六月の花嫁
※最後まで読むとホラーです。
*←この記号までならホラー要素のない悲恋話となります。
「平ちゃん。あたしね、お嫁にいくんだって」
「…え」
十日ぶりに会う幼馴染みは困ったように笑っていた。隣村に住むキヨは平吉の二つ下の十で、まだ初潮も来てない餓鬼のはずだ。それなのに、もう嫁ぐのか?
「本当、なんか?」
「うん。昨日、お父ちゃんに言われた。お母ちゃんはそれからずっと泣いてる」
「…さよか」
「うん」
淡々とした口調で近づいてくると、キヨは平吉の隣に腰を下ろす。何処か他人事のように話すキヨに平吉は苛立ちを隠せなかった。
平吉は子供ながらもキヨのことを好いていた。
隣村への道は雨が降ると悪路になるから、晴れの日でないとキヨには会えない。隙を見ては家の手伝いを放り出し、限られた逢瀬を楽しんできた。
近頃は晴れが続いていたが、親の目も厳しくなってきたから抜け出すのも大変になり、ようやく会えたと思ったら他の男のところに嫁ぐときた。
キヨも自分と同じ気持ちだと思っていたのに。
そうでは、なかったのだろうか。
「…そいつのこと好いとるのか?」
「知らない。顔も見たことないもん」
キヨはこちらを見ようともしない。
それがひどく憎らしく思えて、平吉は衝動のままに叫んでいた。
「それならどうして嫁ぐんじゃ!? 俺は、俺はお前と夫婦に――」
「平ちゃんの意地悪!」
「はあっ!?どこがじゃ、お前の方がよっぽど……な、なんで泣く!?」
振り向いたキヨの顔を見て、平吉はぎょっとした。
キヨの大きな瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れていたからだ。
「あたしだって、あたしだって平ちゃんが良かったよ!…けどね駄目なの。あたしが嫁ぐのはそりゃあ高貴な方だから逆らえないんだって」
次から次へと湧く涙はまるで泉のようだ。
枯れることなど知らないように、頬をしとどに濡らして行く。
「……断ることはできないんか」
「無理。断れるならもうとっくに断ってるよ」
泣きながら笑うキヨは幼いながらも美しかった。
よくよく見れば、畑仕事をしている割りに白い肌と思わず啄みたくなるようなぷっくりとした唇。髪は豊かで艶もあり美しい。幼くとも整った美貌に、どこぞの金持ちの年寄が目をつけたのだろう。
「……どこで見初められた」
「知らない。町に出た時とかじゃない?」
「………そうか」
「あーあ。こんなことになるなら町なんか行かなきゃ良かった」
おどけたように両手を上げると空を仰いで笑う。
キヨがいつもと変わらないように振る舞えば振る舞うほどに、平吉は違和感が噴き上げた。
こんな顔で笑うやつじゃなかった。
こんな顔で泣くやつじゃなかった。
触ったらすぐに壊れてしまう張りぼてのような虚勢。
キヨは平吉より二つも年下の、まだまだ小さい女の子なのに。まるで血を流すかのような笑顔があまりに痛々しくて見ていられなくて、
「俺と、逃げるか?」
思わずそんな言葉が口をついた。
思いもよらないことを聞いた。
そう言わんばかりにキヨは大きな目を見開いてから、静かに顔を伏せた。
「……駄目だよ。お父ちゃんだけじゃない、村の人だってあたしを見張ってるもの。……見返りに何を貰ったんだろうね? お金かな、お米かな? 最近ね、美味しいご飯を食べさせてもらえるようになったの。きっと良い値段であたしが売れたからなんだろうね」
何てことだ。村人全員が結納金に釣られて幼い娘を売ったのか。目先の金銭がそんなに大事か。
親にも裏切られたキヨはどんなに辛かっただろうか。怒りに目の前が真っ赤に染まる。
続けられたキヨのひび割れた声が、今にも村へと殴り込もうとする平吉に冷や水を浴びせた。
「それにね、平ちゃん。逃げだしたとしてどうするの?二人じゃ生きていけないよ。だからあたしは行かない。……ううん、行けない」
二人で村から逃げれば間違えなく追っ手がかかるだろう。キヨを嫁にする代わりに代価を貰っているのだから当然だ。嫁がせなければどんな要求がされるか分からない。キヨを死に物狂いで見つけようとするだろう。
よしんば逃げられたとしても、今度は身を潜めて山の中で獣のように暮らさないと行けない。熊もいるような山の中で、子供二人でそんなことが出来るだろうか。
