父の死
――今朝、父が息を引き取った。
ついにか……って気持ちと悲しさもあるが、実に情けない話になるがようやく……っていうような安堵の気持ちもそこには存在した。
父は、俗にいう『仕事人間』とでもいう人だった。
平日はほぼ毎日深夜まで働き、休日も家にいることなんて殆ど無かった。
そんな父が65歳で定年を迎えた。
仕事一筋だった父にとってそれはあまりにも大きすぎる変化だった。
たまに朝からスーツとかばんを持って会社に行こうとしたりするなど、自分が定年を迎えたということが理解できなかったようだった。
そしてたまに見ていた父の姿から感じていた覇気みたいなのが消えていった。
父は何をして良いのかがわからなかったようだ。趣味といえば通勤の合間に読んでいた読書ぐらい。
そんな父は、本を読んではテレビを見てのんびりとするような生活になっていった。
母を筆頭に、今まで必死に頑張ってくれた父が少しでも老後を楽しんで欲しいと願っていた。
しかし、生きがいを失った父は徐々に認知症の気配を出し始めた。
「会社に行かなければ……」などといい、昼間から母にスーツを出せようとするなどの行為が起こり始めたのだ。
医者に診てもらった結果は、仕事以外の何か趣味を持たせてあげたほうがいいということだった。
とは言われても、私を含め、兄はすでに家庭があるし、弟もすでに一人暮らし。老いた父と一緒にいてあげることなど出来なかった。
そこで動いたのが母だった。
今まで仕事に勤しむ父を献身的に支えてきた母は、家にいることが多くなった父と一緒に積極的に旅行へ行ったりするなど、母が主導で動くようになったのだ。
これにより、父も病が進行することもなく安定して老後生活を楽しむようになりつつあった。
だが、3年前。
母がこの世を去った。
心臓発作による急死。あまりにも突然の死だった。
あの時ほど、動揺し、泣き叫んだ父を私は知らない。
母の死は父に非常に大きな影響を与えた。
家から出ることも殆どなくなった父はますます認知症の症状が悪化していった。
何度も大声でもういない母を呼び、居ないことを認識すると泣き叫び、更にうわ言で「このまま死にたい」とまでいって包丁を首に押し当てかけたことがあるまでに深刻な状態だった。
私達は、そんな父をどうしようか相談した結果、施設に預けることにした。
父も、「お前たちに迷惑を掛けたくはない」といってそれを受け入れてくれた。
施設に行った父は、その後も更に認知症が悪化し、一時は私達の顔すらわからない状態になっていた。
そんな父に、私は一冊の本を持って行った。父の趣味だった読書。本を読むことで少しでもなんとかしたいという気持ちだった。
だが、父は「この本は難しい」といって読むのを止めてしまった。
なら、絵本ならいけるかなと思って持って行ったのだが、今度は「わたしはそんなに老いてない!」と激高してしまった。
色んな本を却下されてしまい、どうしたものかと悩んだ結果、私は本屋で売れていると評判の平たく積まれていたライトノベルとかいうのを父に持って行った。
表紙を見て怪訝そうな顔をした父だったのだが、内容が良かったのか、どんどん読むことに集中していった。
だが、父は次の日に悲しそうに私に打ち上げた。
「どこまで読んだのか、わからなくなったんだ……」
私はとっさに父に提案した。
「なら読んだところまでを、メモとっておけばいいんじゃないんかしら?」
そして、私はその日のうちに父に一冊のノートをプレゼントした。
父は、何かあればすぐにそのノートにメモをするようになっていった。
どこまで読んだのかだけではなく、それがどんな話だったのか。どこが面白かったのかなどの本に関するものから、その日何を食べたのか。のような日記とも思えるようなものまでありとあらゆるものを。
すると、父の認知症が僅かにではあるが、改善していったのだ。
メモを取ることと読書を繰り返していくことにより、父は少しずつ何かを取り戻していった。
そんな中で弟の結婚式が行われた。
もともと、父は不参加の予定だったのだが、予想以上に回復していた父は、
「息子の晴れ舞台だぞ! 何があっても出席させろ!」
と激怒した。
医者や施設の人に相談した結果、今の状態ではむしろ出席させないほうが良くないと判断され、出席することとなった。
父は、車いすに乗ったままでは有ったが、しっかりとした言葉で短いながらもノートに書いた原稿を読みながらスピーチを行い、その後満面の笑みで弟の結婚式の光景を眺めていた。
だが、1年前。
定期診断を受けた父に胃に癌があることがわかった。しかもその進行状態はかなり進行しており、何故去年の時点で見つからなかったのかと言われるほどにひどかったらしい。
老いた父に対して、広範囲になると思われる外科手術は危険と判断され、薬物療法となったのだが、それはあまりにも遅すぎた。
そして、父は母が亡くなった日からちょうど3年後の同日を迎えて数時間後母と同じ世界へ旅立っていった。