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樹はあるみに手渡されたメモ用紙を何時間も眺める。
緩みきった恍惚とした表情。他人が見ればラブレターかと思わせるほどであった。
ただの住所と電話番号が書かれた簡単なメモ。
しかし、そのメモはあるみの直筆。サッと書かれた文字からも気品が漂う。
樹にはそれが何であろうと構わなかった。
“弐城あるみとまた会える”
手渡されたメモは現実であった事を証明する唯一の品であり、五千万に相当する……いや、もしかするとそれ以上の“財宝”に近かったかもしれない。
偽札かどうかを確認する何十倍以上もの時間、そのメモを眺め通す。
三日間という時間はあっという間に経過してしまった。
◆
約束をした当日。
駅を降り、メモを片手に指定された場所をひたすらに目指す。
樹は三日間、ただメモを眺めていただけではなかった。当日迷わないように、正確な位置をネットで調べ、頭に叩き込む。
用意は万全である。
二月の乾燥した風が、雑居ビルが立ち並ぶ通りに吹き荒ぶ。
メモが指定した住所は、そんな雑居ビルが立ち並ぶ通りの裏通りであった。
裏通りは高いビルに日差しが遮られ、昼間だというのに薄暗く、陰気な雰囲気を醸し出している。
人通りは無い。
散らばるゴミや壁の落書きを横目に、心なしか足早で目的地を目指す。
こんな場所だったのかと、想像とかけ離れたスラム街のような通りに困惑する。
「――ここか……」
二階建の小さなビル。
到着した事を伝えるため、あるみに電話をかけた。
すぐに降りるから、と電話は切れる。
一階はシャッターが閉まっているが恐らくは車庫であろうと推測出来た。
「地下もあるのか……」
地下に続く階段を眺める。
すると、コツコツと反響音が聞こえ、シャッター脇の入り口から弐城あるみが姿を見せた。
「――早かったわね、どうぞ」
同窓会の時とは違う、どこか落ち着いた雰囲気であった。
ラフなセーター姿でメガネを着用している。
会場で出会った時と違う印象に、樹は一瞬ドキリとした。
樹はあるみに案内され、先程まで覗いていた地下に続く、細くて薄暗い階段を下りる。
「足元気を付けて」
茶色いタイルが敷き詰められた階段。雨の日には滑りそうだな、と樹は思いながら階段を下りる。
木製のドアには、メモに書かれてあった通り『マンティコアヘッド』と、荒々しく書かれたボードが掛けられてあった。
あるみがゆっくりと音を立てて木製のドアを開く。
「どうぞ」
「失礼します」
樹はおどおどと足を踏み入れる。
「……え? えっと、ここ事務所だよね?」
さらに下に続く木製の階段。手摺りに手を掛け、足音を立てながら下りてゆく。
事務所らしからぬ空間に疑問を感じた。
地下にしては広い空間……。
間接照明に照らされ、レンガ造りの壁に木製の床。
壁には大きな掲示板が掛けられ、様々なメモが貼り付けられている。両サイドのボックス席には、書類やノートパソコン……テレビ、ゲームハード、数冊の本が山積みになっていた。
真正面には長いカウンターがあり、スキンヘッドの大男が静かに背中を向けて座っている。
樹が違和感を感じたように、事務所……というよりは、バーであった。
オンラインゲームなどで見る『ギルド酒場』を彷彿とさせる。
しかし、肝心の酒棚には一本の酒も無く、空気も埃っぽい。
どこかで時間が止まってしまった、という印象であった。
「……あるみ、その男がお前の言ってた手練か?」
男は背面越しに、低く重みのある声であるみに問う。
「えぇ、そうよ」
男はグラスに注がれた赤黒い液体を飲みほしカウンターからゆっくりと立ち上がった。
身長は百九十センチを越え、スーツに黒いワイシャツ。衣類は男の筋肉にはち切れんばかりであった。
スキンヘッドにサングラス。どう見ても“かたぎ”では無さそうな風貌に樹は恐れおののく。
男はサングラス越しに、樹の全身を見渡す。
「確かに【エルトル】の流れを感じるが……」
男の風貌にビクつく樹。
そんな樹の様子を男は不審がる。
「あるみよ、本当にこの男プロなのか? どうも、俺にはそうは見えねぇが?」
樹をまたいで、階段の手すりに手を掛けるあるみと会話する。
「話した通りよ。ギルドにもフォースにも所属はしてないフリーの依頼請負人……」
話しながら、あるみが近づいて来る。
「ねぇ、桃寺くん。そうよね?」
あるみの疑いの無い視線。
どこか訝しんだ表情のサングラスの男。
そんな二人に挟まれ、ただ冷や汗を流しながら、言葉に詰まる樹。
「――えっと、あの、その……半分正解というか、半分違うというか……」
そんな樹の煮え切らない態度に、男は業を煮やす。
「ハッキリ答えねぇか!!」
ドスを効かせた怒鳴り。
樹は恐怖に飛び上がる。
腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。
「ぅぅぅ……す、すいません! すいません! すいません!!」
「あぁ? “すいません”ってどういう事だ?」
男は片手で樹を掴み上げる。
「ぃぃぃぃッッ!!」
「ちょっと! 銀慈! 乱暴はしないで!」
あるみは、銀慈と呼んだ男を諌める。
「乱暴はしてねぇよ。聞いただけだ」
ドスンと落とされ、半べその樹にあるみは少し優しめに問いかけた。
「桃寺くん、“半分正解で半分違う”ってどういうこと?」
樹は、鼻をすすり、へたり込んだまま喋り始める。
「――そ、その、ダンジョンに入ったのは一回だけで…………。請負人として生活してるわけじゃないんだ! ダンジョンウォーカーとして素質を見出されたのも最近の事だし、ダンジョンの事も全然知らないし……」
情けない樹の表情に、あるみは驚愕の表情を浮かべる。