それにキヨの家族は、共に逃げたことが知られれば平吉の家族も制裁を受けるだろう。村八分にされて最悪、死んでしまうかもしれない。
キヨを連れて逃げるということは、沢山の命の代償を覚悟しなければならないということだ。そしてそれでもキヨが奪われない保証は何処にも、ない。
思い出されるのはまだ幼い弟妹の笑顔、父の背中、母の温もり。
握った拳が力なく揺れる。
全てを捨てて逃げるには、あまりにも柵が多すぎた。
下ろした拳を見て、キヨは全てを悟ったようだった。キヨは平吉を責めることなく、泣きながら抱きついた。
お互いを抱きしめあいながら、赤子のように泣きわめく平吉たちは端から見たらさぞかし気が狂ってみえたことだろう。
それでも今はこの温もりを手放すことなど出来る筈もなかった。
どれほど時間が経っただろうか。
キヨは泣き止むと、お日様のような笑顔を浮かべて宣言した。
「あたし、幸せになる。よく考えたら玉の輿だし、沢山たぶらかして好き放題してやるんだ!こんな田舎じゃ一生味わえないような贅沢な暮らしをおくってやる!」
叫んだ声はがらがらでとても聞いてはいられない。
おっさんみたいな野太い声、と揶揄すれば「酷い」と殴られた。そうして二人で、いつものように他愛もない話をした。
平吉が笑って、キヨも笑って。
日が落ちるまで、ずっと手を握っていた。
「ねえ、平ちゃん。……私のこと、忘れないでね」
そう言って微笑んだキヨの顔を、平吉は一生忘れることはないだろう。
キヨの輿入れはそれからすぐの事だった。
最後に一目、キヨを見ようと平吉は隣村へと忍んでいった。
木陰から垣間見た、着飾ったキヨは夢のように美しかった。まるで都のお姫さんみたいだ。
「いやあ、キヨは本当にええ女になったな。あれなら息子の嫁に欲しかったくらいじゃ」
「馬鹿をお言いよ。キヨはもう村の者じゃない、あたしらには手の届かぬ場所へいくんだよ。こんな田舎のことなんてすぐに忘れちまうさ」
立ち並ぶ村人たちの中からひそひそと囁くような声。
想い人の艶姿にのぼせ上がった心は、瞬く間に地に落ちた。
キヨはこれから身分の高い方に嫁いで、本物のお姫さんになる。平吉のような泥まみれの農民には声もかけられないし姿も見れない、雲の上の存在になるんだ。
たとえ僅かでも、キヨと共に生きる機会はあった。
それを捨てて家族を選んだのは平吉だ。
悲しんでいいのはキヨで、平吉ではない。
だから、それなのに、なんで、どうして、
「涙なんて出てくるんだよっ…!」
ぼやける視界の中で、白い衣が艶やかに翻る。やがて輿の中に消えると、静かに行列が動き出した。
「キヨ、行かないで……!」
感極まったのか、キヨの母親がその場に泣き崩れる。回りの女たちも泣きながら、娘を失った母親を宥めていた。
キヨはここから遠く遠く、見知らぬ土地へと嫁いでいくのだ。もう、二度と会うこともないだろう。
その夜、嵐のような激しい雨が降った。
まるで平吉とキヨのために空が泣いたみたいで、平吉は少しだけおかしくなって笑った。
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「あと一日降るのが早けりゃなあ。ありゃあ将来 別嬪になったろうに」
「分かってないねえ、あんた。天神さまがキヨのことを随分と気に入って下さったから、すぐに雨をお恵みになったんだよ」
「…それもそうか。キヨさまさまだなあ」
ありがたや。ありがたや。
そう言って村の男たちは川に向かって手を合わせた。
大分ぼかして書いたので、伝わらなかった方向けに軽い解説
・キヨは天神さま(=水神さま)の嫁になった
・白い衣は白無垢ではなく死装束
・キヨの母が泣いてるのは娘が生け贄になったため
(キヨ自身は生け贄に決まったことを知らない)
・美味しいご飯は村人達のせめてもの情け
***
梅雨に入って少し蒸し暑くなってきたので軽くホラーでもと思って書いてみました。
タイトルを「結婚は人生の墓場」と迷ったけれど、あまりにもネタバレすぎるので此方に変更。
いつもは書かないジャンルなのに、今までで最速のスピードかつ一度も筆が休まなかったので驚いてます。 勢いってすごい。