだろうな」
弟は興味津々だ。
父が遺したもの。確かに興味は尽きない。
だが、それほど高額なものではないと推測できた。
そんなものを父が持って行くとも思えない。こんな大金が入った通帳を忘れてるレベルなのだから。まったく、空き巣に入られなくてよかったものである。
「開けてみればわかるさ」
と言って兄はロックを外す。
中身は、蓋に遮られて見えない。
すぐに兄は、中から白いものを出す。
「手紙……?」
「だな……」
弟がそれを見て答えを出し、兄が同意する。
白くて平らな封筒。一つ一つに何か文字が書かれ、全部で12通。
それが箱の中身であった。
「『最初に』『一年後』……なにこれ」
「わからん」
12枚の封筒は、それぞれ『最初に』と書かれたものが1通。『一年後』、『二年後』と言った感じで、それが『十年後』とまで書かれたものが計10通。そして『最後に』と書かれたものと分かれていた。
「まぁ、普通に考えれば『最初に』ってやつを開けるべきなんだろうな」
兄はそういうと、香織さんに鋏を持ってくるように頼む。
そして、兄は封筒を鋏で切り、中身を取り出す。
それを開いて、一瞬中身を見た後それを裏向けにしてテーブルに置いてからこう言った。
「すまん、俺が読んでいいか?」
「長男なんだし、そりゃあそうでしょう」
「ってか、孝宏にぃ。それってさ開く前に聞くべきじゃね?」
「……やかましい」
弟の指摘にむかっときたのだろう。一瞬、拳を握った兄を私はじっと見つめる。
全く、ふたりとも子供じゃないんだからさ。
その思いは声には出さないでおいてあげたが、視線ではそんな意識を伝えたつもりだ。伝わったかはしらない。
「はぁ……。読むぞ」
私の目を見て把握してくれたのかは分からないが、ため息を吐いた後手紙を再び持った。
「私の自慢の子どもたち。お前たちがこれを読んでるということは、おそらく私はもう生きていないのだろう。
振り返ってみれば、お前たちにはさんざん迷惑をかけた。私は父親らしいことを何かしてやれただろうか。私の心には後悔しかない。
だが、和美がお前たちを立派に育ててくれた。あいつが居たから私は仕事に専念することが出来た。私はあいつに甘えていたのだろうな。
仕事がなくなって、何をしていいのかわからなくなった後もあいつに甘えていた。
だから、あいつがいなくなって頼るものがなくなってしまった私の頭のなかは真っ白になっていった。
今思えば、実に恥ずかしい話だ。
お前たちが子供の時にも迷惑をかけて、大人になった後も迷惑をかけたんだからな。
だが、お前たちは私を見捨てなかった。私はお前たちという子供を持てたことを誇りに思う。
さて、遺した手紙の件なのだが。
しっかりものの孝宏のことだから、きっと一番最初に『最初に』と書いたこれを読んでくれていると信じている。
残る手紙だが、私が亡くなって1年後の同じ日に『一年後』。2年後に『二年後』という形で開いて欲しい。
そして、『十年後』を読んでから『最後に』を読んで欲しい。
本当に我儘な父ですまない。
だが、これだけは守ってほしい。
次に、財産の件だ。
家は孝宏に譲ってやってほしい。相続税は苦しいかもしれないが、なんとか払って欲しい。
真希、裕司には、確か家の二階の洋服箪笥の私の靴下とかが入っていたところに通帳があったはずだ。それで我慢して欲しい。
お前たちが動かしていなければ。
――ここはかっこつきだな。
あと、裕司には、必ず私の書斎に飾っている絵を渡してくれ。
真希、お前には一番分配が少なくなることになる。だが、他の二人には妻と子供がいることを考えこんな分け方にしたいと思う。
お前が定期的に見舞いに来てくれ、様々な本を持ってきてくれ、更にはノートでメモを取るという方法を教えてくれなければ、私がこうやってこの手紙を残すことはできなかっただろう。
そんなお前に、今はこんな言葉を送ることしか出来ない私を許して欲しい。
――だとさ」
「絵かー……。持っていかねぇとダメか?」
「殴るぞ。親父の遺言だぞ」
「殴ってるんじゃねぇか!!」
流石に苛立ちが勝ったのだろう、すでに兄は裕司の頭を小突いていた。
書斎の絵。確か、あれは父のお気に入りだった記憶がある。だが、なんで弟になんだろう。
弟に絵画の趣味など無い。それにあれはそれほどの価値が有るものなのだろうか?
価値があったらそれこそ相続税が凄まじいことになると思うのだが。
「兄さん。書斎の絵ってそんなにすごいものなの?」
「いや? そんな話聞いた記憶はないぞ?」
兄も首を傾げていた。
「鑑定とかいるのかしら?」
「うーん、別にいいんじゃないか? 鑑定費用のほうが高くつく可能性のほうが高いしな」
「どう見ても、あれに価値とかねぇだろ……いてぇ!?」
そろそろどつきあいが始まってもおかしくはない二人は放っておく。
手紙がなくても、絵以外は相続の話が決まっていたわけで、私も絵をもらってもどうしようもない。
兄の様子を見れば、絵は渡す気でいるようなので問題はない。
父の遺言はすんなり終わりそうだった。
「ああ、そうだ。真希」
数発殴りあったと思えば、関節技だったかそんなのを決めて、いつの間にかプロレスっぽくなっている。
「ギブギブ!!」って言って床をパンパンと叩いている裕司を無視し兄は私に声をかける。
「何? レフリーとかやらないわよ、昔みたいにガキじゃないんだから」
「この状況ならどう見ても俺の勝ちだろうが。いや、そうじゃなくてな。手紙なんだがな、真希。お前が持っていてくれ」
「なんでよ?」
そういうのは兄の仕事だろう。
「いやな。読むの忘れてたんだが。手紙と箱はお前に渡してくれって書いてあったんだよ」
と言うと、兄は裕司の脚を変な方向に固めた状態で器用に移動し私に手紙を手渡す。
「――確かに。書いてあるわね」
兄が読んだ部分から少し離れたところに、追伸としてそのような旨が書かれていた。
「だろ? だから頼むわ」
「はぁ。わかったわ。手紙は預かるわね」
私も父の遺言に背くつもりなど無い。
もう30近い兄と20前半が終わりそうな弟のプロレスを見ながら情けないものを感じつつ私はそれに了承した。